本文
とある宇宙を漂う青い惑星。古代人はティアと呼んだその星の周りには無数の粒子によってできたリングが回っているらしい。
だが、地上からは確認できない。数世紀前に打ち切りになった宇宙事業が今も健在であれば、人々にとって宇宙はもっと身近なものであっただろう。
青年は慣れ親しんだ通学路の真ん中で青空を見上げた。
電車が通り、ネットが繋がり、旧人類の生活に追いついた現在であっても人々は未だこの星から出られない。それが毎日のように胸に突き刺さって絶望する。
すれ違う人々の好奇の目が注がれているのが分かった。いつもの事だ。
切りそろえられた黒い髪にくすんだ青い瞳。肌は健康状態が芳しくないのか青白い。それが16年生きてきた青年の姿だ。
「どうしてこんな姿で…」
すでに何度目か分からないつぶやきを口にする。それでも姿が変わるわけではない。
青年は再びため息をついた。足取りはどこか重い。
このまま、バックレてしまおうかとも考えたがそんな大それた事も自分にできない。
気づけば、真っ白な校舎が目に入った。
第34上級学校。12からなる大陸の一つ。9の名を持つ地上に割り当てられたジャネス共和国にあるごく一般的な高等機関である。そこでは主に16歳から18歳までの少年少女達が通い、青春を送っていた。都心に位置する場所にあるとあって、生徒数は数百単位に上り、その全員がこの巨大な校舎に詰め込まれていた。だが、数年前の学生達に比べれば遥かに快適な生活を送れているはずだ。大講義室や食堂、寮生専用棟やパソコンルームやプライベート教室などが完備されたそこは一昔前の大学を思わせる。しかし、青年にはあまり居心地のいいものではなかった。
「あっ!テルファ人じゃないか?どうしてこんな所にいるんだよ!」
明らかに敵意と見下したような同級生の言葉が耳を通り抜けた。これもいつもの事だ。青年は彼を無視して通り過ぎる。
「おい!無視するんじゃねえよ。旧人類のくせに!」
同級生は青年の肩を強く押す。
その衝撃に耐えかねて青年は地面へと突っ伏す形になる。
「俺は旧人類じゃない。スカレ人だ…」
青年の言葉は弱弱しい。
「その見た目でよく言うぜ。俺たちと全然違うくせに」
同級生は青年の頬を強くひっぱたいた。まるで、バカな事言うんじゃないと言いたげだ。確かに目の前の彼、いや…この学校に通う全生徒が自分とは違う外見をしている。海を泳ぐイルカのようなツルっとした皮膚。赤や白、茶色などその色に個性はあれど、青年とは違い、尻尾や耳を持ち、眼も大きい者がほとんどだ。
「運動神経だってミミズ以下だろ?ビル一つ飛び越えられないくせに」
笑う同級生とその取り巻き達。確かに自分には無理だ。だが、運動能力の高いスカレ人だってビル一つ飛び越える者は限られているはずだ。
「ほら、そういう事だから旧人類はさっさと蜃気楼に殺られろよ!目障りだ」
そうやって、平気で見下す奴らが目の前にいるのに、反論できず肩をすくめるしかない。それが悔しくてならない。
「ちょっと、何してるの?」
突然、少女の甲高い声が廊下を響き渡った。
「何でもないよ。友人同士の交流だよ」
悪びれもなく彼は青年の肩に手を伸ばして言う。
「よく言うわ。イジメてたでしょ?」
「イジメだなんて。人聞き悪いぜ。俺はテルファ人は家にいた方がいいって言いただけだ」
「それがイジメでしょ。大体、お兄…じゃなかったフィーゴは先祖返りなだけ。れっきとしたスカレ人よ」
形だけの降参とばかりに手を上げる同級生。だが、明らかに反省していない様子の彼に少女の怒りはますます募っていく。
ああ、無駄なのにとフィーゴ・タナタは思った。この目の前の同級生は学年を牛耳っている。いわば勝ち組なのだ。その鍛え上げられた筋肉は他の者達とは違うという自負が感じられる。
