第17話
旋律は、何事もなかった様子で、一人で飛び込んできた。後には、見事に縛り上げられた疎狂と酔狂を従えていた。二人の男は、旋律に腕をねじり上げられると、悲鳴に近い声を出した。大物が捉えられて泣きを入れていた。
これで一件落着かと思ったが――。
四人の大男が僕の方に手を指し伸ばし、掴みかからんばかりに突進してきた。
旋律は、ひらりと空中を飛んだかと思うが早いか、次々と技を繰り出し、男どもをなぎ倒していった。
残るは女格闘家、二メートルを超す大男、メガネをかけた身長百五十センチどうかの小男の三人となった。
野江は、近くの隠し扉から、物干し竿を取り出し、加藤に手渡した。野江が「メロちゃん」と叫ぶと同時に、加藤は物干し竿を天井に向かって放り投げた。旋律は、格闘技の達人だが、もっとも得意とするのは、宝蔵院流の槍術だ。旋律は、宙に舞い上がると、物干し竿を受け取り、男の足を払い、勢いよく突きを繰り出した。
女格闘家は手にヌンチャクを持っていた。女は僕の姿を見つけると、急に可愛らしい声を出し「あとでね」と、ウインクした。
それを横目に見た後、旋律は「五十嵐、ここで決着をつけよう」と、女の陰に隠れていた小男に挑んだ。
小男の目は、遠視のメガネの表面を、水槽の中の金魚の有様で泳いで見えた。
「ええっ、そいつが五十嵐なの」僕は、思わず叫んでいた。そいつの見かけなら、僕でも一発で倒せる相手だと思った。
旋律は「見かけに騙されるな。裕司、そいつには近づくな。奴は人の気配を読み取れる」と叫ぶと、ほんの数秒で大男の次に、ヌンチャクを持つ女を倒していた。
旋律は、女を殴らない主義だった。相手が格闘家となると、話は別だ。
五十嵐は、相当に手ごわかった。旋律は槍術の技で立ち向かうのに、奴は一度も捉えられない。それどころか、旋律に突きや蹴りを繰り出し、ギリギリのところでよけさせていた。間合いは、どんどん詰まり、とうとう旋律は得意の槍術をあきらめ、物干し竿を放り出すと素手で戦い始めた。
しばらく、技の応酬が続いた後で、旋律は倒れてしまい、そこを目がけて、五十嵐はかかと落としで、とどめを刺そうとした。旋律の美しい顔面に、奴が垂直に振り下ろしたかかとが、突き刺さったと見えた途端に、旋律の姿は消えていた。
旋律は、隠し部屋の向こうに転がり込んでいた。
五十嵐が、僕の姿を見つけ、こちらに足を一歩踏み出したと思う間もなく、再び旋律が目の前に登場し、今度は見違えるように五十嵐を相手に、「パンパン」「パパパン」と、左胸、コメカミ、顎に左右のパンチをあて、脇腹に右回し蹴りを放つ連続技を炸裂させていた。
五十嵐は床に倒れ、気絶した。
旋律は最強の敵、五十嵐に勝てた理由について、意外な真相を語った。武道の達人旋律は、咄嗟のタイミングで「合気道の開祖、植芝盛平先生のエピソードを思い出した」と真相を語った。
植芝盛平は、ピストルを前にしても、軌道を読み取り、避ける能力があった。実際、植芝は、当時の陸軍砲兵隊を前にして、見事に銃弾を避けていた。
これには、後日談があり、噂を伝えられた猟師が「ワシなら命中、できる」と、植芝氏に挑戦した。いざ、決戦の場に立ち、さすがの植芝盛平先生も、あっさりと負けを認め「あの男には、まったく殺気がない。ただ、ワシに銃弾をあてる以外、念頭にない。あんな男には勝てない」と、脱帽した。
旋律は、エピソードにヒントを得て、五十嵐を目でとらえ殺気を消し去り、ただ当てるためだけに、技を使っていた。
リーガルズたちは、加藤や野江が知恵を絞り、旋律が戦う間、「怖い、怖い」と震えながら、隠し部屋で動けないでいた。
天道の標的の僕でさえ、大広間にとどまり、成り行きを見守っていたのに――である。
リーガルズは、判児がまず「何かあったら、奴らを笑わせて腹痛にして、病院送りにする戦術を考えていた」と吹くと、検児がそれに合わせて「ぽこ、ぺん、ぺん」とギャグを放ち、おどけた。それを受け、法児がずっこけて見せてくれた。
