第5話 自己満足の価値


 琴子は秋葉原駅の改札前で、スマートフォンを弄りながら待っていた。服装は既に何度も着た普段着に近いインディゴカラーのデニム生地のワンピースに、スカジャンを羽織っている。

 髪は適当に纏め、化粧も面倒だからと日焼け止めだけを塗って、眼鏡とマスクで誤魔化していた。

 靴だって、楽なように履きつぶした革ブーツだ。とりあえず外に出ても、自分が許せる最低限の服装だ。

 とにかく、色々やる気のないのが丸わかりの服を、琴子は適当にチョイスしてきたのだ。


 そんな彼女に気づいたのか、一人のチェック柄スーツを着た男が駆け寄ってきた。


鹿野田かのだ! この前ぶり!」

「よっ。てか、遅くない?」

「わりーわりー、品川で足止め食らった」


 男は軽いノリで琴子に謝る。そこには誠意の欠片も感じられない。本当に相も変わらず仕方ない男だ。この男は、山口大寿やまぐちひろひさ。琴子の元同期であり、今は飲み友達の一人である。


「ほら、さっさと行くよ。ラクショクドウで豪遊するんでしょ?」

「そうそう、そう来なくっちゃ」


 二人が向かう先は激安居酒屋のラクショクドウ。プライベートブランド酒が美味しいと有名で、ワインやウイスキー、日本酒、どれをとっても安価で美味い。もちろん、おつまみメニューもおいしく、琴子はこの店の鶏胸肉のサラダチキンがとても好きだ。


 お店に到着すると、すぐに店員からカウンター席ならと、案内される。ちょっと外れのカウンター席。お互い上着を近くの壁にあるハンガーにかける。

 この店の注文は、店員から渡された特定のQRコードをスマートフォンを使い読み込むことで、注文できるようになっている。今日もまたいつものように、山口ではなく琴子が自分のスマートフォンで読み取った。


「生?」

「そらね、俺は生一択よ。鹿野田はレモンサワー?」

「ハズレ、期間限定のデコポンサワーにします」

「期間限定好きだなー。で、ツマミは……」


 琴子のスマートフォンを覗き込む山口。画像付きのおつまみは美味しそうであるが、何度も来てるからかお互い好きなものを適当に選んでいく。


 白メンマ、ポテトサラダ、サラダチキン、唐揚げ、山芋のフライ、カマンベールチーズフライ。


 そして、さっさと注文すれば、すぐに生ビールとデコポンサワーが出てくる。


「「乾杯!」」


 男女二人がグラスを軽く合わせ、ぐいっと一口。琴子の喉には生搾りのデコポンの甘酸っぱい味と香りが流れ込む。


「あー美味しー」

「生き返るわー」


 山口も既に半分くらい生ビールを飲み干しており、生き返ったのかぽやっと顔したまま、提供されたやみつきキャベツを口に運んでいる。しかし、琴子としては、男の呆け顔を見たいわけではなく、さっさと本題に入りたかった。


「それにしても、いきなり呼び出しておいて何よ」


 すぱんっと、振り下ろされた言葉の太刀。山口の顔が強張る。そして、次第に喜んでいた表情が萎れていき、机へと倒れていく。


「また、フラレ、ました」

「おう、今度は何やった?」

「それが、わかんないんだよー」


 山口はぐわっと顔を上げると、相変わらず琴子に縋るような目線を向ける。琴子は何度もその視線を受けているため、「またこれか」とデコポンサワーを飲んだ。

 その昔、山口はマッチングアプリでモリモリ過ぎたプロフィールの上に、初デートの食事にニンニクたっぷりラーメンに連れて行くというやらかし・・・・をしたことがあった。

 それを当時新人飲みをしていた時に、うじうじとうざ絡みをされて、琴子がキレるという事件があった。普通なら仲が悪くなりそうだが、結論として今も山口の相談相手として琴子が駆り出されているのだ。


 落ち込む山口は、ウジウジと口を尖らせながら話し出す。


「マッチングアプリで誠実に書いたし、ちゃんと初デート用にお店もリサーチした。なんなら、ちゃんと自分の足で運んで、良さそうな店なのも確認してる」


 随分成長した。全て琴子がかつてキレながら、是正していった箇所である。お店を選べと言ったら、とんでもない坂道を十五分以上歩く羽目になったとか、店に行ったら広告詐欺の不味さだったとか。

