第4話 大波に乗るのも人生
「先輩〜! おはようございます!」
東京、茅場町の朝は早い。駅から十分ほど歩くとんでもないビルにあるオフィスの一室で、琴子は今日も元気な後輩・山田
「おはよ。お、今日は新作?」
「おおおお! 気づきました!? そうです、メリーベアーの新作、ツイードセットアップなんです!」
気づいたことに嬉しかったのか、後輩はくるりと回って服を見せてくれる。
ソルベカラーのブルーが可愛いツイードのセットアップ。金ボタンが適宜きらきらと光り、可愛い。靴は滑らかなスパンコールが薄っすらとオーロラに光る。
「ツイードとスパンコール、金ボタンにソルベカラー。あと、髪も今年のトレンドにしたんです! また、新しい自分に出会えた気分です!」
「あ、カバンもかわいい、キツめのピンクってどう入れるのかっておもったけど、カバンで外すのもなかなかいいね」
「先輩〜! お目が高いです! 先輩のコーデにも絶対このビバ・マゼンダ、ハマりますよ!」
鞄は外して、マゼンダカラーの半月型バッグ。たしかホーボーバッグと言って、今年のトレンドだと雑誌で見た。マゼンダカラーと言っても、このカバンは今年の色ビバマゼンダと呼ばれる濃い赤と青みピンクを混ぜたような色のカバン。幸恵は褒められたのが嬉しいのか、ぐっと親指を立てて嬉しそうに笑う。
メイクはヌーディではあるが、少しばかりピンク味のあるメイク。
髪型は韓国風のロングで、透けた前髪とくびれたカールが可愛い。アッシュグレージュで落ち着いた印象を作ってるのも良い。ヘアスタイルのトレンドは分からないが、彼女がその髪型にしてるならトレンドなのだろう。
「いや、すごいわ」
お見事な手腕。琴子としては、幸恵のこのトレンドを組み込む力はすごいと思う。それに、毎シーズンどころか、着回しもまた完璧の彼女に、琴子は素直に驚ろかされる。
「にひひ! あ、そう! 私、先輩の手持ち絶対合うと思う服見つけたんですよ〜! お昼ご飯一緒どうです? 流行りの店、最近この近くにも出来たところですし」
目をキラキラに輝かせる幸恵。やはり情報通だからか、この周りのことにも詳しい。東京の孤島のような立地なビルでも、こんな楽しいことをキャッチしてくるのは面白い。
「お、いいね、行こうか」
もうそろそろ始業の時間、お昼に楽しみが増えたなあと思っていた。
私達の仕事は、医療系ITな中小企業の人事。人事と言っても、主には新卒採用をこの二人で担当している。今も近々ある新卒向けの合同企業説明会の準備をしていた。
(本社のいいところ、私にはあんまりないけど、山田さんは見つけてくるから凄いよなあ)
素直に感心しながら、自分のデスクに向き合おうとした時、自分の視界に映ってはいけないものが見えた。
「おはようございます、鹿野田先輩。山田さん」
「おはよう。
それは、琴子にとってはもう一人の後輩であり、幸恵にとっては一応同期である彼女・
アシメントリーに斜め切りされた前髪に、美しいネイビー色且つ、ちょっと丈やデザインが個性的なスーツ。それに合わせたのだろう派手なブラウスがよく似合っている。
でも、朝からは会いたくなかったな。
ただ、正直、彼女は二人にとって少々鬼門であった。
「ふうん、またトレンドね」
幸恵を見たエマは、なんとも小馬鹿にしたような表情をした後、琴子に向き直る。
「先輩は、相変わらず無難ですね」
エマはそれだけを言うと、さっさと自分の持ち場へと戻っていく。怖いもの知らずの彼女は、この会社の企画営業であり、なかなかに後輩ながら遣り手だったりする。
今は新規の企画を立てており、彼女の「他とは違うなにか」を見つけてくる力はすごい。
だけども、どうしても悪い癖があるのだ。
「なんでわざわざ、人事来るんでしょうかねぇ」
「さあねぇ」
そうゆるっと話す幸恵に、琴子は思わず苦笑いする。彼女は、多分だが幸恵のことが嫌いで、幸恵の仲良い先輩である琴子の事も、あまり好きではないのだろう。
彼女は、個性的なファッションが好きであり、正直企画営業にしては派手な部類だ。ただ、今彼女が行っているのは、うちのIT技術をファッション業界と提携することらしい。
詳しいことはあまり分からないが、もっと客層を増やしたいと思っているのは伝わる。
客からの受けは良いみたいなので、誰ももう彼女の服装には何も言わないが。
琴子はそんなことを考えながら、メールボックスを確認する。この前も一次面接の結果を一人一人に返さなければならない。
