第18話
それから、一年が経過した。
風教は、疎狂や酔狂が逮捕された事件の責任をとって、芸能界を引退した。すでに、活躍ぶりが目立つ、頓馬亭愛嬌に後を譲っていた。
僕は静岡の加藤邸から東京に戻り、一人暮らしを再開した。
僕と野江の関係は、事件の解決とともに冷ややかなものになり、今では職場の同僚に過ぎなくなってしまった。野江は、恋人同士だったため、僕のモテモテぶりに嫌気がさしていた。フェロモンの効果が失われるとともに、野江の僕に対する関心も薄れていた。
逆に、野江は加藤への憧れが募り、とうとう二人の交際がスタートしていた。
僕の方は、じゃじゃ馬娘、旋律と婚約した。
プロポーズの言葉は、リーガルズばりに「君の左手の薬指に蒟蒻指輪をプレゼントしたいけど、ぽこ、ぺん、ぺん」と、言うものだった。
旋律は「ほへっ、ほへっ、あなたからの大事な、大事なプレゼントだから嬉しい」と返してくれた。
勿論、蒟蒻指輪ではなく、本物のダイヤの婚約指輪を手渡した。
旋律は「これからは、あなたのために格闘する武道家としてではなくて。甘酸っぱいぶどう科のメロちゃんとして、あなたを大切にするわ」と宣言してくれた。事件の解決と同時に、旋律は言葉遣いも態度も、本来の女性らしいものになっていた。
ある時「あれは、メロちゃんの精一杯の演技なのよ」と野江は教えてくれた。
「俺は」と話す、男性口調や、僕に対する気のない素振りは、感情の揺れを抑えるために旋律が考えた手立てだと打ち明けた。そういえば、一緒にいる時間が長くなるとともに、旋律は、男性的に振る舞っていた。
僕の一人暮らしのアパートにある荷物は、すべて箱詰めされ、旋律と暮らす新居へと運び込まれた。僕のそれなりの量の本と、旋律の哲学書、格闘技の奥義書などの大量の蔵書は、一緒にまとめて、本棚に収められ、二人の写真は棚やテーブルに配置された。僕の愛用の食卓テーブルは、シングル・ベッドと同様に、生き残れなかった。テーブルには、しみがついているし、みすぼらしいと旋律が指摘したのが原因だった。
朝の最初の日差しが、僕らのいるベットルームに届き、旋律の顔の輪郭を浮かび上がらせた。僕は早起きし、テーブルの前の椅子に腰かける。陽の光が届こうと、どうしようと、僕の体には正常な化学反応が起きていた。
リビング・ルームには、僕が書いた詩を額縁に入れて飾っていた。これは、僕の現在の心境を綴っていた。
「『天国とは』
いつも下を向いていたら
お日様のありがたさに気がつかない
いつも悩んでばかりいたら
世界の美しさも色あせる
いつも愚痴ばかりこぼしていたら
この世が、実は天国だということを
見落としてしまうだろう」
僕は、ひらめきの天才だとよく言われる。誠実な人柄だとも――。特に、何か工夫があるわけじゃない。知らない物事については、知ったかぶりをしない。毎日の習慣で、想像力を膨らませる。僕は、イマジネーションこそが、クリエイティブな発想の原材料だと思っている。
旋律も、僕のそんなところに惹かれていた。
ついでに、伝えておこう。
僕と旋律の関係は、フェロモン物質などが作用しなくても、亀裂が入らない未来を確信している。
間違いなく――。(了)
世之介症候群 美池蘭十郎 @intel0120977121
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