〇第四十四話 天満月


「うわ、きれい……」

 思わず雛子は歓声を上げた。


 鳥居をくぐると、参道の石灯籠いしどうろうに灯りが入っていたのだ。


 温かな色の光は周囲をぼうと照らし、その石灯籠がずっと参道の先まで続いている。石灯籠が途切れた場所が、出口なのだろうとわかった。


《結界だと昼も夜もなくて、石灯籠に火は入れなかったがな。現世うつしよで暮らすとなると時間がめぐる。それに合わせて灯りを点したり、消したりしなきゃならないから、面倒くさいのだ》

 クロはぼやいたが、その声はなんだかうれしそうだった。


 黄色い光が参道に敷かれた石畳に反射して仄明るい。狐の嫁入り、という怪奇現象を昔どこかで聞いたような気がするが、そういうことが本当にあるなら、こういう明るさだったかもと思わせる。ここにいるのにここでないような、現実から切り離された奇妙な明るさで、雛子は夢心地で歩いた。

 そして気付けば、出口まできていた。

 鳥居をくぐると――またあの芝生の庭に立っていた。


 綺麗に手入れされた植栽や花壇から虫の音がBGMのように聞こえる。向こうに建つ白亜の邸宅にも、温かな色の灯りが瀟洒なアーチ型窓から漏れている。かすかに、煮物のような良い香りが漂ってきた。

「あそこに、静とクロは住んでいるの?」

《うむ。我はどちらかと言えば暗い場所を好むゆえ、社にもしばしば行くが、昼間はおおむねあの白い家にいる。静の仕事の手伝いもあるゆえ》

「仕事?」

《うむ。静は二足の草鞋わらじいているのだ》


 クロの話によると、静は弥勒院みろくいん家の莫大な財産を管理するためいくつかの会社を設立、経営し、その傍ら呪術師として『憑き物落とし』の仕事を密かに請け負っているという。


《おかげで我もこき使われておる》


 クロは満足そうに喉を鳴らす。自分に罰を与えてくれ、とクロが言っていたことを思い出して、雛子は笑んだ。

「よかったね、クロ」

 漆黒の妖は満足そうに後ろ足でたてがみいた。

「静は人使いが荒いの?」

《うむ。けっこうな。仕方あるまい。なにせ人手不足だからな》


「その人手不足を補う気はないか?」


 背後からの声に雛子は振り返る。


 そこには、天満月あまみつつきを背にした端麗な長身が立っていた。

 やはり着流し姿で、涼しそうな生成り色の着物が静によく似合っている。


「クロの言う通り、俺は会社の経営と呪術師をやっている。会社の経営はどうということはないが、呪術師の方がな。人手が足りない」


 静が一歩近付いてくるたびに、雛子は胸がひゅうと震えるような、甘いしびれを感じる。だが静はおかまいなく、雛子のすぐ目の前までやってきた。


東雲雛子しののめひなこ殿は看護師になるのだろう?」

「な、なんでそのことを」

「進路希望調査票を見たからな」

「あ……」

「その看護師技術を、我らの元で活かしてはくれないだろうか」


 静が微笑む。雛子は事の展開に頭が追いついていかず、ただ静をぽかんと見上げる。


「憑き物落としというのは、憑き物のトラブルで負った怪我の手当や看病もある。ヒトのも、妖のもだ。あおい撫子なでしこ――一つ目小僧と座敷童のことだが――が頑張っているが、彼らだけではなかなか大変そうでな。あの屋敷の家事もあるし」

 静は背後の白亜の邸宅をちらと振り返る。

「そんな、でも、あたしは――」

「憑き物落としの仕事と家事を手伝ってくれたら、無償で部屋を貸す。ほら、言っていただろう。学校を卒業したら猫を飼うために一人暮らしがしたいと。ま、まあ、一人暮らしではないが、この屋敷には部屋がかなり余っているから……猫など好きなだけ飼っていいぞ」

「え、はあ……」


 現実離れした提案に雛子がどう答えたらいいのかと思案していると、クロが大欠伸おおあくびをした後、あきれたように言った。


《静よ。一緒にいよう、と素直に言えばいいのではないか?》

「う、うるさいぞクロ!」

《今朝はあんなに積極的だったくせに。静は本番に弱いのう。雛子のたくましさをちょっと分けてもらったらどうだ》


 そんなものあたしが分けるってどうなのよ、と雛子はツッコもうとしてやめた。


 月明りの下、静の顔が真っ赤になっていたからだ。

 雛子は思わず目をこする。錯覚かな?