お祈りも、次への進むメールも。一人一人の履歴書や、面接の様子を見て、判断された結果を彼らに伝えないとならない。
これだけで、わかるもんなのかね。その人の良さなり、個性なり。
世知辛い世の中ではあるなあと、琴子はこの作業をするたびに思ってしまうが、これが社会なのだろう。
この後は、合同企業説明会に参加してくれる先輩社員たちともこれから打ち合わせもあるため、腹を括って今のうちにやるしかない。
琴子は少し遅めだが、先程のことを振り払い、仕事モードに切り替えた。
そうすれば、あっという間にお昼休み、少し前になった。
「先輩! 行きましょう!」
すでに楽しそうに立ち上がった幸恵。うちの会社は調整さえすれば、昼休みの時間は多少融通が効く。琴子はそんな彼女に案内されるように、お店へと向かっていく。ビルの裏側にあるちょっとした路地を抜けていくと、一つの古民家の前に辿り着く。その店からは良い焼いた肉の香りがした。
「ここです!」
そう言って案内され、カウンター席に座る。シンプルにハンバーグ定食のみで、ソースだけが選べるそうだ。
「豆腐ハンバーグなんだ」
「はい、ヘルシーなんですけど、豆腐とお肉の配合が最高らしいです。ちなみに、おすすめはおろしポン酢ですが、先輩はタルタル好きでしたよね」
「え、タルタル……あ、あるね、いいね、タルタルにしよう」
幸恵は楽しそうに笑う。お店の人はすぐにカウンターの中にある鉄板で焼き始めた。
「あ、そうそう、これ、見せたかったんです」
そう言って、後輩が見せてきたのは、鮮やかなコバルトブルーの服たち。
「今年、ビバマゼンダも流行りですが、コバルトブルーも人気になるっぽくて。先輩、ブルベ冬でしたよね? めっちゃ似合うと思うんです!」
「わあ、このワンピース可愛い。このトレンド取り入れられる気がする」
「えへへ、あとですね、ブラックのスパンコールバッグも見つけて、これよくないですか? トート型も流行るんですよ〜」
幸恵はたくさんスクショしてくれたのか、何枚も写真を私とのメッセージのアルバムに入れてくれる。幸恵が後輩になってからニ年目にはなるが、こうやって情報を集めてくれるのは助かっていた。
「助かるわ、なかなかここまで出回んないからさ」
素直に画像の可愛い服たちを見ながら、琴子がお礼を言うと、幸恵は嬉しそうに笑った。
「いや、こちらこそです。私、先輩居るから、ここまで吹っ切れたんですよ」
「え?」
予想外な幸恵の言葉に、琴子はスマートフォンから幸恵へと視線を向ける。幸恵は口元に手をやって、戯けたように笑う。
(私、なにかしたっけ?)
目をパチパチと瞬きを繰り返す琴子を他所に、カウンターで焼いていた店員から「お待たせしましたー!」と声を掛けられる。
いい匂いのハンバーグと、タルタルソース。琴子はそれに逆らう術を知らず、一旦は後でということでハンバーグを胃に収めにかかった。
「うーーん、普通でしたね」
「たしかに」
あっけらかんと話す幸恵に、琴子も素直に同意する。美味しいは美味しいが、値段の割にはまあまあ。流行りといえど、美味しいかは別物だ。ただ、そんなことよりも聞きたいことがあった。
「ねえ、さっきの、あれどういうことなの?」
琴子の頭の中には、幸恵の意味深な発言がずっと引っ掛かっていた。尋ねられた幸恵は、少し考えた後、「あぁ、覚えてないですかぁ?」と言ったあと、にいっと口を開いた。
「先輩、新人歓迎会で、私が雉子谷さんに『流行ばかり追ってて自分がない』って言われた時、『その流行りが可愛いと思って着てるなら、それも十分個性だろ』って言い返したんですよ」
「……新人歓迎会」
琴子は必死に思い出す。思えば、あの日は前日彼氏に振られて、新人歓迎会なのに飲みすぎていた気がする。しかも、あの時は服装も仕事も迷走しており、似合わないし好きでもないOLファッションをしていた頃だ。
「しかも、『他人を下げしてまで、自分は個性的だと主張しないといけないような個性、そんなん無いようなもんでしょ』って。先輩まじで、パンチ効いてました」
たしかに、女子トイレで変な絡みをされていた子をかばった記憶もある。少しずつ蘇る記憶のせいで段々と青褪めあわあわする私に、幸恵は言葉を続けた。
「私、めちゃくちゃ救われたんですよ」
幸恵の顔は随分と晴れやかで、目もキラキラと輝いている。
