番外

Extra-1 『ボクと君の降誕祭日記』

 12月25日。俗にいうクリスマスである。キリスト教における、イエス・キリストの降誕祭。決してキリストの正式な誕生日ではないことを、君は知っているだろうか。

 これは、ある2人の恋が報われた世界の日常の一節である。



 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 暗い密室の部屋に灯る1つの明かり。今にも無くなってしまいそうな長さの蝋燭ろうそくだ。

 傍に座る少女は、今にも凍え死んでしまいそうなほどに震えている。

 今日はクリスマス、気温は-5度。更に情報を付け加えるとすれば、ここは海上である。

「どーうしてこうなっちゃったんだろうなぁー」

 この暗い部屋から出る手段は今のところない。春陽君は今頃、必死にボクのことを捜し回っているのだろうか。

 気温はどんどん下がっていき、指先の感覚がなくなり始めている。


 全ての発端は、1時間ほど前に遡る。

「先輩、クリスマスプレゼントです」

 春陽君はそう言って、唐突にボクにチケットを渡してきた。1枚3万円もする豪華客船のチケットだ。クリスマスツアーを題して、駿河湾の周辺を1周するらしい。

「嬉しいんだけど、こんな高いチケットどこで手に入れたの?」

「友達から貰ったんです。彼女さんとお越しくださいって」

「君はいいね、そんな親しい友達がいて」

 ボクは自分から人間関係を放棄した。だから、彼を妬ましく思うのは、お門違いなのかもしれない。でも、素直に彼に友人と呼べる存在がいるのが、ただただ羨ましかった。

「まぁ、その子もパーティーには来るからよかったら挨拶してみてください」

「——あのさぁ、春陽君。1つ突っ込んでもいいかな」

 彼の勘も珍しく働いていないのか、彼は首を傾げている。

「このチケットに書いてある出航時間まで、あと1時間しかないみたいだけど」

 ここは大西町。港があるのは隣町の瀬崎町だ。隣町と言っても、大西町はど田舎。直線で瀬崎町までの道が通っているわけではない。

「うん、急ぎましょうか先輩」

「君はもう少し時間の使い方を学んだほうがいいかもしれないね」

 春陽君は走っていくつもりだったらしけど、受付の時間を考えたら明らかに遅れてしまう。だから、結局電車を使うことにした。

 港には巨大な船が停泊していた。それも、クリスマスの装飾がされていてとても美しい。夜の港に神々しい船が映えている。

 無論、カップルが多く乗っていた。まぁ、これまでのボクならそれを見下そうとしていただろうに。今ではそれがどれだけ底辺な考えだったのかが身に染みる。

「やっぱり、賑わってますね。先輩、さっそく食べに行きましょうよ」

「そうだね」

 人混みはあまり好きではない。ここに来る人の多くは社交的な人が多く、どんどん話しかけてくる。まるで、人と人を隔てる壁がないようだ。極度にコミュニケーション力に欠けるボクは全く話すことができないが、彼は上手にやっている。

「先輩、この魚美味しいですよ」

 いつもは冷静な彼が、ここまではしゃいでいるのは珍しい。彼にも可愛い所があるではないか。

「やっぱり来たね、ハルキ」

 彼に話しかけてきたのは、彼と同年代ぐらいの茶色い髪の少年。瞳の色は青く、アジア人らしい顔つきではない。

「あぁ、先輩に紹介しますね。俺の友達のノエルです。ちなみに、アメリカ人」

「どうもよろしく、彼は面白い奴だから大切にしてくださいね」

「うん、よろしく」

 ボクは差し出されたノエル君の手を握った。ノエル君からの紹介を受けた春陽君はどこか恥ずかし気で可愛かった。

 豪華なご飯を食べながら、クリスマスで賑わう船内のいろんなコーナーを回って、ボクたちは甲板で祝杯を交わした。

 夜空は澄み渡っており、星もきれいに見えた。外が寒いせいか、甲板にはあまり人がいなかった。

「先輩、疲れてませんか?」

「うん、疲れた」

 船内は結構広く、歩くだけでもへとへとだった。それに加え、人混みが多かったせいで精神的にも疲れてきている。

「じゃぁ、先輩の疲れ、俺が取ってあげますよ」

 春陽君はそう言って、ボクの両頬に温かい手を添えた。

 彼が何をしたいのか、鈍感なボクでもだいたい予想できたから——。

 ボクは静かに瞼を閉じた。

 瞼の先で彼がどんな表情をしていたのか知りたかったけど、それはさすがにルール違反ってものかな。

 