そう。このガスター・グレスナーという青年はすべてにおいて勝っているのだ。
少女一人の言葉で揺らぐ事などない。
キンコンカンコン――
校内に響き渡る予鈴。
「ほら、授業が始まるぜ」
ガスターは踵を返して、教室へと消えていく。フィーゴはおもむろに立ち上がり、その後に続こうとする。
「フィーゴ!どうして反論しないの?」
黄色い髪をツインテールにした赤い肌の彼女はフィーゴに詰め寄ってくる。
「ああいう連中とはまともに取り合わないのが一番いいんだ」
「でも…」
「でももクソもない。そもそも、俺がテルファ人の外見をしているのは事実だしな。だから、レイラも気にするな」
「そんなのおかしいわ。大体、本当にフィーゴがテルファ人ならとっくに…」
レイラ・リワートはそこで口を閉じた。言ってはいけない事を口にしたような様子で動揺している。そんな彼女に微笑みを浮かべるフィーゴ。
「気にするな。それにあんまり俺と関わってるとお前も仲間外れにされるぞ!」
「そんなの私は…」
レイラの言葉を最後まで聞かずに教室へと向かった。
アイツは昔からなぜか俺になついていた。
当時はそれが嬉しかったが、今は昔とは違う。
俺とは一緒にいない方がいいんだ。
「およそ1000年前、この惑星は旧人類の物でした」
「テルファ人ですね?」
得意げにクラスメートの少女が手を挙げた。
「そうです。テルファ人は高い知性を持ち、文明の英知を極めました。彼らはその栄光は永遠に続くと思っていた。しかし、それは突如現れた空を覆う蜃気楼。我々がモルガナと呼ぶ霧の発生で終わりを迎えます」
「蜃気楼の中に含まれる特殊な波動が彼らの体に害を及ぼしたからです」
やはり、先ほどの少女が答えた。委員長に立候補するほどの向上志向を持ち合わせた彼女らしい行動だ。手をあげたがらない多くのクラスメートにとっては彼女は神様みたいな存在だろう。
「蜃気楼の発生理由は現在ではテルファ人が驕り、自然を蔑ろにした結果、生み出された自然現象の一つととらえられています。つまり自らの手で滅ぼされたと言っても過言ではないでしょう。ですが、スカレ人は違います。彼らから学びを得て、賢くなったのです。その証拠に蜃気楼の波動は新人類である我々に害を及ぼす事はないのです」
教師の演説の最中にも複数の生徒達の視線が注がれているのを感じていた。
まるで、1000年前の当事者であるかのようにフィーゴを認識しているのだろう。
だが、こいつらは分かっているのだろうか。スカレ人の先祖は蜃気楼への耐性があった者達であると言う事を…。人類の生存本能とは恐ろしい者だ。絶滅の最中、自らのDNAを次代につなげるために必死だったのだろう。当時の人の姿を変化させて人々は生き残った。それがスカレ人だ。だから、彼らの中にはテルファ人のDNAも含まれている。
「タナタ君はテルファ人ではないのですか?蜃気楼の影響は受けないのですか?」
再び委員長の彼女が口を開く。ここまでくると、厄介きまわりない。
俺はできるだけ、静かに過ごしたいのだ。できれば、誰にも知られたくない。
そもそも、俺がテルファ人であれば、とっくにくたばっているはずだ。
上級学生にもなって、そんなバカな初等部の子供みたいな配慮のない質問を言うのか?
「タナタ君は先祖返りなだけですよ」
教師は微笑みながら答えた。
委員長は納得したように座りなおした。
これでしばらく静かになるだろう。
俺のような症状を持った人間は少ない。調べた限りでは100年前に一人いたと記録されているだけだ。
俺はテルファ人ではない。れっきとしたスカレ人だ。だが、本当にそうなのだろうか?