「昔から、新しいものとか、流行ってるものとか、大好きだったんですよ。
テレビ番組も、アイドルも、習い事も。
とにかく、新しいものに出会えるワクワクとか、流行ってるものを皆で共有することが好きで」
昔懐かしむような言葉。なんとなくだが、琴子にもその幸恵の幼い頃の姿が目に浮かぶようだ。今もこうして、共有してくれるのは昔からだったよう。琴子はそう思いながら静かに話を聞く。
「そのせいか、私が次から次へと次のブームに好きなもの変えるから、皆から『愛がない』とか『美味しいとこどりのイナゴ』だとか、めちゃくちゃ言われて、すごく悲しかった時もあって」
その話を聞きながら、確かに幸恵の気持ちもわかるし、そう思ってしまう人もいるのはわかる。同じものを好きだった人が、他のものを好きになり離れていくのは、琴子も経験がある。
自分が置いてかれたのかと思う時も、この人ともう同じものを共有できないのかと寂しく感じる時もあった。
そして、同じように自分もまた違うものが好きになり、誰かにそう思われてしまったこともあるだろう。
「新しい可愛いものに目移りしちゃうの、どうにか直そうとしたんですけどね。無理です、だって、私は色んなモノに興味あるんですもん」
「まあ、好きなものなんて、自分じゃコントロールできないよね」
ちょっとだけ唇尖らして愛嬌たっぷりに話す幸恵は、やはり面白い子だ。少し面白そうに笑う琴子の返事に、幸恵は軽く頷いた。
「そうなんですよ。だから、あの時、先輩に言われて、新しいものを可愛いって思うことも、新しいものを着て新しい自分に出会うことも好きになったんです」
「新しい自分?」
「はい、新しい自分。トレンドが教えてくれる、チャンスだと思うんです。だって、トレンドが来なきゃ、それを知る機会も、そのトレンドの種類も増えないですもん」
幸恵はそう言い切り、横に並んで歩いていた琴子の顔を見つめる。琴子もその言葉の意味をなんとなく理解はしたが、幸恵は不安になったのか「えーっと」と考えた後、言葉を続けた。
「例えば、服だと、流行りものは皆同じと言っても、ブランドそれぞれでコンセプトや着こなしもありますよね。あとは、使いたい柄とか素材感とか」
「それはそうね」
たしかに流行りものといえど、それぞれのブランドにはコンセプトがあり、それに合わせる必要がある。ツイード生地が流行りといえど、そのカラーやデザインはブランドナイズされる。
「それに、自分の趣味嗜好も体型を当てはめるの大変じゃないですか? トレンドで固めるのも、めっちゃコーデ頭使いますし! この色使い、冒険でしょ! でも可愛いでしょ! って」
トレンドを組み込むという点に関して、たしかに難しいものもある。ビバ・マゼンダやコバルトブルーを普通の服に組み込むとなると、人によっては手持ちと合わない可能性もある。
お金もクローゼットも有限資源であるのに、その流行りが来年も続くとはわからないのだ。
「それに、
幸恵は私服でそういう服を着ているようで、SNSにコーデを上げていた気がする。
とても可愛いガーリッシュなY2Kなコーデは、琴子から見ても凄くよく似合っていた。
「というか、どんな服も流行したから、今も文化やジャンルとしてあるんだと思いません? そしたら、私みたいな流行り大好きマンがいたから文化があるんだぞ! って思うんです」
「たしかに。着物も、スーツも、ゴスロリも、パンクも、古着も、昔ブームとなって今は文化になったものね」
幸恵はドヤッとした顔をして、自信満々にそう話す。たしかに、どの文化もある程度広まったからこそ、今もあるのだろうと思う。
スーツだって、元は農民服だったものが動きやすいからと広まっていき、今の形に落ち着いたのだ。流行りだと乗っかった人たちがいなければ、大きく広がりを見せて今のスーツ文化になっていないだろう。
古着文化も、琴子が学生の頃にブームとなって今ではファッションの一つのジャンルになった。
「だから、私は、常にこう思ってるんです」
幸恵は、ビシッと親指を立ててキメ顔を決めた。
「今来てる
琴子はそんな幸恵の強さに、「最高!」と言いながら声を出して笑った。
その日の夜、琴子は気づく。
「あれ、もしや、雉子谷さんに嫌われてるの私?」
過去の自分の行いに、嬉しくもあり、悲しくもある日であった。
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