エピローグ
とある数日後の昼下がり。
僕とアネモネ先生は、二人きりで見つめ合っていた。
場所は、僕の部屋。
リナはいない。昨日から聞いていた通り、つい先程、いつもの幼なじみたちと一緒に市場へ出かけていった。そのわずかな時間のスキマを縫って、先生はここへ来ているのだ。
「……じゃあ、行きますよ。先生」
「は、はい。いつでもどうぞ……」
先生は心なしか表情を硬くする。
僕はそんな先生をじっと真っ直ぐに見つめながら――
『パシャリ』
と、魔道具のボタンを押した。
「はい、これで大丈夫です」
「……え? もう終わり?」
「はい、終わりです」
「そ、そう……。ずいぶん簡単に使える魔道具なのね……」
リナが家を空けるわずかな時間を狙ってここへ来て、しかもこれは誰にも知られるわけにはいかない僕の秘密だから、先生もそれなりに緊張してここへ来てくれたのだろう。
なのに、その緊張とは不釣り合いに、魔道具から発せられたのは『パシャリ』という小さな音だけ。キョトンとするのも当然と言えば当然だ。
だが、確かに『これで終わり』にするのは、あまりにも味気ない。
だって、緊張しているのは先生だけじゃない。先生を僕の部屋に入れるっていう……それだけで僕もドキドキして昨日は眠れなかったのに、これだけで終わってしまうのは寂しすぎるというものだ。
「あ……先生、ちょっとそのまま待っててください!」
思いついた。
僕は駆け足で部屋を出て、開店中の店に誰もお客さんがいないことを確認しつつ、商品である花を一輪取ってすぐさま二階へ戻る。
「先生、これを持ってください」
「これは……イエローアイリスね」
三枚の垂れ下がる大きな花びらが特徴の多年草。花言葉は『友情』、『幸せを掴む』。花言葉に精通している先生にこの場で持たせるものとしても無難なモノだろう。
「何も持たないより、花を持っていた方がもっと絵になると思うので……。じゃあ、もう一枚行きますよ、先生」
「え? は、はいっ」
先生は少し慌てた様子で、こちらへ向ける身体の角度を少し斜めにしながら、花を胸の前で持ってポーズを取る。
――本当に、絵画の女神みたいだ……。
窓から入る柔らかな午後の陽射しが、先生を包み込むように照らしていて。暖かなそよ風が、その絹糸のような金髪をふわりと揺らしていて……。
長方形をした魔道具のガラスに映る、美しいとしか言いようのないその立ち姿に見惚れてしまいながら、
『パシャリ』
僕は指に力を込めてその瞬間を記録する。今この瞬間の匂いや風の暖かさ、そしてこの気持ちまでも、全てを切り取って残そうとするかのように。
「これだけで、本当にロッジくんがいま見ていたものが記録されたの?」
「はい、しっかりと。ほら、見てください」
僕は先生を近くへ呼んで、魔道具の背面に映っている小さな絵を――今しがた僕が記録した先生の姿を見せる。と、
「な、何? これ……?」
よっぽど驚いたのだろう、先生は見たこともないほど目を見開き、声までわずかに震わせながら言う。
「凄いですよね。先生の姿がこんなにちゃんと――」
「だ、ダメよ、こんなのっ!」
唐突、先生は僕の手から魔道具をふんだくって叫ぶ。
「せ、先生、急にどうし――」
「う、嘘……!? 嘘でしょ!? 私って……私って、こんなに可愛くないの!?」
「えっ?『可愛くない』? そ、そんなことありません! いつもの先生の綺麗な姿が、そのままちゃんと記録できてますよ!」
「お願いだから消して!」
気づけば、先生の顔は真っ赤なチューリップみたいになっている。僕の胸に押しつけるように魔道具を返してきたと思うと、くるりとこちらへ背を向けて、わたわたと手ぐしで髪を直し始める。
「こ、こんなのダメ、聞いてないわ……! こんなにくっきり記録されるなら、もっとちゃんとオシャレしてきたのに……! 髪だってちゃんと梳かしてないし、服もいつもの着古した白衣だし……!」
「オシャレなんかしなくて大丈夫ですよ。先生はいつでも――」
「もう一回見せて!」
こんなに狼狽えている先生は初めて見た。先生はバッとこちらを振り向いて、再び僕の手から魔道具を強奪すると、かじりつくように顔を近づけて自分の姿を睨みつける。
「嘘でしょ……? 私って、いつもこんな気の抜けた顔してるの……? 少し寝癖も立ってるし、エリも曲がっちゃってるし……ああぁ、恥ずかしぃ……」
ついには床にうずくまってしまった先生。
だが、その直後、
「――――」
部屋に緊張が走る。
少し開けている窓の隙間から、通りを歩いて帰ってくる少女たちの声が聞こえてきたのだ。
目を見合わせ、一瞬の意思疎通。
僕は先生から魔道具を受け取るとすぐさま袋へ入れてベッドへ隠し、先生と共に一階へ駆け降りる。先生に持たせていた花を元の場所に戻すことも忘れない。そして、
「あれもいいですけど、こっちはどうです、先生?」
「ええ、これもいいわね。うーん、どうしようかしら……」
と、まるでしばらくの間、ここで先生と話していたかのような顔を作る。
「あれ? 師匠(マスター)、来てたんだ」