今でも小規模から大規模の蜃気楼は発生している。
それは現代人のスカレ人には台風とか大雨などの自然現象という認識でしかない。
体を破壊することはない。しかし…。
胸の奥からはい出しそうになる感覚に襲われ、いつものようにせき込む。
いつものようにこの体の奥を軋む感じは何なのだろう。
本当はテルファ人なのではないだろうか。日々、蜃気楼の波動にあてられて体に不調をきたしているのかもしれない。そんな不安がずっと頭をよぎっている。
「ああ…俺、20歳まで生きられるんだろうか」
フィーゴのつぶやきは空へと消えていった。
★★★★
青い髪をなびかせ、猫の毛並みのような白いボディがマントの下からのぞく。その人物は軽快なスピードでビルの合間を駆け抜けていく。
この瞬間は昔から好きだった。取柄と言えば、走る事だけだ。
家族は走るスポーツをしたらどうだと言った。
だが、そこに滲む落胆の色を見逃しはしない。
悔しかった。なぜ、自分は他の者と違うのかと…。
でもあきらめるものか。
太ももに収まった銃がカチャリと音を鳴らす。
「絶対やり遂げてやる!」
フードから突き出た尖った耳は風を感じるように左右に動く。
だが、歩く人々は誰も気づかない。
決意のまなざしを秘めた瞳は濃い紫色をおびる。
その人物に後はない。進むしかないのだ。
★★★★
一日とは早いもので悩みを巡らせている間に放課後になってしまった。
後は帰るだけだ。
『第九号室へ…』
頭の中に響く妙に作った感じの男の声が手招きをしているようだ。
フィーゴは今日何度目かのため息をつく。
そのまま、無視しようかと思ったが気配を感じて振り返る。壁と壁の間に光る物があった。あれば眼鏡だ。フィーゴがその光の元へと向かうが、小柄なその眼鏡…いやサングラスをつけた生徒は素早く姿を消す。というより、走っていく。
だが、フィーゴが再び進路を戻すと…
『第九号室へ…』
再び、頭に謎の声が響き渡る。それを何度か繰り返していた。
「もう、いい加減にしてくれ!」
フィーゴは叫び、速足で歩き出した。
その向かう先は校舎の裏手。部室棟を抜けたさらに奥、もう使われていない旧校舎の一角だ。
ここにいる生徒はやましい事がある奴だけだ。いくら、学校で浮いているとはいえ、不良になった覚えはないんだが…。
幽霊が徘徊していそうな木造を通り抜けて、たどり着いた先には“第九号室”という今にも外れそうなプレートがぶら下がっていた。
「サングラス先輩!」
勢いよく開けた先には、顔にあっていない真っ黒なサングラスをかけた小柄で男子生徒が優雅に座っていた。
「やあ…部員第一号来たね」
「いや、俺、部員じゃないです…というかアエシスを使ってテレパス送るのやめてもらえます?」
「そんな事した覚えはない」
「廊下と廊下の間から先輩の後ろ姿、ばっちり見えてましたよ」
「だって、しょうがないじゃん。僕のテレパス能力。1メートルが限界なんだもん」
「それもう、普通にじゃべった方が早いのでは?」
「それじゃあ、面白くない。というかそれじゃあ、君来てくれないじゃん」
全く悪びれなく答えるサングラス先輩の狼のような尻尾が小刻みに動いていた。
いたずらがバレた犬のようだ。
「ああ、こんな能力じゃアエシスある意味ないよな」
「それ、俺の前でいいます?」
アエシス…。それはスカレ人が持つ超感覚。蜃気楼がもたらした奇跡とも言われる。
その力は千差万別であり、空を飛んだり、特定の言葉をつぶやく事で事象を起こしたり、自然を操ったりなどできる。だが、先祖返りの影響が強いのか、フィーゴにはアエシスを扱えない。その力の源となる体内器官が備わっているのかも謎だ。
「何を言うんだ。君はテルファ人の期待の工作員だろ?」
「だから、俺はスカレ人なんですってば」
