〇第四十三話 シンデレラと呪術師は現世で再会する


 参道はやっぱり薄暗かった。

 けれど、並ぶ石灯籠はこけがきれいに削られていたし、地面は土ではなく、石畳になっている。


 そして、あの時とは違って、参道の先にぽつりと明るい出口が見えていた。

 雛子はその明かりを目指して走った。

 出口らしきそこをくぐると――燦々さんさんとした日差しが雛子を出迎えた。


「はあっ、はあ……は? ここ、どこ?」


 そこは、一年前に入ったあの薄暗い境内けいだい――ではなかった。


 目に飛び込んできたのは、広々とした芝生の庭だ。

 庭は小さな学校の校庭くらい広い。庭だと雛子が思ったのは、向こうに白亜の邸宅が見えていたからだ。それは瀟洒しょうしゃな窓の造りや外装からして学校などではなく、個人の邸宅だ。


「あっ……社があった!」


 見回すと、芝生の庭の隅に、あの白木の社がある。

 走っていくと、社に続くきざはしの上の扉が、少し開いていた。


「クロ、いるんでしょ?」


 雛子がささやくと、開いた扉が、さらに開いた。


 背の高い、紺色の着流し姿の青年が現れた。青みがかった双瞳が、驚いたように見開かれる。

「雛子、か?」

 呟いた青年の後ろから、ぬ、と子猫を数十倍大きくした黒い獣がのぞく。


「静さん……」


 変わらない、表情の無い端整な顔――と思ったら、その顔がふわりと微笑んだ。


「久しぶりだな」


 階を下りてくるその人を、雛子はぼんやり見上げる。これは夢?


 静は雛子の前までくると、そっと雛子の髪に触れた。

「伸びたな」

「……うん」

「きれいな髪だ。似合うぞ」

「そう、かな」

「会いたかった」


 え、と思った瞬間、さらりとした着物の感触に包まれた。


「あ、あの、静さん。あたし走ってきて汗臭いし、クロに……ってとにかくちょっと」

 雛子があわてて離れようとするが、たくましい腕はほどけない。

「駄目だ。離さない」

「え……」


 雛子は顔が一気に熱くなり、見下ろしてきた静に見られ、あわてて顔を背ける。


「でもっ、あたし今から学校に行かないとっ」

「サボればいい」

 意外にもさらりと言った静に雛子は呆れる。

「何言ってんですか!今日は進路希望調査票を提出するんです!」

《これか?》

 クロが、白い紙をくわえてきざはしを下りてきた。雛子は今度こそ静の腕を解いてクロに駆け寄る。


「そう!これ!ていうかクロ、ひどいよ!また進路希望調査票、持ってっちゃうなんて。今度は返してよね!」

 頬をふくらませて白い紙を受け取る雛子に、クロがうしし、と笑う。

《すまぬ。少々いたずらがしたくなったのだ。静が乙女を呼んでこいと言うのでな》

「あたしを……?」


 振り返ると、静は軽く笑った。


「クロがつまらぬいたずらをしてすまなかったな。それを学校へ持っていかなくてはならないのだろう」

「うん……」

「行ってこい、学校へ。でも、約束してくれ。学校が終わったら、ここへ必ず来てくれるな?」

「……うん」


 そうして雛子は進路希望調査票を手に、鳥居を再びくぐった。


「呪術師ってほんと便利……」

 校門の前に出た雛子は、呆れたように溜息をついた。





 雛子は少し遅刻をして学校へ行き、いつも通り過ごした。


 進路希望調査票を提出すると、担任教師が笑顔で言った。

「去年からいろいろと大変だったが、よかったな、東雲しののめ

「はい、御迷惑おかけしてすみませんでした。ありがとうございました」

 担任は二年生からの引き続きなので、雛子の事情をよく知っていた。

 雛子が叔母の家を急に出たときも、ファミリーホームを見つけるときも、児童相談所と一緒に尽力してくれたこの初老の担任に、雛子はオッコさんへの感謝と同様の気持ちを持っていた。

「まだ礼を言うのは早いぞ。看護学校入学までけっこう大変だからな。もうしばらく、おれに迷惑をかけろ。礼は卒業式に羊羹をくれたらいいから」

 甘党の担任は冗談めかしてそんなことを言った。

「もちろんです」


――生まれて初めて、道が見えた。


 雛子は、これまでになく心が満たされると同時に、喜びとやる気が身体の奥から湧いてくるのを感じていた。





 その後、授業を受け、お弁当を食べ、最近できた友だちをしゃべって、下校時間だ近付いてくるにしたがって、頭の隅に静のことがチラついた。

 今朝のことを思い出して、カッと顔が熱くなる。


「あれ?雛子、顔赤いよ、どうしたの?」

「あ、いや、なんでもないよ。はは」


(静さんってばいきなりあんなことして……後で文句言ってやろう)


 以前の静と比べるとだいぶフランクになったというか、肩の力が抜けたというか。


(大正気質がちょっと抜けたのかな)


 静もあのとき――一年前のあの時、闇を祓ったのだろう。

 京極薫のことは詳しく聞かなかったが、あのとき静が雛子を助けてくれたということは、静もまた過去の闇を清算したということだ。


 雛子も闇を祓ったことで、性格がだいぶ変わったと思う。

 もちろん、生活環境が大きく変わったこともあるが、アルバイト先でも学校でもなんと友人ができた。

 それは雛子の生活に、劇的な変化をもたらした。


 闇を祓ったことで、静にも何か大きな変化があったのかもしれない。


 静とそんな話ができるのが楽しみでもあるし、なぜ今になって雛子を呼んだのか理由を聞くのが怖いような気もする。


 友人ができてからは学校生活があっという間だったが、今日は下校までの時間がとても長く感じられた。





「うん、希望調査票出したよ。先生は大賛成だって。うん……ちょっとアルバイト先に寄ってから帰るから、夕飯はいらない。……ん。じゃあ」


 オッコさんとの通話を切ると、雛子は足元のクロを抱き上げた。

「ねえ、静はなんであたしを今さら呼んだの?」

《今さら、じゃない。今こそ、だ》

「どういうこと?」

《いろいろと、片付けなくてはならないことがあったんだ、静には。さあ、行くぞ》


 クロは歩き出し、空を見上げる。

《今夜は月が大きいな》


 確かに、東の空から上がってきた月はまるで真珠のような輝きを放って、いつもより大きく見える。

「きれいね」

 雛子が言うと、クロは雛子の腕の中でごろごろと喉を鳴らした。

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