 春陽君は優しく、ボクに口づけをした。


「ありがとう春陽君、疲れ、取れたよ」

「それはよかったですけど、さすがに俺も心配なんで、水、持ってきますね」

 彼はボクが人酔いしていることまで分かっていたらしい。

 去り際に彼の頬が紅潮していたのが見えた。やっぱり、春陽君は可愛い。

 彼が去った後、ボクは甲板の手すりに腕をついて、船が残していく引き波をぼんやりと見つめていた。キスの余韻が頭から抜けない。それとも、これは人酔いじゃなくて船酔いなのだろうか。前者であれと思いながら、意識が、遠ざかって——。


 気が付いたら暗い空間に閉じ込められていたというわけだ。

 手当たり次第にその場をうろついていると、マッチの箱と短い蝋燭を見つけた蝋燭に火をつけて辺りを見渡していると、ボク以外にも人が倒れているのを発見した。

 それはボクより若い女の子だった。それも、茶色い髪に青い瞳を持っており、まるでノエル君のような見た目だった。

「あの、大丈夫?」

 彼女は無言のままうなされていて、彼女の体は異常は程に冷たかった。彼女自身もコートを着ていたが、ボクの来ていたコートも被せてあげた。

「この扉は内側からじゃ開かないかぁ」

 室内を一通り見て回ったが、人が入れるような扉はここしかなかった。しかし、この扉も内側からでは開かない仕掛けになっている。こちら側に取っ手があるため、普段は開けられるのだろうが、外側から意図的に封じられている状態だ。

 出口はここしかないうえに、そこも開かない。そして一番の問題は、ここから出られないこと以外にあった。

「気温が、どんどん下がってく」

 この部屋に落ちてた水銀式温度計。-15度まで図ることができる温度計の赤い液は、ほんのわずかしか見ることができない。つまり、ここの温度が相当低いということだ。そして、初めて発見した時の温度より、すでに2度下がっている。

「このままだと、あの子も凍死しちゃうだろうし...」

 はっきり言って、状況は最悪だ。衰弱しきっている少女、出口のない部屋、温度は下がり続けている。

「まず、ここってどこなのさ」

 それが一番の謎だった。


 水を取って船の甲板に戻ったら、先輩は姿を消していた。

 最初はトイレに行ったものかと考えていたが、10分待っても来ないものだからその可能性は否定的になりつつある。

「もしかしなくても誘拐?」

 まさか、これだけ人がいる中で誘拐をする奴がいるだろうか。人混みだからこそ隠しやすいと考えてしまえばそれまでだが。

 この船は3階層で構成されており、屋上を入れれば4階建てになる。と言っても、4階はプールになっており、季節も季節な為か4階への侵入は禁止されている。つまり、捜索範囲は1階から3階ということになる。

「ハルキ、こんなところにいたのか。捜したよ」

 必死になって考えていると、背後からノエルの声がした。

「捜したって俺を?どうかしたのか」

「あぁ、それが、一緒に船に乗っていた妹が見つからなくてね」

 ノエルの話はこうだった。2階のレストランフロアで妹と食事をしており、ノエルがトイレに立って戻ってきたころには、その場から妹が消えていたという。

「ちゃんと待っていて、と言ったはずなんだけどね。あいつも8歳だし、言うことが守れないなんてことはないと思うんだけど」

 まさか、一度に2つの失踪事件が起こることなんてあり得るだろうか。

「ノエル、俺の彼女も姿を消しているんだ。ほんの数分目を離した隙にね」

 伝えるべきかどうか迷ったが、明らかにこの2つの事件は関わっていると判断した。

「どうやら、僕たちのところにはサンタじゃなくて——」

「ブラックサンタがやってきたようだな」

 こうして、クリスマスに豪華客船で起こった失踪事件が幕を開けた。

 

