本で調べられる世界なんて、ちっさいものよ!

悠月 星花

本で調べられる世界なんて、ちっさいものよ!

 盛大なため息とともに、真っ赤に染まった赤い海を睨んだ。


「おっさん、そんなしけた顔、すんなよ!」

「だぁーれが、おっさんだって? こんな素敵おじ様が、この海……いや、世界広しといえど、何処にもいないぞ?」

「……それ、本気で言ってる?」


 羽根のついた小さな精霊は、潮風とともに銀色の髪を靡かせ人型となった。見た目は、10歳後半の少女であるが、年齢は俺から何乗もしたくらい生きているらしい。


「大体なぁ……セレス」

「なんだ?」

「人間嫌いのお前が、なんで、こんなチビを連れてこいなんて言ったんだ?」

「さぁ、精霊の気の迷いとでも取っておけ」

「頼むぜ、相棒」

「ゼアン、貴様に相棒呼ばわりされるいわれはない!」


 そういって、精霊は元の小さなサイズに戻り、ふわふわと潮風に乗っていつもの場所へ向かった。

 見上げた先には、髑髏に精霊フィアセレスがキスをしている『セキタクス』の海賊旗がはためいていた。その先にちょこんと座っているのが、まさにその精霊セレスであった。


「……どうするんだよ? コイツ」


 屈みこみ、頬をつつく。強く押しすぎたのか、「うぅ……」と呻いた。


「セレスのヤツ、本当に自由奔放だな。海賊の俺より、好きに生きてる」

「船長!」

「なんだ?」

「その少女が持っていたものを調べたら、これが……」


 手下が渡してきたのは、王立図書館の本である。この世界では、魔力の籠っていないただの本は珍しい。貸出されるのは、ごくわずかな上位貴族だけであることを思い出した。


「最悪。見つかったら、俺ら、全員縛り首か、魔法訓練生の的だな」

「どうかしやしたか?」

「コイツ、上位貴族の可能性が高い」

「なんの変哲もない女の子じゃないですか?」

「バカはいいな……俺も、バカでいたいわ!」


 大きなため息をつくと、手下が抗議してくる。セレスの命令で攫ってきた少女は、どうやら、厄介になりそうな人物だと判明したが、船に乗せてしまえば、後の祭り。一刻も早く、この地から離脱するしかない。


「ヤローども、帆を張れ! 西の果てまで、逃げるぞ!」


「ヤー」の声と共に帆が張られる。微風も俺の声とともに強い西風となる。セレスが気を使って魔法をかけてくれたようだった。


 ◇


「……ここは?」


 真夜中のこと、チーズをつまみにワインを嗜む。気を失っていた少女は、目を覚まし周りを見渡していた。


「ようこそ、我が海賊船グラドヒブへ。セキタクス海賊船長ゼアンだ」

「……か、海賊船? 私、一体、どうしてここに?」

「精霊の気まぐれでね? あんたを攫ってこいってお達しだったんだ。悪く思わねぇでくれ」

「……そんな」


 俯き落ち込む少女にかける言葉もない。


「ワインでも飲むか?」と声をかければ、盛大に腹の虫が鳴った。この船に連れてきてから、何も食べさせていないのだから、当然ではある。


「チーズかリンゴならあるぞ?」


 恥ずかしかったのか、腹をさすりながら、のそのそとベッドから歩いて、空いている椅子へ座る。「ほら」とリンゴを渡してやると、服の袖で拭き、齧りついた。


「……おいしい」

「よかったな。それにしても、齧りついて。貴族じゃないのか? ここには、ナイフもフォークもないが」

「リンゴを食べるのに、必要?」

「いらんな」

「ゼアンさん」

「ゼアンでいい。そっちの名は?」

「スレイ・ロメッツ」

「んじゃあ、スレイ。なんだ?」


 シャリっとリンゴをひと齧りしてから、ニコリと笑うスレイ。


「攫ってくれて、ありがとう……」


 言葉の意味をどう受けとっていいかわからず、「あぁ」とだけ答えた。シャリっと聞こえた後、机につっぷするように倒れこむ。


「お、おい!」


 よく見ると、穏やかな表情のまま、眠りについたようだ。握っていたリンゴを取り上げ、ベッドまで運ぶ。「おやすみ」と、どれくらいぶりに誰かに声をかけただろうか。


 ◇


 翌朝から、スレイは俺の後ろをついて歩くようになった。日を重ねるごとに、お互いのことを知っていく。聖職者であること、童顔で10代に間違われるが25歳であること、好きな食べ物はリンゴで嫌いなものはないこと、ときどき海を見つめ寂しそうにすること、本人は口にしないが王族であること。


 知れば知っていくほど、攫ったことに対してのお礼の意味が分からなかった。


「スレイ」

「何?」

「ここに来た日に、礼を言ったのは何故だ?」

「礼? 言ったかな? ゼアンって、おじさんなのに記憶力がいいよね!」

「おじさんは余計だ!」

「……退屈な毎日から、抜け出したかったんだよ。本で調べられる世界なんて、ちっさいものよ!」

「……そうか。スレイが持っている本」

「これ? ゼアンならわかるかな? 魔力付与されていない本。その意味までは、知らないよね?」


 本を大事そうにギュっと抱きしめる。ちょうど、甲板から見える夕日に頬を染めながら、これ以上詮索をしないでと拒絶するように微笑んだ。


「……悲しい微笑みだな」

「えっ?」


「もう行く」と背を向け船長室へ歩き始めた。スレイに呼び止められたが、無視をする。傍らにセレスが飛んできて変身した。珍しく腕を絡ませ嫌というほどくっついてくるセレスと何故か少しだけ距離をとった。


 ……何故、スレイにあんなことを?