 山口の失敗をたくさん知っている琴子としては、我が子の成長を感じていた。琴子は、なんとも自慢げにうんうんと相槌をする。


「それで、当日来たらめちゃくちゃ可愛い子でさ、テンション上がってめっちゃ話して、もう張り切ってお店連れてったらさ」


 そこまでしたら、大きな失敗はない。そう思っていたが、酷く萎んでいく声。最終的には呟くように話した。


「こんなランク低い店イヤッって、奢ってくれるから来たのにって。しかも、可愛くしてきて損した、とまで言われたんだぜ」


 随分ボロクソに言われてるではないか、琴子はそこまで聞いて、嫌な予感が脳裏に過る。


「……山口、まさか、大事なデートにわざわざ、ラクショクドウ選んだとかじゃないよな?」

「そ、それはない! 流石に! 今流行のそれはしないよ!」


 ラクショクドウデート。少し前に、SNSでラクショクドウでも美味しく食べてくれる彼女が素晴らしい、というイラストが流れたのだ。

 それが何故か、「ラクショクドウでデートとか舐めてるのか!?」という話になり、物凄く大きく荒れたのだ。

 その結果、学生の間で可愛く着飾った彼女をサプライズとしてラクショクドウデートするという、ショート動画ムーブメントに今なっている。


「よかった。もしやらかしてたら、私は帰るところだった」


 社会人にもなって、初デートの場所にラクショクドウなんてわざわざ選んでいたら、「お前もう恋活という船から降りろ」と言っていただろう。


「やらないよ。でも、本当にいいイタリアンのお店でさ、たしかに高級レストランじゃなくて、こじんまりとしたお店だったけどさ……食べずに帰っていって、俺一人で食べたよ……」

「ああ、それは……今度教えて食べに行くわ」

「教えるから、今は俺の何が悪かったか教えてくれよ」


 そう落ち込む山口を尻目に、琴子は店員からおつまみを受け取る。白メンマとサラダチキンは琴子にとって、この店オススメの商品。

 山口にどう声を掛けようかと悩むふりをして、白メンマのシャキシャキとした歯ごたえを少し楽しむ。ごま油と塩気。塩昆布も混ざっているのも最高だ。じわっと口に広がる旨味に頬が落ちそうである。


「おい、鹿野田」

「なによ」

「メシ楽しんでるだろ」

「あ、ばれた?」


 ジト目の山口に、琴子はおどけたように肩を竦める。仕方ないなと思いつつ、すでに切られたサラダチキンを一口食べた後、彼の悩みに対して助言をしようと口を開いた。


「簡単よ、恋愛市場における、需要と供給が噛み合ってなかっただけじゃない」

「需要と、供給」

「そう。山口としては、こじんまりとした店でも楽しんでもらえる子と付き合いたい。でも、その子は高級レストランに連れて行ってくれる金持ちがいい。その女の子の断り方は、正直角が立つけど、まあ無駄に奢らされてお断りよりマシよ」


 スパンっと言い切る琴子に、山口は思わず目をパチクリとする。たしかに、あの時点で断られたため、自分一人分の食事代で済んだのは確か。


「需要と供給……仕事以外で聞くことになるとは」

「何事もそうよ。あんただって、マッチングアプリのプロフィールで、自分が好きな子選ぶでしょ?」

「選ぶ、わな……」

「その子達もあんたを選んでるわけ。なんなら、検索条件とかで絞り込みして、需要ない子を見えないようにしてるでしょ」


 山口は確かにと思いつつ、自分の選び方を思い出す。同い年から年下、スレンダーで可愛い子がいい。そして、ついでにゲームや野球を好きな子がいい。実際にフィルタリングと呼ばれる絞り込み機能で、自分が好きなそうな子だけが見えるようにしていた。

 でも、それはあくまでも汎用的なフィルタリングであり、実際の個人を絞り込むことはできない。


 こじんまりとした店で楽しみたい山口。

 高級レストランで食事をしたいその彼女。

 うん、噛み合わない。逆にお互い噛み合わないまま時間を過ごしても、良い事は何もない気がする。琴子に言われた言葉で、少しずつ心の中で吹き荒れていた嵐が和らいでいく。


「なあ、需要と供給があってるなら、ラクショクドウデートでもいいのか?」

「彼女がそれでいいって言うなら良いんじゃない。ただ、サプライズはやめなとは思うよ」

「なんで?」

「ただでさえ、サプライズだからとワクワクしてデート来たら、なんとラクショクドウでした〜! なんて、正直落胆するよ。激安居酒屋、サプライズする社会人の男ってどうよ? 心象どうよ?」