ほんのわずか、僕たちよりも遅く店内へ入ってきたリナが、果物がたくさん入った袋を抱えたままこちらへ来て、「ん?」と眉を顰める。
「二人とも、なんでそんなに汗かいてるの?」
「あ、ああ、これはさっきちょっと裏庭を見に行ってたからだよ。プリムラが綺麗に咲きそうだから、先生に見てもらいたくて。そうですよね、先生?」
「そ、そうなのよ。そうしたら、中庭が思いのほか暖かくって……お、おほほ……」
「……なんか変」
流石は勘が鋭い。リナは僕たち二人をじとりと交互に睨むが、ふと通りから大きな声が響いてくる。
「あっ、師匠(マスター)~!」
見ると、そこにいるのはユーノちゃん。後ろにはノエルちゃんとオデットちゃんの姿もある。
ユーノちゃんはいつものメイド服姿で、しかしメイドらしからぬ慌てようで店内へ走ってきて、そのままぶつかるように先生のクッション性抜群の胸に飛び込む。
「ど、どうしたの、ユーノちゃん?」
「先生~、実は、その……」
「この前、会いに行くのをやめた人から、またラブレターを貰ったんです」
と、いつものごとく淡々としているノエルちゃん。
「あら、それは大変……」
「返事がどうであれ、今度はちゃんと会いに行ってあげるべきじゃなくって?」
つんとした表情をしがちだが、思いやりのあるオデットちゃんが言う。
「ラブレターを出すのは、それなりに勇気のある行動ですわ。確かに前と同じで、また顔も名前も知らせない、しかも貧乏くさい手紙ではあるようですけれど、その決意にはそれなりの敬意を払ってあげるのが淑女の嗜みであると……そうわたくしは思います」
一方、ノエルちゃんはあくまで氷点下の眼差し。
「私はそうは思わない。前回、何が悪かったのか全然反省してないみたいだし、それもやっぱり自分勝手な人だっていう証拠だと思う。だから私は今回も反対」
「あなたはいつもいつも冷たすぎますわ。ねえ、師匠(マスター)? 師匠(マスター)はどう思いますの?」
「師匠(マスター)みたいな経験者は、こんな勢いだけで流されたりしない。そうですよね、師匠(マスター)」
「え、えーと……」
四人の少女たちにじっと見つめられて、先生はたじろぐように少し後ずさる。逃がすまいとするように、ユーノちゃんはそんな先生をさらに強く抱きしめる。
「教えて! 師匠(マスター)はこれまで、こういう時どうしたの!?」
「あ、ウチもそれ気になってた。師匠(マスター)なら飽きるくらいラブレター貰ってるだろうし」
「しつこい男……師匠(マスター)ならどうやって振るのか、今後の参考にしたい」
「師匠(マスター)の大人な経験、聞かせてくださいまし!」
リナ、ノエルちゃん、オデットちゃんが期待の眼差しを先生に集める。
「お、大人な経験……?」
先生は心なしか笑みを引きつらせて、それからハッとしたように僕を見る。
――いま先生と目を合わせてはいけない。
瞬時にそう判断。僕はサッと視線を逸らす。が、
「ちょ、ちょっとみんな、待っていて? 少しだけロッジくんと話したいことがあって……」
先生はそう言ってユーノちゃんを身体から引き剥がすと、
「ロッジくん、ちょっといいかしら?」
仮面のように張りついた笑顔で僕の肩に手を置き、店の奥まった所へ僕を押していく。そして、少し頬を赤らめて必死な顔で言う。
「解ってるわよね、ロッジくん……! 絶対にあのことは言っちゃダメよ……!」
「わ、解ってます。僕たちの秘密ですから、絶対に誰にも言いません」
「二人で何してんの? さっきからなんか怪しいんだけど」
と、リナ。先生は肩をビクリとさせて、
「な、何も怪しくなんかないわよ。ちょっと花の相談をしていただけ」
――先生、ひょっとして案外、不意打ちには弱いのか……?
先生の怯えた様子を横目に見つつ、僕は心の中で一つ、深呼吸をする。
落ち着け、落ち着け……。ここで先生と一緒に動揺してしまったら本当にいよいよ怪しいし、それに大人の男として情けない。こういう時こそ、僕がしっかり先生をフォローしないと。
僕は周囲をちらと見回して、ちょうど手近にあった小さな花瓶を持ち上げ、それを先生に差し出した。
「先生、ありましたよ。いま欲しいって言っていた花。これのことですよね?」
「え、ええ、そうそう。まさにこれ――あ、この花……デューツィア……」
花瓶の上で身を寄せ合うようにして咲く、数輪の小さな白い花。
その可憐で繊細な花の花言葉は――『秘密』。
「どうぞ受け取ってください。これは僕からのプレゼントです。この前、タダで治療をしてくれたお礼です」
「ロッジくん……。ええ、ありがとう」
先生は小さく頷いて、その手に『秘密』の花言葉を受け取る。
僕たち二人を結びつけているのは、お互いが差し出した秘密。
秘密を知るということは、相手のテリトリーの中に入ること。それは怖いことでもあるけれど、人を少し大人にさせる魔法のようなものなのかもしれない。
先生と微笑み合いながら、僕はそんな予感がしていたのだった。
秘密主義のアネモネ先生。 茅原達也 @CHIHARAnarou
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