「ああ、いいんだ。スパイだもんね。正体は秘密にしておくよ」
フィーゴはサングラス先輩への反論をあきらめた。
入学当初からこの容姿のせいで、同級生から様々な感情を向けられてきたが、まさか斜め上をいく人がいるとは思わなかった。しかも先輩と来たものだから無下にはできない。
「正直、先輩のテルファ人存命論にはうんざりしますよ」
「そう言わないでくれよ。君だってスカレ人への反逆のために情報収集は必要だろ?」
すでに何度も繰り返した問答だった。
これがいわゆる拗らせまくった陰謀論者なのか。正直、まともに話が成り立っている気がしない。
「で、何させる気ですか?」
「おっ!話聞いてくれるかい?」
サングラス先輩は古びた地図を広げた。データ社会に逆行しているのも彼らしい。
「これはビルの解体工事中に見つかった地下トンネルだ」
「はあ…」
どう反応していいかわからず、とりあえずうなづいた。
「テルファ人存命クラブの人物が教えてくれたんだ。この周辺には旧人類が作ったとされる地下施設があるとね」
「まさか、それを探しに行くつもりですか?」
「当然だ。以前からこの辺りは幽霊スポットだったんだ。君の仲間の幽霊かもしれない」
「俺、死んだみたいに言わないでもらえます?というか幽霊って蜃気楼が見せる幻影ですよね?」
蜃気楼は主に空にカーテンのように発生する。その波動はスカレ人には無害だ。だが、一定期間その波動にさらされると電子機器などに不調をきたす。だから、旧時代に発達したとされる飛行機などの空にかかわる乗り物はこの時代では見られない。だが、なんとか空に上がろうする人々は存在している。民間で飛行実験などを行っている話はよく聞く。そして、そんな所からよく聞くのがUFO遭遇話だ。宇宙人を見たとか幽霊を見たという物は日常的だ。そしてその目撃日時に限って蜃気楼が出現する。だから、超常現象の類はこの蜃気楼による波動が見せる幻影だというのが一般的な見解だ。それは、空以外の場所で起こる小規模の蜃気楼にも同じ事が言える。
「それが真実とは限らないじゃないか。政府が何か隠しているとか思わないのか?」
「そんな超昔のテンプレSF映画の登場人物みたいな事言わないでください」
「ちょっと言ってる意味分からない」
フィーゴは異星人と話している気分になった。先輩が3年間、友達もなくこの忘れられた旧校舎に籠っているわけが分かった気がした。だが、学校で浮いているという点では自分も同じ分類だとも感じる。
「いいさ。君が一緒に行ってくれなくたって一人でテルファ人に会ってくるから。他の皆にだって自慢してやる」
「そういや。いつもいる奴らはどこへ?」
「今日は見てないな。全く。超常リサーチ部としての心構えができてない」
「いや、そんなクラブに属してた覚えありませんし、多分、アイツらもおんなじ答えじゃありません?いや、一人は知らないけど…」
「くっ!ああいえばこういう。やはりスパイである君から情報を聞き出すのは難しいか」
「だから、スパイじゃないですってば…」
何が流されているのか想像したくない腐った匂いが充満している。
この鉄製のパイプの先に漂う汚物への興味はこれ以上わかない。
「で、本当にこんな所に地下トンネルがあるんですか?」
「ある!」
サングラス先輩はゴーグルの下のサングラスをグッと持ち上げた。
この薄暗い場所で真っ黒なサングラスをかけているのも奇妙だが、さらにその上からゴーグルという仕様はヘンテコきまわりない。しかし、その服装はと言えば、山奥へと探検するような重装備だ。制服姿のフィーゴとの落差は否めない。
「やっぱり、俺帰っても…」
「ここまで来たのにそれはないだろう。フィーゴ君だって、地下施設が気になるからついてきたんだろう」
