満月の夜に 〜夜這乃章〜

斎藤三七子

第1話


 時は平安。京は都。

 僕は右近少将うこんのしょうしょうみなもとの泰成やすなり

 京生まれの京育ちの二十歳。


泰成やすなり、お前は一体何をしておるのだ?」

 中納言様が怒った顔で僕の前に来た。

「何って、宴会に誘われたのは中納言様ではないですか」

 僕は彼が言わんとしている事を理解しながら、気付かぬ振りで応える。

「それは芙蓉の君が明日にも結婚する事になっているとは知らなかったからだ。お前はその相手がどのような奴か知っているのか?」

「僕には関係ない事です」

 そう言って、目の前に出されたお酒を飲み干した。


 芙蓉の君とは僕の幼馴染の姫、絢子あやこの事だ。

 僕の母親が彼女の乳母なので、彼女と僕は乳兄妹にあたる。

 絢子の母親は女御様お付きの女官で内裏にいることが多く、絢子は乳飲子を過ぎてからも僕の母の元に預けられ、僕と共に育てられた。

 春は花摘み。夏は虫取り。

 秋には木の実や木の葉集め、冬は雪遊び。

 小弓や鞠。石投げ。竹馬。独楽遊び。

 邸内では碁や絵合わせ。

 絢子と僕はいつも一緒だった。

 元服後、御簾越しでしか会えなくなるまでは――


「では私の独り言だと思って聞くのだ」

 中納言様は僕の目を正面から見据える。

「芙蓉の君の婚約者の三位中将さんみのちゅうじょう。彼は非常に美男子で家柄も良く、詩歌にも秀でている」

「……」

 嫌というほど知っている。

 三位中将様は摂政左大臣様の嫡男で、僕の上官でもあるのだから。

 美男子なうえ、漢学をよくして詩歌の才もあり、頭の堅い僕と違って快活な人柄なお方で男女共に人気がある。

「しかし、表ではあまり知られていないが、好色な面がある。今も分かってるだけでも、五人の女の所へ通っている」

 五人……

 僕は握り拳を作り、強く握りしめた。

「そ、そんな事、別に珍しくない話ですよね……」

「そうかも知れぬ。私も若い頃は似たような事をしていたからな。しかし、その相手の女がどんな目に遭ってるか知っているか?」

「どんな目に――というと?」

「奴には裏の顔がある。それは付き合った女しか知らぬ。以前手を出された女房がいるから話を聞こう。明石、こちらに来なさい」

 後ろに控えていた女房の一人が前に出る。

 僕より少し年上くらいだろうか? そして漆黒の長い髪が艶やかで綺麗な女性だ。

「明石、思い出したくもないかも知れぬが、三位中将と付き合っていた時の話をこの男にしてやってくれ」

「承知致しました」

 女は僕に少し近付き、袖をめくって腕を見せた。

 白い腕に傷痕が何箇所もあり、見るからに痛々しい。

「こ、これは……」

「百聞は一見にしかず、でございます。同じような傷が足にも背中にも、胸にもございます」

「一体……どうされたのですか?」

 話の流れ的に予想はついていたが、確かめずにいられない。

「三位中将様の性癖でございます。あの方と夜を共にする女性は恐らく、皆同じ目に遭っていることでしょう。しかし朝になれば非常に紳士的で優しいのです。そして後朝の詩も素晴らしいものをくださいますし、何よりもあの美貌に魅了されてしまっていますから、女も誰にも漏らさないので知られていないのです」

 僕は女の腕の傷を凝視して震えた。

「偶然この傷を私が見つけてな。恋にのぼせた洗脳状態から解くのにひどく時間がかかったが、ようやく最近正気に戻って別れさせたところだったのだ」

 中納言様は顔を扇で仰ぎながら説明した。

 明石は腕をしまい、僕の両手をとった。

「少将様は芙蓉の君に思いを寄せていらっしゃるのでしょう? 彼女を助けられるのは貴方しかいませんよ。もしかしたら正妻には同じ事はしないかも知れませんが……人の性癖というのは簡単には変えられないと思います。何かのきっかけで同じ事をしないとは限らないですし、他の女に手を出し続けると思います。それで幸せになれると思いますか? 止めるべきです」

「し、しかし、婚姻は明日だというのに今更どうやって……」

「今の時代の男子お得意の手があるではないか」

 中納言様がにやりと含みのある笑いをする。

「え?」

「夜這いでございますわ」

「ええっ?」

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