 ひとまず2人で手分けして、各階層をくまなく捜すことにした。まぁ、30分かけて捜したはいいけど、足取りを掴むことすらできなかった。

「じゃぁ、パパに聞いてみようか」

 ノエルの父はこの豪華客船の副操縦士である。ノエルは、自分の父なら何か知っているかも知れないと言って、俺を操縦室へ案内した。

「ナターレとハルキ君のガールフレンドが消えてしまった?」

 ノエルの父であるナビダード氏は、聞くなり驚いた表情になった。それは、娘が失踪したとなればそんな反応にもなるだろう。

「一応全てのフロアは捜索したんだね?でも、この船に残されている階層はフォース・フロアだけか。だけど、あそこは今日は開いていないからな...」

 そう、俺らは入ることのできる全ての部屋を捜索した。2人を連れ去った犯人が入れる場所も、絶対に限られているはずだ。

 その場にいる3人は直立して、ただひたすらに悩むしかなかった。

 ノエルだって妹が消えたことを心配しているだろう。

「——イギリスの、バッジ?」

 いまさら気が付いたが、ノエルの胸元にはイギリスの国旗が象られたバッジが付いていた。

「あぁ、僕の誕生日にパパがくれたんだ」

「そうだったな、私はイギリス生まれイギリス育ちだ。愛国心の塊というものだね。まぁ、それは私のおさがりなんだけど」

ナビダード氏がそう言った瞬間に、俺は全てを悟って悪寒が体を駆け巡った。


 蝋燭の明かりは今にも途絶えてしまいそうだ。線香花火が落ちてしまう、あの瞬間と同じように。

「それにしても、君はナターレって名前なんだね?そして、君はノエル君の妹」

 ボクの確認にナターレと名乗った少女は頷いた。やっぱり、彼女はノエル君の妹だったのか。それにしてもよく似ている。

「ねぇお姉ちゃん。早くここから出してよ」

「そんなことボクに言われてもねぇ...ドアをこじ開けようとは試みたけどね」

 その辺に落ちてた木材の破片でドアを何度も殴ったが、固いドアが破られる様子はなかった。

 温度計に目をやると、もう-6度に差し掛かろうとしている。ボクのコートのおかげか、ナターレは衰弱状態から少し回復したようだ。

「お姉ちゃん、ここはどこなの?暗いの怖いよ」

「それはお姉ちゃんも同じなんだよなぁ。春陽君、早く助けに来ないかなぁ」

 そんな流暢なことを言っていると、何かがギギギと擦れる鈍い音がして、ガシャンという何かが割れる音がした。

 そして、ジャバジャバという、嫌な何かが流れ込んでくる音がする。

「水...まさか、浸水⁉」

 足元に張られた薄い水の層。船が岩か何かにぶつかって、船体に穴が開いたというのか。

 入り込んでくる水は靴の中を一瞬で冷却していく。

「お姉ちゃん、怖いよぉ」

 ナターレはそう言って泣き出してしまった。泣きたいのはこっちである。

「取りあえず、あれに登るか。時間稼ぎにはなりそうだし」

 ボクは部屋を回った時に見つけた謎の木箱の上に、ナターレを担いで乗った。

 水が船を侵食する速度は異様に早く、いつまでこの木箱が持つのかは想像もできない。

「なるはやで頼むよ、春陽君」

 外部からやってくる救世主に、期待を募らせることでしか、希望を見いだせなかった。


 一方で操縦室。俺はナビダード氏の青い目を真っすぐに見つめていた。

「あんた、本当にイギリス生まれイギリス育ちなんだよな」

「あぁ、そうだとも。それがどうかして——」

 ナビダードもようやく自分が何をしたのかの自覚が芽生えたらしい。

「そう、おかしいんだよ。全部」

 ノエルはアメリカ生まれ日本育ちだから、きっと気が付かなったんだろう。ナビダードのあの発言のおかしさに。

「お前はさっきこう言ったな『この船に残されている階層はフォース・フロアだけか』と。俺らはアメリカの英語教育しか受けてきてないから気づけないだろうと油断したね。イギリス語でフォース・フロアは5階を指す言葉なんだよ。1階がファースト・フロアじゃなくて、グランド・フロア。そこから1階ずつ数字がズレるのがイギリスの英語なんだ」