いや、俺が来たのは後でテレパスを使ってグチグチ小言を言われる可能性を排除したいからだ。という思いを口に出さずにいた。
この先輩に目をつけられてからというもの、日常はある意味で騒がしくなった。ただでさえ、この見た目のせいで難癖をつけられる事が多いのに、陰謀論者の関心を引く事になるとは思わなかった。だから、断じて、まともではないにしろ話し相手が見つかって嬉しかったからとかではない。あの空き校舎に向かうのだって、テレパスを使ってちょっかいをかけられたくないだけだ。そう言い聞かせつつ、先へと足を進める。
「でも、よくこんな所に入れましたね」
通常、人が入らないような地下だ。マンホールを開けて降りる事になるとは思わなかった。
「それもこの地図のおかげだ」
「テルファ人存命クラブとかいう謎の繋がりからのものですね」
「謎ではない。この世界の真実を知る者達の集いだ」
「ああ、はいはい。でも怪しいですよね」
「何!」
サングラス先輩はムッとした顔をした。
「だって、調べたんですよ。この辺りでビルの解体工事の事実なんてありませんもん」
そもそも、この街自体、出来たのはせいぜい30年という人工島だ。それ以前は海だったというのが知られている情報だ。旧人類の遺跡がビルの地下にあるというのはお粗末な話だと思わないのだろうか。
「ウフフ。そんな事か。テルファ人存命の可能性を示す遺跡が見つかったなんて事実。政府が明らかにするわけないじゃないか」
誇らしげに語るサングラス先輩。
なぜ、そんなに得意げなんだ?
マジで理解できん。
「はあ…あくまで、その主張で行くんですね」
フィーゴは先輩の顔をマジマジと見た。どうしてそこまでして、テルファ人存命論を唱えるのか不思議でならない。何より気になるのは…。
「あの、先輩。そろそろ、先輩の本名教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「それは言いたくない」
自分の持論を語る時は流暢なのに、なぜこの話題だけは頑ななんだ。
「いいかい。僕の事はサングラス先輩と呼んでくれ」
「はあ…」
「ほら、あったよ。入口だ」
毎度の会話の問答を繰り返すだけであった。
「どこです?」
「ここだよ」
満面の笑みをたたえて、サングラス先輩は汚れた壁を叩いた。
思わず首を傾げるフィーゴ。確かに一部分だけ、他の場所より薄い色ではあるが。
それ以外はごく普通の漆喰だ。
サングラス先輩はニヤリと笑い、慣れた手つきで壁を叩き始めた。
「ちょっ!もしかして、壁壊す気ですか?」
フィーゴは仰天した。
「この先にあるはずだ」
サングラス先輩はラリッたように先を進める。
「大丈夫なんですか?崩れたりしませんよね」
心なしか、埃があちこちから落ちてきている。
それだけで恐怖感が募っていった。
その間もサングラス先輩はどこから取り出したのか不明なスコップやら、謎の器具を片手に壁を掘り起こしていた。
「えっ!この壁脆すぎません?」
「これが旧人類の技術だ!」
「それ、スカレ人の先輩がいいます?」
「細かい事は気にしない」
「いやいや、そこは気にするでしょ。すべてがヤバすぎますって」
ごそっという音と共に床が抜ける音がする。目の前には先へと続く空間が広がっていた。
「マジ?」
「さあ、出発だ」
俺、もう帰ろうかな。
そんな言葉が頭をよぎる中、サングラス先輩は中へと入っていく。
「ちょっと、待ってくださいよ」
仕方なくフィーゴはその後に続く。
人一人通れるほどの空間を這っていく二人の男子学生という構造はかなりシュールだ。フィーゴはサングラス先輩のブヨブヨのお尻を目印に足を進める。
ずっと密閉されていたと思われるそこは妙な薬品の匂いで立ち込めている。
体に悪影響を及ぼさないのか?