応援メンバーの五人は「力を合わせて、天道の連中を言葉で説き伏せようと思っていた」と、非現実的な戯言を口走った。
リーガルズの三人は口をそろえて「だよねー、だよねー」とギャグを飛ばした。
平和な日常が、戻って来そうな気がした。僕の世之介症候群が完治すればだが――。
疎狂の奴を脅かし、天道の隠れ家を突き止めた。
知麿は、ホテルに連れて来られてはいなかった。
隠れ家の地下室に閉じ込められていた知麿は、僕らの姿を見つけると
「酷い乱暴をされちゃった」と、泣きべそをかいた。
「裕司さん」知麿は戸惑いながら、僕の方を見た。
「やっと見つけて、ほっとしたよ。知麿さん、もう大丈夫だ」
「助けに来てくれて、ありがとう」
「申し訳なく思っているのです。僕のせいで、知麿さんをこんな事件に巻き込んでしまった。本当にごめんなさい。それで、天道の奴ら、どんな仕打ちをしたのですか」
旋律は、僕の方を見ると、頭を横に振りながら近づき、
「裕司、それはいい。あとの事は、警察が解決してくれる。知麿さんには、ゆっくり休んでもらおう」と同意を求めた。
知麿は、お尻の穴までほじくられていそうな感じだった。ハンサムな知麿が、薄汚れた着衣のまま泣き言をいう姿は見てはいられなかった。
天道が人違いさえしなければ、僕が同じ目にあわされていた。僕も、情けなくなり、もらい泣きしそうになった。
藍愛はやっと、令状を取ってくれたので、天道たちは逮捕され捜査が進みつつあるように思われた。
事の真相は、利権がらみの話だった。今回の事件は、動物の繁殖の研究が大きな利権につながるため、実験データを盗み取るのが主目的ではなかった。それなら、僕を捕える必要などない。疎狂は僕と同様のモテモテ体質を身に着けて、選挙の時の女性票を狙っていた。
疎狂は「自分の背後には、某国の大物政治家がからんでいる」と白状した。
潤沢な資金提供を受けたうえで、実験結果を共に利用しようとするとは、疎狂はかなり強かだった。国際問題に発展すると、相手や状況によって、完全解決に時間がかかるのでかなり厄介だった。
中百舌鳥製薬から連絡が入り、白鳥取締役と米田博士が訪ねてきた。
白鳥は、僕に微笑みかけると「今日は、あなたに朗報をお伝えできそうです。生化学研究所の盛本博士と共同研究し、世之介症候群の治療薬が完成する見込みが立ちました。あなたにお会いして、直接話しておきたかった」と打ち明けた。
盛本も横にいて、何やら思案深げに頷いていた。
続いて、米田が「裕司さん、あなたの症状について研究しました。新薬を供給した後で、同様の症例が出ると、世の中はパニックになるでしょう。あなたが逃亡生活を送る間の急務として、研究を重ねていたのです。ただし、現段階であなたに提供できるのは、あくまでも抑制剤ですが」と、白鳥の方を見た。
「ええっ、また抑制剤」僕がガッカリしていると、米田は「今回のものは、デオドラント剤ではなく、世之介症候群の正真正銘の発症を抑制する目的で、創薬したものです」と付け足した。
白鳥は、言葉を選ぶような表情を見せながらも「抑制剤を毎日、服用して下さい。それと、服用を続けても、再発の可能性は残されています。あなたのようなケースは、極めて異例です。本来なら、新薬開発後に一般の方々に、同様の症状が出ないと考えています。ですが、野江博士に懇願されて、私たちで吾妻所長や、当社の代表を説得し、予算を出してもらいました。努力の結果、抑制剤を完成させたのです。いや、あとは、あなたに試薬を使ってもらい。作用機序を見るだけです」と、今度は苦笑して見せた。
盛本の説明では、クールでビジネス上の損得勘定しか眼中にない白鳥が動いたのは、製薬会社に対する風評悪化を怖れたのが原因だ。僕にまつわる今回の騒動は、新聞各紙やテレビでも報道されていたが、この状況でおさまりさえすれば、製薬会社にとって宣伝効果にもなると踏んでいた。
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