 自分の心さえわからず、スレイの拒絶に傷ついていることに驚いた。


 ◇


 海賊船であるグラドヒブ号には、女性が寝られるような部屋は余っていない。必然的に個室である船長室がスレイの寝床となるのだが、スレイが入って来たとき、すれ違いに部屋を出た。いつもなら、ワインを開け、二人で世界に広がる伝説の話を熱弁しあうというのに。

 ワイン瓶を持ち、久しぶりに物見台へと登っていく。


「船長?」

「変われ! 今日は、もう休んでいい」

「でも……」

「船長の俺がいいって言ってんだ、休め」


「わかりました」と若手は、するすると降りていく。それを見送って、台の中へと入った。


「若いころは、ここまで来るのにたいしたことなかったんだけどな」

「……おっさんになったってことじゃない?」

「セレスか」

「セレスで悪かったわね? スレイが来て欲しかった?」

「……別にそういうわけじゃない」

「そう。なら、いいんだけど……」


 海からのぼるおそがけの満月をセレスと見ていた。時々ワインをがぶ飲みしながら、服の袖で口元を拭う。


「ゼアンって、変わらないわね?」

「何がだ?」

「何か悩み事があれば、いつもここにいる」

「……そうか?」

「そうよ! 今日は何を悩んでいるの? あの子……スレイのことじゃないでしょうね?」

「……」

「そう、なのね。……私との契約は覚えているかしら?」

「あぁ、もちろんだ。この命尽きるまで、セレス、俺はお前のものだ」

「もし、契約を破ったりしたら……」

「わかっている。大事なものはここにある。 だいたい、一回り以上離れた女に懸想しているって? ふざけたこと言うなよ」


 セレスを睨み、グイっとワインを流し込む。


「ゼアンを失うわけにはいかない。スレイを船から降ろして」

「身勝手な精霊だな?」

「精霊だから身勝手なのよ」


 急に大きくなり、膝の上にちょこんと座る。俺の腕を寄せセレスを抱きしめるような格好になる。振り返るセレスの瞳は、月に照らされ髪と同じ銀色に光った。頬に小さな手をあてがい、キスをする。海賊旗のように。


「逃げられないから」

「……何度も言わなくてもわかっている」


 セレスの小さな肩に頭を乗せれば、コテリともたれかかってきた。


 俺の心は、セレスが持っているんだ。スレイに向けているものは、恋慕じゃない。

 感情を確かめるようにセレスの小さな唇にもう一度、キスをした。


「お酒、控えなさいよ!」

「……それは、聞けない相談だな」


 甘えるセレスと笑いあい、月がてっぺんにくるまで、愛を囁き合う。日常を思い出したように、俺もセレスに甘え、交代がくるまで腕の中にはセレスがおり、その温もりは冷めずに残っていた。


 ◇


「大変だっ! 政府の船だっ!」


 その日は、最悪だった。

 あと1日で、スレイを港へ降ろすことにしていたというのに、政府の船に見つかってしまったのだ。

 止まない魔法攻撃。その全てをセレスが薙ぎ払う。


「ゼアン!」

「どうした!」

「数が多いわ! このままだと……」

「わかった、風魔法をもう少し回せるか?」

「えぇ、なんとかやってみる!」


 手下たちが、砲撃の用意をする。魔法が使えるものはセレス以外いないのに対し、向こうは、1隻の船に何十人と配置されている。


「くそっ、らちが明かねぇ! 砲撃の射程に入らないから、反撃もできねぇ! もう少し、船の速度は出ないのか?」

「もう、無理よ! これ以上は……」


 セレスの息が上がり始める。防御も薄くなってきたのか、時々火球が船に当たり始める。手下が海水を汲んで火消しをしているが、間に合わない。


「ゼアン、何か手伝えることはあるかしら?」


 震えながら船長室から出てきたスレイ。そのとき、セレスの防御をすり抜け、火球がスレイに向かって飛んでいく。


「危ないっ!」


 咄嗟にスレイを庇い、背中に火球があたった。思った以上にヤバいのかもしれない。痛みで全身に力が入らない。


「「ゼアン!」」


 駆け寄ってくるスレイ。その目にはたくさんの涙が溜まっていた。


「ダメっ! 死んじゃダメだよ! ゼアン。私に世界の果てを見せてくれる約束したじゃない!」


 泣きじゃくるスレイの頬の涙を拭ってやる。


「笑えよ、スレイ王女」


 見開かれたスレイの瞳を見て、微笑んだ。


「……何故、それを」

「……さぁ……な……。ダメだ。あと、頼ん……だ……わ。セレス」

「嫌よ! 私もゼアンと一緒に逝くわ!」

「……ス……イ……た、のむ」


 スレイの頬に触れていたはずの手があがらない。セレスに伝えたい言葉があったのに、口を動かすことすらできなくなった。


「やだよ……ダメ、だってぇ……」


 瞼も重くなり、泣くスレイだけが脳裏に焼き付いた。


「……スレイ、愛している。次の世では、必ず。迎えに行くから、待っていてくれ」

「ずっと待っているわ! ゼアン」


 笑ったスレイが可愛らしく頷き、そっとキスをしてくれた。

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