 彼が生粋のイギリス人なのだとすれば、フォース・フロアは5階を指すことになる。捜してない階が5階。となれば、プールは5階に当たるということだ。

「さて、俺らの知らない、真のグランド・フロアを教えてもらおうか」

 ナビダードは下唇を噛んで俺らを睨みつけた、そして、背後で舵を取っている船長を見て大きな笑い声を上げた。

「もう手遅れだよ。この船はあと20分もすれば沈没する」

 ナビダードは低い声でそう言い、高い声でまた笑い出した。

 駄目だ、話にならない。

 そう思った俺は、ノエルの手を掴んで操縦室を後にした。

 俺らが入船したのを1階だとすると、2階、3階、4階は階段で続いているため、その間に階層があるとは思えない。つまり、この1階の下に真の1階が隠れているんじゃないか。

「ノエル、手分けして地下に入れそうなところを探すんだ」

「でも、なんでパパは」

「んなこと後でいい!妹殺したいのか!」

 少々言葉は荒くなったが、俺は1階の廊下を駆けた。

 この船の1階は客室になっている。この1階を真上から見ると、楕円形の廊下がぐるりと船内を1周している。

 ひたすらに廊下に地下に繋がる扉がないかを探したが、何も見当たらぬまま逆方向から探していたノエルと合流してしまった。

「お前ら、地面ばっかり見て何探してんだ?」

 突如、頭上から声が降りかかって上を向いた。

 そこに立っていたのは、黒髪に赤いメッシュを入れた男と、白髪のボブの少女だった。そして2人とも、俺と同じ高校の制服を着ている。色からして2年だ。

「面倒くさい説明は省くけど、この1階より下に繋がる入り口を探してるんだ」

「ほぅ、やっぱりか」

 男は納得と言った表情を浮かべ、「ついて来い」と俺らに指示を出した。

 彼が案内した先は、関係者専用のトイレだった。

 その男子トイレの床には、四角い扉がついていた。

「お兄さんこんなところどうやって入ったのさ」

「いや、鍵かかってねぇし」

 なんかおっかないなこの人。

 何はともあれ、俺は四角い扉の取っ手を掴んで、固い扉を4人でこじ開けた。

 現れたのは、暗い地下1階こと真の1階へ繋がる階段だった。

 取りあえず階段を下りていくと、そこはボイラー室のようだった。

 地下1階の電気をつけた瞬間、4人は絶望に心を抉られた。

「もうここまで来てるの⁉早ッ!」

 お姉さんが言った通り、最下層の廊下は、すでにすねの辺りまで浸水していたのだ。

「早く捜さないとまずいな」

「捜す⁉お前ら、何言ってんだ?」

 赤メッシュの男は酷く驚いたようで、俺は取りあえず簡潔に事の経緯を2人に説明した。

「ッチ、船が沈むだけじゃねぇってのかよ」

「とにかく、手当たり次第にぶっこわそー!」

 お姉さんが手にしているのは、廊下に落ちていたバールだ。これがあれば、ドアを破壊するのは容易だろう。

 地下1階もかつては客室として使われていたようだが、所々錆びついているところを見ると、今はただのボイラー室としてしか使われていないようだ。

 木製のドアはバールで突き破り、鉄製のドアはとにかく開けて入る。

 船の後方に行くにつれて、浸水の度合いが酷くなっている。

「おい、この船もう傾いてんじゃねぇか!」

「泳げそうだねー」

 いつまでマイペースなんだこの人たち。まるで、いくつもの窮地を掻い潜ってきた余裕のようなものが見受けられる。

「残るはこの部屋——」

「ナターレ!」

 扉に真っ先に飛びついたのはノエルだった。耳を澄ませば、微かに少女の鳴き声のようなものが聞こえる。