一抹の不安を覚えるが、その直後、開放感が押し寄せてくる。
それと同時にフィーゴの体は宙へ浮き、気づけば地面に叩きつけられていた。
「イタっ」
「見たまえ!」
両手いっぱいに手を広げたサングラス先輩とそこには巨大な空間が広がっていた。
そして、何より不思議なのは明りらしきものがないのに明るい事だ。
中央には旧式のポータルらしき残骸も見て取れる。
明らかに人工物の仕様だ。
「ほら、やっぱり地図の通りじゃないか!」
先輩の声でフィーゴは緑の発行体をおびる光の先を見た。。
そこには子供の落書きのような壁画が描かれていた。
描かれている人は皆、彼と似た姿をしている。
正直、何を描いたものかは不明だ。だが、歩く人々であることは理解できた。
「やっぱり、テルファ人は生きていたんだ」
「いやいや。これだけでそこまで飛躍するのはどうかと思いますよ」
「何を言ってるんだ。この空間が何よりの証拠じゃないか!」
興奮状態のまま、探検するサングラス先輩。
「なら、仮にですよ。先輩の生存論を推すにしてもそのテルファ人はどこへいったんです?」
「ほら、そこは君。隠れてるんだよ」
「はあ…」
「だって、フィーゴ君だって侵入者がいたら隠れるだろ?」
「そんな機会、滅多にないですよ」
「おお、さすがスパイ!」
「だから、スパイじゃないですってば!」
「とにかく、君がテルファ人を呼ぶんだ」
「なんでです!」
「だって、見た目は彼らと一緒じゃん」
眼を輝かせるサングラス先輩にあきれるフィーゴ。思わず、頭を抱えてしまう。
ああ、もう付き合ってられない。
フィーゴは出口に足を向けた。サングラス先輩はそんな彼に気づかず、飛び跳ねている。だが、無数の線で構成された模様に足を乗せたその時、サングラス先輩の体は宙へと浮き、壁に激突する。
「先輩!」
振り返るフィーゴ。
「なっなるほど。侵入者を阻むトラップが仕掛けられていたか」
割れかけたサングラスをかけなおす先輩。
「こんな時まで謎発言するの控えたらどうです?」
フィーゴの問いに返す言葉はなかった。
とにかく、早くここを出た方がいいだろう。
フィーゴはサングラス先輩を担いで出ようとする。
「おっ重い…」
サングラス先輩の体は見た目よりも遥かに重く、背中にズシりとした感覚が伝わる。
だが、それを確認した直後、自分の体にも同じ感触がよぎった事に気づく。
「足が動かない」
動けず、その場にうずくまる。
なんでこんな目に…。
「はっ!なんだこれは?」
気づけば、周囲に紫のどす黒い霧が立ち込めていた。
「蜃気楼…どうしてこんな所に?」
その霧の間を駆け抜けるように無数の光が飛び交っていた。これが、噂の心霊現象か。サングラス先輩が気絶していなければ、歓喜の雄たけびを上げていた事だろう。
フィーゴはしばし、幻影の世界に身を投じていた。
だが、それもつかの間で終わる。
蜃気楼に交じって、不気味な鳴き声が耳を通り抜けたからだ。
ガガガガッル!