 ふふん、と笑って、クロは黄金色の尻尾を揺らしながら白亜の邸宅へ歩いていってしまった。


「あの……静さん?」

 おそるおそる話しかける。

 静は諦めたように息を吐くと、とてつもなく不機嫌気な表情で、しかし顔を真っ赤にしたまま言った。


「俺には君が必要だ。一緒にいてほしい」


「な、な……」

 今度は雛子の顔がみるみる赤くなる番だ。

 口が魚のように開閉するだけで、言葉が出てこない。


「えっと、でも、でも……そうだ!」


 雛子は一年前の記憶を必死に思い返す。五術師教の美しき教祖・京極薫が、確か言ってなかったか。 


「静さんの心をつなぎとめたのは、今までたった一人の女性だけだったって……」

「薫が言っていたのは、おそらく母のことだと思う」

「お、お母さん??」

「当時――もう百年近く前のことだが、大妖であり妖火を持っていた母を守るために、父は別荘の地下牢に結界を張ってそこに母を隠していた。俺はそうとは知らず、母が軟禁されていると思って、母を地下牢から出すことで頭がいっぱいだった。母が地下牢にいることは誰にも言ってなかったから、薫にとっては、俺がいつも誰かのことを考えていることには気付いていたものの、それが母だとは知らず俺に特別な女性がいると勘違いしていたようだ」

「そうだったんですか……」

「というか」


 静は数歩でさらに雛子に近付き、雛子の肩にそっと手を置いた。まるで大事なガラス細工に触れるように。


「なぜそんな、一緒にいることを拒否するような理由を考えている?」

「え、えっと……」

「俺と一緒にいるのは、嫌か?」


 哀しげに揺れた深い双眸を見た瞬間、雛子ははっきりと悟った。


(あたしも、この人と一緒にいたい)


 閉じこめていた一年分の想いが胸を突き上げ、喉からあふれ出す。


 

「一緒に……いたいです。あたしも」


 静は軽く目をみはった。


「本当か?」


 こくん、と頷くと、静は大きな吐息をらした。同時に、広くたくましい胸に抱きしめられる。雛子の頬は、さらりとした着物の感触と静の鼓動の音を聞いた。


「よかった……嫌だと言われたらどうしようかと思った」


「一年前、最後に言おうとしたのって……」

 顔を上げる。一年越しに見た、変わらない端麗たんれいな顔が優しく笑んだ。


「ああ。でも、あのとき言わなくてよかった。――今でよかった」


 雛子も微笑み返す。でもうまく微笑むことができたか、わからない。

 そっと優しく降ってきた唇に、微笑みごと唇を奪われてしまったから。



 白亜の邸宅の窓から、小坊主こぼうず姿の小さな男の子と赤い牡丹柄の着物の女の子の影がうれしそうに笑っていたが、広い庭の隅までには届かなかい。はしゃぐ男の子と女の子の横で、大きな黒い妖が眠そうに大欠伸おおあくびをした。


 夜空いっぱいに輝く綺麗な月だけが、静も雛子も、白亜の邸宅も、闇をも包み込むように、すべてのものを明るく優しく照らしていた。




〈完〉




※ お読みくださった皆さまに、心からの感謝を!

  ありがとうございましたm(__)m

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闇祓いの詩~やさぐれシンデレラと大正浪漫な呪術師~ 桂真琴 @katura-makoto

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