第54話 moon phase 29-2

「勿論。恵があれこれ考えながらキーボード叩いてるの見てるの好きだし」


「・・・・・・・・・それは・・・・・・どうも」


それは思っててくれていいから、いまここで言わないで欲しかったなと死ぬほど思う。


打ち込んだ文字が急に歪んで泳ぎ出す。


キャラクターを追いかけて来た気持ちが一気に現実に引き戻された。


これは駄目だ、いったん休憩だ。


「視線泳がせて照れてますってアピールするの止めて?こっちまで連鎖反応起こす」


小さく笑った山尾が手を伸ばして頬を指でつついてきた。


「~~っマスター!ナポリタンで!!」


ろくに見もしないうちにメニューを閉じて大声で叫べば目を細めた山尾が付け加えた。


「マスター、それ二つで」


「了解。片方大盛にしとくね」


カウンターの奥から返事をしたマスターが、コーヒーいるなら取りにおいでと声をかけて調理に入る。


山尾と恵が来たときはマスターは大抵こんな風に新婚夫婦を放置してくれるからありがたい。


おかげで真っ赤になった顔を見られないですんだ。


恵が飲んでいるブレンドを一口飲んで、山尾が頬杖を突く。


「そう言えば、始めたばかりの新作、何書いてるのか教えて貰ってないんだけど、秘密なの?」


担当に結婚したことを伝えたら、まるで自分のことのように喜ばれて、心機一転新しい小説書きませんか、と提案を受けた。


売れっ子を目指そうという考えを捨ててから好き勝手書いてきた恵の作家としての成績は下の下。


それでも新作をと言ってくれた彼女の気持ちに答えたくて、また新しい世界観のものを書きたいと伝えた恵に、彼女はご主人どんな方ですか?と尋ねて来た。


身内の玲子は恵よりも山尾との付き合いが長いし、結婚報告をするような近しい友人がいなかった恵は、初めて山尾のことを誰かに話した。


高校時代の先輩で、優しくて頼りになる人で、開業医をしています、と言った恵に、担当は食い気味に言った。


”次は、お医者さんのお話にしましょう!”


その一言で新作の方向が決定して、それならやっぱり山尾をモデルにしたいなと思った。


時々差し入れ片手にお邪魔する山尾医院の雰囲気や、仕事中の彼の様子を思い出しながら書いたプロットは好評で、めでたく連載が決定したのだ。


とはいえ、山尾自身に、あなたをモデルにした小説書いてますとは言いだし難くて、新作の連載が決まった事だけ伝えていたのだが。


そんな事情があるので、ますます山尾には頭が上がらない恵である。


彼がいなかったら、新作は始められなかった。


「言ってもいいけど・・・・・・・・・引きません?」


「え?なに、すごいマニアックな小説なの?」


「そうじゃないけど・・・」


「俺は恵が好きな事書いて仕事にしてくれるのが一番だから、何書いてくれても嬉しいけど?」


返って来た200点越えの回答に涙腺が緩みかけた。


山尾は昔から愛情深い男だったけれど、結婚してからそれを隠すことをしなくなった。


恵がどれだけ戸惑っても照れても、彼はまっすぐに愛情を届けてくれる。


そしてそれは、恵の書く力になる。


「・・・・・・・・・先輩がモデルの・・・・・・お医者さんの話」


一瞬目を見張った山尾が、すぐに破顔して身を乗り出して来る。


「・・・・・・・・・え、なにそれ読みたい」


「まだ連載始まってないから・・・・・・・・・それと・・・・・・・・・えっと・・・・・・」


「うん?まだ何かあるの?まさか医者の殺人鬼とかじゃないよね?」


心配だなぁと冗談交じりで笑った彼とちゃんと視線を合わせる。


もう一つ言わなくてはならないことがあるのだ。


山尾を殺人鬼にする予定はないのだが、重要人物として出て来るキャラクターが。


「違うけど・・・・・・同僚のお医者さんで・・・・・・朝長くんが出ます・・・」


山尾は色々と朝長に思うところがあるようなので、心配になったのだが。


「恵、朝長くんほんと好きだね」


ぴんと額を軽く弾いた山尾に向かって、胸に浮かんだ言葉を止めることなく吐き出した。


「・・・・・・・・・宗介さんのほうがずっと好きですけどね!」


いま恵が全力で伝えられることがあるとしたら、本当にこれだけだ。


愛情をくれてありがとう。


こんな私を見ててくれてありがとう。


一緒に居てくれてありがとう。


大好き!!!


難しい言葉ではない。


伝えきった途端耳まで熱くなった。


まさかこんなところで夫に告白する羽目になるなんて。


言い終えると同時に視線をキーボードに落としたら、山尾が目の前のノートパソコンを掴んで端に寄せてしまった。


こちらに顔を近づけた山尾がにっこりと微笑む。


この笑顔は要注意な笑顔だ。


油断してはいけない。


「・・・・・・・・・・・・・・・じゃあさ、今度は小説に恵も出してよ」


予想の斜め上の依頼に恵は目を丸くした。


「わ、私!?」


「そうだよ。いい加減、誰かじゃなくて、ちゃんと恵も主役にして。そうしてくれたら、喜んで取材にも応じるし、協力もするよ。一番側に居る俺に色々訊けるのって執筆作業にはかなり便利じゃない?」


それはもう願ってもない提案だ。


医療知識に乏しい恵は、この先沢山の壁にぶつかるだろうから、それを現役医師の立場でサポートして貰えるのはとても助かる。


「~~~っよ、よろしくお願いします」





こうして、山尾恵は人生で初めて、脇役未満を卒業して、主人公の一人になった。

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隣で好きから始めます ~脇役未満女子と主役先輩医師のやんごとなき婚活事情~   宇月朋花 @tomokauduki

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