物語の世界に登場しそうな獣が姿を現した。最も恐ろしいのは頭がすっぽりと消えている事だ。変わりにデータコードが集められたような球体がうっすらと見えている。
「キモイ…」
思わず漏れた言葉に反応したのか、その頭3つ分とびぬけたほどの巨体がフィーゴに向かって走り出す。
「ヤバい!」
だが、フィーゴの予想に反して怪物が目を付けたのは、夢の中へと飛んでいるサングラス先輩だった。フィーゴに背負われていた彼の体はこの謎の生物の角の部分に引っ掛かる。
「先輩!」
どんなに叫んでも怪物はフィーゴに視線を向けない。サングラス先輩が乗った角を振り回し、彼を自身の頭の中へと収めようと必死になっている。
フィーゴは立ち尽くしていた。そして、サングラス先輩の体が怪物の腹の中へと納まろうとしていたその時、一筋の風が巻き起こる。
「ここ地下だぞ」
場違いな発言をしつつ、怪物に視線を向けるとサングラス先輩は怪物ではなく壁際に張り付いていた。
「どういう状況だ?」
フィーゴは思わずつぶやいた。だが、今一番気になるのはそこではない。
怪物に蹴りを入れた何者かが目の前に立っていたからだ。
衝撃で脱げたフードの下から現れたのは同年代ほどの女の子だった。
「なんで、こんな所に人がいるのよ」
「それはこっちのセリフでもあるんだけど…」
少女は険しい顔をしてフィーゴを見た。だが、その関心は体勢を整えた怪物へとすぐに切り替わる。
「やっぱり、シムラクルが現れたわね」
謎の単語を聞き流しつつ、フィーゴは少女の言動を見守った。
怪物は彼女にターゲットを絞ったらしい。
「見てなさい。私がアンタを華麗に倒してあげる」
少女はおよそ似つかわしくない二丁の銃を太ももから取り出し、怪物に向かって発射する。
だが、何発も命中しているにも関わらず奴は平然としていた。
いや、よく見ると、ほとんど当たっていない。
「命中率低くねえ?」
思わず漏れた本音を聞かれ、少女は銃口をフィーゴに向けた。
「アンタから先に殺されたい?」
反射的に手を上げる。
「いえ、遠慮しときます」
その間、怪物は大きなあくびをしていた。余裕ありすぎだ。
少女は再び、銃口をターゲットに向けた。だが、やはり、当たる素振りはない。
「チッ!」
舌打ちをした少女は次に背中に収めていた刀を取り出す。
「おお、剣客少女か」
カッコよくポーズを決める少女にただならぬオーラを感じ取り、ゴクリと唾をのむ。
「行くわよ。ハアアアっ!」
勢いよく走りこむ少女。その剣先が怪物の角に当たり、そして跳ね返される。
「まだまだ…」
少女は何度も剣を振り上げた。しかし、その一撃が決まる事はなかった。
「はあはあはあ…」
荒い息を整える少女。全身から疲れの色が見える。
フィーゴはおずおずと手をあげた。
「あの、さっきのノリだと華麗に決める所じゃないのか?」
少女は唇から垂れる血をぬぐう。
白い肌と相まって、ちょっと色っぽい。
て、俺何考えてるんだ。
危機的状況に陥って、謎な感覚が敏感になっているのかもしれない。
勢いよく立ち上がる少女。
「うるさいわね。私もそのつもりだったのよ」
そして、少女は再び怪物へと向かって走り出す。
だが、それよりも早く怪物が彼女を捉え、その鋭い牙を向けていた。
このままでは確実に直撃する。
「あぶない」
思わずフィーゴは少女の手を取って走り出す。その間、彼女は唇を噛みしめていた。
「やっぱり、私じゃダメだっていうの?私じゃシムクラッシャーにはなれなの?」
少女はうつむいていた。
「何わけわからない事言ってるんだよ」
しかし、フィーゴには彼女が意気消沈しているように思えた。
だが、それも一瞬の事で、
「いいえ。こんなの絶対認めない。認めないんだから!」
力強い言葉と共に少女は繋ぐフィーゴの手を振りほどいた。
「おい!」
フィーゴの言葉を無視して、少女は再び怪物へと向き直る。
「私はマリーン・ウィニーなのよ。こんな所で負けるわけにはいかないの!ウワアアアッ!」
刀を高く振り上げて、怪物に突っ込むマリーン。だが、空元気もそこまでであった。気づけば彼女はあえなく怪物の角に腹をえぐられていた。
痛みでマリーンの表情が歪む。そんな彼女に畳みかけるように怪物は勢いよく地面に叩きつける。このままでは少女の体は物のように冷たいそこに横たわる事になる。
フィーゴは寸前の所でマリーンを抱きかかえる事に成功した。
無鉄砲な彼女になぜか、腹がたつ。
「お前、バカなのか?あんなのに真正面から向かうとか…」
思わず、彼女の体から流れる血の大本を抑えていた。
「バカでもいい。バカでもいいから、私に力をよこしてよ。ゴホッ!どうして私じゃダメなのよ」
弱弱しくつぶやくマリーンの瞳からは涙が溢れていた。血の気が引いているにも関わらず握りしめる拳からは強い感情が伝わってくる。その悲痛なその叫びに彼女の事など何も知らないのに自身の不条理な現実と重なる。
そうだよ。どうして。俺がこんな目に?
