風の又三郎さん考 🍏

上月くるを

風の又三郎さん考 🍏





 とある集まりの懇親会で、子どもの命名に関する親の本気度という話になった。

 子は命より大事な宝なんだから、本気度もなにも本気に決まっているじゃない。


 ヨウコはそう思ったが、世の中そんなにシンプルにはできていないらしく(笑)、そりゃ長男には極上の名前を付けるよとか、キラキラネーム、あれはあれでとか。


 LGBTQの時代に逆行するようで恐縮だが、概して父親は男子の名前にこだわり、母親は女子の名前にこだわり、簡単に言うと、雄々しいか可愛いからしいが……。


 へえ、そんなものなんだ、目出度い名前を付けると名前負けするとか言われるし、かといって平凡に過ぎると、生涯「どうでもいい」感がついてまわりそうだしねえ。


 


      👨‍🚀



 

 ところで、歴史好きのヨウコが気になっているのは男子の三郎という名前である。

 著名人ならば、上島三郎、木之崎三郎、篠山三郎、馳倉三郎、諸任三郎さん……。


 こうして並べてみると「三男坊に生まれたんだろうな」感がそこはかとなく漂う。

 長男と次男の下で鍛えられたやんちゃ坊主orいたずらな末っ子的な雰囲気もある。


 近世のむかしは幼い甥や姪にまで「厄介叔父」などと非情な呼び方をされ、後継の長男の居候として肩身狭く生きる宿命にあったのが二郎(次郎)以下の男子だった。


 だが、二郎や次郎はともかく、三郎と聞くと一気に哀れさが増すような気がするのはどうしたことだろう。むろん、四郎、五郎、六郎、七郎、八郎は言うまでもない。




      🏫




 で、以前からヨウコが疑問に思っているのは、宮沢賢治さんの名作『風の又三郎』はなぜ『風の又二郎』あるいは『風の又次郎』ではなかったのかということである。


 谷川べりの山の学校に二百十日の風とともに転校して来た少年が、わずか十日後に再び風に乗って去って行くシュールな物語は今昔の子どもの心をとらえて離さない。


 ♪ 青いくるみも吹きとばせ……のイメージに包まれた三郎という名前が、岩手をふくむ陸奥をはじめ列島各地の風の強い場所で、風追いや風除けの神とされて来た。


 まぎれもない事実を知ったヨウコは、少なからぬ感銘と衝撃を受けたものだった。

 さらにその源泉が神話にあるとは、歴史とは民俗とはなんと魅力に満ちたものか。




      🌺



 

 国生みの神・伊弉諾神いざなぎが産んだ三貴神の末子で、手に負えないやんちゃ坊主・素戔嗚尊すさのをのみことを三郎と呼び、乱暴狼藉を諫めるために「風の三郎」なる石祠を祀った。


 その伝承が甲斐や信濃の八ヶ岳山麓、天竜川を隔てた伊那中川、少し飛んで陸奥は会津若松の大戸岳山麓などに伝わっており、その各地に石祠が現存している不思議。


 日本神話の三郎さんと現代の三郎さんたちとの間につながりがあるのかないのか、南の窓からの薄い冬日ざしを背中に浴びながら、ヨウコは想像をふくらませてみる。





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