「なんかこの扉だけおかしいほど重厚だな」

 ただの鉄の扉に加え、いくつもの木柱が打ち付けられている。中に入ろうとする者を拒み、中から出ようとする者も拒む、最悪の妨害装置が作られている。

 ドアの隙間からは、微かに明かりのようなものが漏れている。油に引火した日じゃない限り、2人はまだ生きているはずだ。

 バールでひたすらに打ち付けられた木柱を破壊する。そして、最後に残ったのは鉄のドアだ。

「駄目だ、鍵がかかってる」

 ドアノブをいくら回しても、ドアが開く気配はない。

 それどころか、水はもう腰の辺りまで浸水している。

 赤メッシュのお兄さんが体当たりをしても、ドアが開く気配はない。

「どうなってんだこのドア!」

 冷静になって横から見れば、このドアとドア枠自体が歪んでいる。恐らく、木柱を打ち付けた衝撃で変に曲がってしまったのだろう。

「ドアが歪んでて開かない...」

 4人は呆然とその場に立ちすくむしかなかった。

 浸水が胸の辺りまで迫っているところで、赤メッシュのお兄さんがあることを口にした。

「——最悪の、手段ならある。俺とこの女がこの船に乗ってるのはな、とある事情で爆薬を回収するためなんだ。詳しいことはおいおいだな。その爆弾、たぶんこの部屋の中なんだ」

 この中に灯る明かりが蝋燭だとして、まさか引火させてドア自体をぶっ壊す気か。

「それ以外に、そいつらを助ける方法はねぇんじゃねぇか」

 俺は唾を飲んだ。あまりにも危険すぎる。中にいるのは、幼い少女とコミュ障の高校生だ。

「先輩!部屋に転がってる怪しいものを今すぐドアに近づけてください!近づけたら、明かりをそれに投げて、先輩たちは船の一番後方に逃げてください!」

 ——先輩なら、絶対にやってくれるはず。いや、やれるはずだから。


 ——声が聞こえた。

 さっきからこのドアをぶち破ろうとしてくるのは、ボクらを襲った犯人なのか春陽君たちなのか不明瞭だった。しかし、今の声で『味方』だということがはっきりした。

「怪しいものってこの箱しかないよね...」

 自分が乗っている木箱。なんか黒い鳥のマークが書かれており、不気味以外の何物でもない。

 ドアの淵から水が溢れ出てきているところを見ると、廊下の方が水位が高いらしい。こっちはまだ膝の辺りまでしかない。

 ボクは全身を使って木箱を動かし、ドアに寄せた。

「春陽君、寄せたよ!何するのか知らないけど、これでいいんだよね」

『先輩...マッチか蝋燭かは分かりませんけど、火元を遠くからそれに投げてみてください。爆発するんで』

「爆発⁉ちょっと怖いんだけど」

 でも、春陽君を信じる以外に助かる方法はないのかもしれない。

 ボクはナターレを抱いて、マッチを木箱に投げて、すぐに離れた。そして、ナターレの耳元を抑えた。

 火は木箱に燃え広がり、やがて——。

 辺りが真っ白い光に包まれて、キーンという物凄い音が辺りを振動させた。


 目を開けると、そこには春陽君の頭があった。ナターレを抱いていたと思ったんだけれど、いつの間にか春陽君を抱きしめていた。

「やっぱり、助けに来てくれたんだね」

「愛してますよ、先輩。死ななくて、良かったです」

 隣に目をやると、ナターレとノエルも再会を分かち合っていた。どうにか、失踪者捜索は成功と言ったところか。

「お前ら、抱き合うのはいいが、さっさと逃げねぇと沈むぞ」

 我を思い出した4人と、手慣れた謎の2人は急いで元の1階へ上がった。

 

