第一章 仙台
◆1章 仙台
上野を発つて3日目、私は秋晴れの仙台驛に降り立つた。牛タンと書かれた幟がはためき、ここが遠野第一の都市仙台であると訴える。
驛前に並ぶ年季の入つた建物の合間からも、チラホラと煉瓦作りのモダンなビルヂングが、何某銀行、何某百貨店と云う看板と共に顔を覗かせて居る。
風が止めば少し汗ばむほどの陽気を受けて、背嚢の脇に括り付けたかんじきが出番は何処と揺れていた。
仙台は、其の名の由来を「先(せん)の台」と云い、太平洋に突き出した半島に立つた領主の城から名が付いたと云う。
私の目的地は、或る市内の寺だ。宮城は勿論の事、遠野全体の民話について、又其の集め方についても訊いてみやうと思つて居る。
突然現はれて取材のお願いをする若造に、住職は快く申し出を受けて呉れた。
住職の云うには、東北の伝承には「カツプリング」なる種類のものが多いのだと云う。
耳慣れない言葉に聞き返せば、昔各地を治めていた城主、領主の周りに在つた恋愛沙汰、男色沙汰等から発展した説話形式なんだそうだ。
そして、宮城の伝承として語つて呉れたものを以下に記す。
かつてこの地を治める領主は太平洋に向かふ半島に其の居城を構えました。
それは仙台の名の由来としても御存知でせう。
しかし或時、時の領主が世継ぎに恵まれず家の危機を迎えてしまうのです。
白羽の矢が立つたのは、遊びたがりの性根が故に家を追い出されていた、
親戚筋の放蕩者の男でした。
彼は云いつけられて国に戻り、無事にお家騒動が収まつた所までは良かつたの
ですが、其の後或事実が発覚します。
と云うのも、彼は遊び歩くうちに人外のものと交わり、其の血に妖狼の血が
混じつてしまつて居たのです。
大方何処かの山で女に化けた物の怪に魅了されてしまつたのでせう、彼が家を
継いで数年後、嫡子として生れたのは半人半狼の赤子でした。
赤子の存在は隠匿されましたが、犬のやうな姿と人のやうな姿を行き交い乍ら
育つて行つたと伝えられて居ります。
その後其の家がどう成つたのか定かでは有りませんが、他の胎から人の子が
生れたと云う話も御座いません。
放蕩男は妖の血が混じつた後も遊び歩いて居りましたので、村で狼が生れた
といふやうな話も残つて居ります。
犬を御覧頂けば分るやうに、狼と云うものは厳格な上下関係を築くものです。
放蕩男の家系は、この国に半狼の血を知らぬ間に広げ、いつからか此処は彼らに
とっての「宮つ城」となつたのであります。
私は話に呑まれ、呆けてしまいそうになるのを堪えながら、住職の話をノオトに書きつけた。
眼前のリアルが揺らぐ眩暈のやうな感覚と、其処に潜む一抹の感動。
この悦びこそ民俗学のシヤブであらう。
ノオトを閉じ、有難いお話を頂戴しました、と礼を云つて挨拶をする私を見送りながら、住職は最後にこう付け加えた。
この地で人気の牛の舌も、昔は食べることは無かつたと聞いて居ります。
きつとこの先の旅の中でも、さうとは識らず半獣達と出会うことでせう。
貴方も、私のやうに知らずゞの中に「ケモナア」に成つてしまはぬやう、
どうぞお気をつけて。
私も坊主の端くれとして、ケモ人は未だしも人ケモは見逃す訳には行きませぬ
故……。
揺らめく蝋燭の所為か、差し込む西陽の所為か。さう云つて微笑んだ住職の歯はいやに鋭く見えたのだつた。
異説「遠野物語」 ちろる @chiroru5454
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