 琴子に尋ねられて、山口はそれを考えてみた。たしかに、サプライズとして連れてかれた先がラクショクドウというのは、男同士のふざけ合いならまだわかる。しかし、社会人の恋人からやられたら、少しキツイ気がしてきた。


「例えば、予約したお店が臨時休業とか、季節限定メニューが食べたいとか、ちょっと休憩がてらとか、夜遅くで店がないとか、そういう時にラクショクドウを使うのはいいと思うよ。相手もそれならわかってくれるよ」


 琴子は次に届いた唐揚げを口に運ぶ。味がしっかりした唐揚げだ。この塩味が酒を進ませると、デコポンサワーを飲んだ。


「その上で、特別な日を相手とどう過ごしたいか、ちゃんと考えて合わないならそれまでだよ」


 山口はたしかにと納得する。今までの失敗は、自分の想像力不足で起きていたもので、正直どう過ごすべきかあんまり考えてなかった。

 けど、今回はしっかりと考えた上で、合わなかったのだ。根本的な価値観の相違というのを、勉強した気がする。山口は目の前にあったポテトサラダを一口食べる。ごろりとしたじゃがいもとミックスベジタブル、きゅうりが美味しいポテトサラダ。

 美味しいご飯が食べれると、安心した山口。そんな山口の前で、琴子は口を開いた。 


「ただ、まあ、私としては可愛くしていったのが無駄っていうのが腹立つけどね」


 予想外な言葉だった。


「え、そこ」

「そこだよ。だって、考えてみなよ。可愛い自分であることを、目の前の他人・・に価値が左右されるなんて最悪だよ。冠婚葬祭ならまだしも、デートで可愛くしてったのに、その努力を山口の店選びごときで無駄になるなんて勿体ないよ!」

「え、えー……」


 琴子はジョッキに口をつける。流れ込むのは氷が溶けたデコポンの香りがする水だ。


「自分が作った可愛いの価値を、他人の行動に委ねるなんてロクなことはない。

 自己満足最高、私が私を可愛いと思ってる最高」

「なるほど」

「それにね!」

「まだ続くんかい」


 終わったと思った琴子の説教じみた言葉。よってきた琴子は、本当に口がよく回りに回る。相変わらずだと山口が思っていると、その山口の顔を琴子はムギュッと両手で掴んだ。


「相手のために可愛くしてきた、店を選んだ、なんて結局自己満足なんだよ。相手から見返りがほしい、何かしら得したいって、相当図々しいでしょ。勿論自分が望んだ結果になればいいけど、そうならない覚悟もしないとよ。店選びも、可愛いも」


 顔を掴まれた山口は言葉を詰まらせる。たしかに、相手のためにと思って準備をしたが、結局は自己満足でもあるというのは確かだったからだ。自分のことを気に入ってほしい一心で選んだのだから、相手のためといいながら自分のためだったのかもしれない。山口は真剣に琴子を見つめると、琴子はその熱い視線に困ったのか、やっと山口の顔から手を離し言葉を続けた。


「だからこそ、優しく相手を思いやれるってのは大事なんだよ。自己満足とは言え、やっぱ褒めてもらえるのはボーナス来た!って感じはあるよ。だから、それが出来ない相手と付き合うのは難しいかなあ、やっぱ」


 当たり前で、そして、もっとも忘れがちな事。


「そうだよな……やっぱ、琴子すごいよ、お前」


 山口はぽつりと呟きながら、まだ少し残っていた苦いビールを飲み干した。


「俺、次デコポンサワーにして」

「え、珍しい」

「なんか、さっぱりしたい。琴子は何にする?」

「ファジーネーブル飲むかな、甘いもの飲みたい」


 山口はやってきたデコポンサワーを飲む。デコポンの甘酸っぱい果汁が口に広がり、少しだけつぶつぶした食感が不思議な感じである。


「美味しい?」


 琴子はにっこりと笑いながらファジーネーブルを飲んでいる。なんだか、その姿は山口の目にはちょっとだけ可愛く映った。


「ああ、美味しい。デコポンサワーありだな」


 新しいことを教えてくれる琴子に、山口はにっこりと笑い、嬉しさを伝えた。



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お前のための可愛いじゃねぇ! 木曜日御前 @narehatedeath888

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