 船内はパニックになっていた。船体は不安定になっており、今にも転覆してしまいそうだ。

 恐れを捨てて海に飛び込む人、恐怖でその場から動けない人など、多くの人が混乱している。

「港からは結構離れてるね」

 スマホで位置を確認したお姉さんはそう言った。近くに停泊できる場所はない。

「見つけたァ」

 突如として廊下の角から現れたのは、銃を構えたナビダードだった。

 銃口の先は、ノエルと手を繋ぐナターレに向けられていた。

「ナビダード、お前はどうしてそこまでナターレに固執する...」

「ったりめーだろ、こいつ、奴隷商だぜ。な?ナビダード・ペールさん」

 俺の質問の解を出したのは、赤メッシュのお兄さんだった。やっぱりこの人何者なんだ。

「ふん、十分に熟した女と、ガキ。高く売れそうじゃないか。この船ごと沈めて、こいつらだけ搔っ攫って逃げるつもりだったのに」

 自分の娘を売ることさえいとわない狂人は、歪んだ笑みを浮かべてナターレに手を差し伸べる。

 と、改めて思ったらあのお姉さんが消えているような...。

「ナビダード・ペール。お前の身柄は取り押さえさせてもらうぞ」

 ナビダードの体を抑える白い服の男たち。

 辺りを見ると、沈没しかけている船の周りに何隻かの海上自衛隊の船が停まっている。

 船に乗っていた人々は、海上自衛隊の船を使って近くの港に帰還した。


「先輩、なんか俺の誘ったイベントのせいでクリスマスを恐怖に変えてしまってごめんなさい」

「頭を上げてよ、春陽君。あんな時でも冷静に指示出せる春陽君に、惚れちゃったからさ。結果的にはいいんじゃない。爆弾は聞いてないけど...」

 本当に、隕石騒動に匹敵するスリルをこの3時間足らずで味わうことになるとは。

 そして、彼の冷静さに惚れたのもただの事実だった。あの時、春陽君が的確な指示を出していなければ、その指示が1秒でも遅れていたら死者はきっと出ていたはず。そう、あの謎の少年の力もあって、この事件での死者はゼロである。

「ハルキ、無事でよかったよ」

 港で駆け寄ってきたノエル君と春陽君は握手を交わした。

「ナターレは病院に運ばれたけど、たぶん問題はなさそうだ。本当に、ありがとうハルキ。それにしても、なんでイギリスの英語なんて知っていたんだい?」

「んー、まぁ、イギリスの本とかも読むからね」

「相変わらず、読書好きなんだね」

 ——彼は今、嘘をついた。

 彼がイギリスの英語を話せるのは、彼女の母親が英国被れだったからだ。複雑な家系の彼は、きっと親について詮索されるのが嫌だったんだろう。

 ノエル君と別れを告げた春陽君は再度、ボクのところへやってきて、ハグをした。

「先輩、めっちゃ怖かったです」

「それはボクも一緒だよ。でも、君のおかげで生きてるんだからいいじゃないか」

 濡れた体に夜風は容赦なく吹き付ける。でも、ハグの温かさはそれ以上にボクらの体を温もりに包んでいた。



 ——結果的に言えば、ミッションは失敗と言えるだろう。

 当初の目的であった爆弾の回収には至らなかった。それどころか、対象物を爆破させてしまったのだから。

「でもよかったね、大きな処罰が下らなくて」

「そりゃそうだろ、死人は出てねぇんだし」

 暗い廊下を進む謎の2人。客船に乗っていた140人の命を彼らが救ったことはどこにも記されることはない。表彰されることもない。

「にしてもぉ、あの人が今回の黒幕で当たりなのかなぁ」

「そんなの知ら...ハックヒュン!」

「風邪引いた?私があの子たちみたいにハグしてあげよっか?」

「胸ちっせぇから願い下げ」

「うわっ、いじめだ!」

 

 業を抱える者たちの邂逅に、そして、これを読む全ての人へ贈る、メリークリスマス。

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ボクと君の黄昏時日記 如月瑞悠 @nizinokanata2007

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