第16話


 加藤の作戦はこうだ。

 僕が旋律の援護を受けながら囮になり、ワイズ・ピープルズ・ホテル中野まで逃げ込み、七階の大広間に駆け込む。そこは、加藤が設計に関わったからくり部屋になっている。一気に、僕がそこまでたどり着いて、奴らを誘い込めば一網打尽にできるわけだ。

 作戦を成功に導くため、リーガルズのメンバーや、応援に駆け付けた連中がスーパー・リッチ・パーソンズ・ホテル中野で待機し、各自の持ち場で天道の動きに探りを入れた。

 応援に駆けつけてくれたメンバーとは、小心者でトラブルを嫌う生化学研究所の吾妻所長が「今回ばかりは」と、手配してくれたメンバーがたったの五人だった。

 しかも、吾妻から「決して暴力を振るわないよう。相手がどう出ようと、言葉で説得してくれ」と、無理難題を強いられていた。

 検児の話によると、大学の弁論部に入っていたものや、大手企業の渉外担当などの弁が立つ連中を選んでくれたが、どいつも腰抜けで役立ちそうにもなかった。

 宿泊中の天道の一味や、疎狂、ボディーガードで格闘家の五十嵐はホテルの一七〇七号室から出ていなかった。見張り役や、他の奴らがどこに潜んでいるのかも、リーガルズたちが内偵してくれていた。

 まだ、藍愛は、疎狂宅の捜査令状を取り、家宅捜査を実施していなかった。被疑者の疎狂に伝わった場合の証拠隠滅の可能性と、守秘義務、公務員としての立場から、捜査の時期についての詳細は、明かしてくれないのだった。もっとも、令状を取る予定自体が、部外秘でもあった。警察当局は、今すぐには動いてくれそうもなかった。

 スーパー・リッチ・パーソンズ・ホテル中野の正面ロビーには、人相の悪い男どもが三人いて、通りに睨みを利かせていた。他には、早朝からチェック・アウトするためなのか、五~六人の男女の姿があった。

 僕の奇跡の時間が、まだ続いていることを期待した。僕にとっては、悪者どもの存在の脅威よりも、女たちに纏わりつかれる方が、脅威になる事態が多かったせいだった。

 野江博士のご高説では「あなたのフェロモン物質が作用する女性は、確率的に七十一%前後だから、たまに反応しないケースがあるのよ」と、指摘した。

 加藤と野江は、厳しい表情でお互いを見交わした。

 加藤は「気合を入れていきましょう」と、喝を入れると、今度は僕と旋律を見て「今回の成否は、あなたがた二人にかかっている」と、付け加えた。

 加藤、野江、旋律の三人、つまり、僕以外の頭脳はロビーから正面突破する意見で一致した。

「それって無謀すぎるよ」と僕が反対すると

 加藤は「まあ、見ていなさい。あの様子なら、私たちの方に勝算がある」と自信満々に答えた。

 さらに、加藤は「私と野江さんはここで、準備にかかるためワイズ・ピープルズ・ホテルに戻ります。あとで、大広間でお会いしましょう。くれぐれも、油断だけは大敵です」と、指示するが早いか、くるりと背を向けて、野江についてくるよう促した。

 ロビーに入るなり、見張り役の三人は、僕の存在に気が付いた。その瞬間の出来事だ。ロビーにいた三人の女が僕に駆け寄り、あとを連れの男が追いかけてくる。僕は百メートルを十一秒内外で走れる俊足だった。

 旋律が機転を利かせて、男女六人の客が後をつけてくるのを制止している間に、表通りに出た僕は、ワイズ・ピープルズ・ホテルに舞い戻り、エレベーターに飛び乗ると、七階のボタンを押した。

 追手の男たちは、ロビーにたどり着くと、僕の姿を目視で確認し、さらにエレベーターに近づくそぶりを見せたものの、ドアの方が早く閉まった。

 エレベーターは計八台あり、一階からすぐ乗れそうなものが五台稼働していた。この状況だと、どちらが先に七階に到着するか分からなかった。

 七階につき、大広間にたどり着いた後も、天道の配下のものたちは、すぐには姿を現さなかった。

 大広間には、旋律の方が先に到着した。

 旋律は「三人の男のうち二人は縛り上げ、一人だけ逃がしておいた」と、状況を告げると「アハハハハ」と楽しげに笑った。

 スーパー・リッチ・パーソンズ・ホテルは、旋律が最も恐れる、屈強な五十嵐がいるのに――この余裕は一体何だ――と、呆れるしかなかった。

 加藤たちの作戦では、配下の一人を意図的に逃すと、疎狂や五十嵐に情報が伝わると見ていた。奴らが、血眼になって探していた僕の居場所を知り、捕まえるために、 ワイズ・ピープルズ・ホテルの大広間まで、確実にやってくる計算だった。

 加藤は、天道の奴らが勘繰らないための仕掛けで、七階にある二つの大広間の一つに旋律一人を配置し、もう一つの大広間に加藤、野江、リーガルズ、吾妻所長が寄越したメンバー、僕の総勢十一人が待機した。

 僕が待機する大広間は、加藤がつくらせたカラクリ部屋だった。隠し部屋、隠し扉、床下の抜け穴などのギミックが仕掛けられていた。加藤はステージ・マジックの腕前はプロ並みだと聞いていた。天道の一味を大広間に追い込めば、奴らから、僕が逃げ出せるだけではなく、一網打尽にもできる目論見だった。

 天道たちは、総勢五十人前後で、押し寄せてきた。天道一味の五十人前後の男どもの中でも、身長百九十センチはある筋肉質で俊敏な動きをする男たちが数人混じっていた。一人だけ、女格闘家と思しき人物がいた。僕は五十嵐の存在が気になっていたため、飛びぬけて大きい身長二メートルを超える大男を五十嵐だと思った。

 二メートルを超す大男なら、どんな相手が立ち向かおうとビクともしない。それにしても、五十人のうち二十人前後がプロの格闘家だった。疎狂の人望や組織力、資金力は侮れなかった。僕の頭の中には剣豪・荒木又右エ門が鍵屋の辻の決闘で、三十六人を敵に回したシーンが浮かんでは消えていた。

 僕は加藤に手招きされ、大広間の奥に立ち、天道たちと向き合った。加藤に耳打ちされた通り七歩だけ後退りした。

 加藤は、敵の目を欺くために、手のひらに乗せた野球ボールをふわりと浮かび上がらせると、大広間の壁の一か所を目がけて勢いよく腕を振り回した。ボールが壁に当たり、「トン」と、音が聞こえた。

 すると、ちょうど真ん中あたりにいた四十人前後の男が目の前からスーツと姿を消した。床下が二つに開き、奴らが落ちた後、すぐさま閉じた。目の前にいるのは、七人だけとなった。

 僕は、もう一つの大広間にいる、旋律の様子が、気がかりになった。

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