俺が何をしたっていうんだ?
ここに来たのだってちょっとした善意のつもりだった。そのつもりだったのに…。
バカな陰謀論話の最終地点がこんな怪物との遭遇とか聞いてねえよ!
何もいいことない。クソッ!クソッ!。
体の奥底から怒りが湧き上がってくる。その発散方法が分からない。
ああ、気持ちが悪い。いつもと同じだ。体の中を何かが這うよう感覚。
気づけば、意識は朦朧としていた。だが、かすかに見えるマリーンの胸のあたりが光っている。そして彼女の体を抑える自身の手も同様だった。暖かな光だ。収縮した血管がひらいたようなそんな感じがする。この包まれるような感覚に浸っていたかった。
フィーゴの意識は途絶えたと思った。しかし…。
一瞬の沈黙の後、意識を取り戻した彼はマリーンを見上げる形となっていた。
「はあ?」
フィーゴはこの瞬間、二丁の大型の銃に姿を変えていた。
大切な部分に近い所にマリーンの手が握られている。
「ちょっ!これは…マズッ!」
「よく分からないけど、これなら奴を倒せる!」
見上げる彼女は高揚に満ちている。
「あの、人の話聞いてます?」
さっきまで死にかけていたとは思えないほど、彼女はイキイキしていた。
「流していた血どこ行った!」
マリーンは怪物にフィーゴの頭部分となる銃口を向けた。
心なしか、彼女の指がさっきよりも強くなる。
「そんな強く握らないでもらえます。俺の身が…」
ドンッ――
「ひッ!」
脳天を貫くような衝撃と共に閃光弾が飛び出し、怪物の足に直撃する。
ガルルッ――
苦しそうな悲鳴を上げる怪物。
「やった!当たった!」
大喜びするマリーンと対照的にフィーゴは落ち込んでいた。
「俺の脳みそ吹っ飛んだかな…」
「ちょっと、アンタさっきからうるさい」
「えっ!俺の言葉届いてたの?」
「まあ、ばっちり」
「だったら、手をどけてくれよ」
「いやよ。グリップ以外どこも持てっていうのよ」
「まあ…そうなんですけど」
そこで言葉を区切るフィーゴ。モゴモゴと口を動かす。とはいえ、今は銃なので口はないのだが…。
「はっきりしないわね」
「その…君が持ってる部分。俺の大事な所に当たってると言いますか…」
「大事な所?」
「それ、俺に言わせます?」
「はあ?」
彼女はここまで言っても気づいてはくれなかった。頭にハテナマークでも浮かんでいそうだ。フィーゴは喉元まで言葉が出ていた。
君が持っているグリップ部分は俺の下半身なんだと…。
だが、音になる事はなかった。
ガルルッ!――
「今はそれどころじゃない。仕留めるわよ」
敵意をむき出しにしてくる怪物と視線を合わせるマリーン。
「俺の意見に耳を傾けてくれる気はないという事か。なら、せめて、さっきみたいに口だけにならないでくれよな」
一瞬、彼女の紫の瞳に睨まれる。吸い込まれそうな綺麗な色だ。いや、今はそんな事を思っている場合ではない。あまり、充実した日々とは言えないが銃になるってどんな人生だよ。
フィーゴは自身の運命を呪った。
ああ、俺やっぱり20歳まで生きられるんだろうか。
マリーンの手の中で脳天を貫くような衝撃に耐えつつ、フィーゴは嘆いていた。
彼の涙が銃となった体を湿らせている事に当事者どころか戦いに夢中のマリーンも気づく事はなかったのであった。
③旧人類の先祖返りの青年、銃になりました…。 兎緑夕季 @tomiyuki
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