第2話
当日、僕は少々の薬味と流行のジュース、おつまみ代わりのおやつなどをコンビニで買い込んで彼女の部屋を訪れた。
「やあやあ、暑いところをわざわざありがとう」
そう言って僕を迎えてくれた彼女はひとつ結びの三つ編みに紺色でフルリムのセルフレーム眼鏡という組み合わせは絵に描いたような文学少女、しかして着ているのは薄青地に赤い金魚柄の浴衣だった。
我ながら恐ろしく不躾だけれども、つい「着付け出来たんですか?」と口走ってしまう。
着いて早々やってしまったと思ったけれども、彼女は「母さんに来て貰ってね」と、半笑いで言っただけだったので、この件についてそれ以上話題にするのは止めた。
良く冷房の効いたキッチンに通されて彼女が素麺を茹でるのを横目に食器や薬味を用意する。
ふと視線を向ければ三つ編みの向こうにちらちらと覗く白いうなじ。普段はゆったりした服装を好む彼女だけれども、今その身に纏っている浴衣の輪郭は彼女そのもので、思わず生唾を飲み込んでしまう。
視線に気付いた彼女が振り返りざまに一瞬みせた不敵で冷笑的な笑みに次は息を飲んで、僕は食卓の準備に意識を傾けた。
ご実家から頂いたらしいちょっとお高い感じの素麺を頂いて、食後にふたりでお酒代わりのアイスコーヒーを楽しむ。ある意味でいつも通りの僕たちだ。
けれども。
「ところで」
「なんだい?」
彼女が白々しく返したけれども、僕もにこーっと慣れた作り笑いで応戦する。
「そろそろ教えてくれてもよくないですか? わざわざ夜に呼び出した理由」
彼女は待ってましたとばかり、にんまりと笑みを浮かべて僕を自室へと促す。
そこはやはり冷房がよく効いたいつもの彼女の部屋のようで、しかしよく見てみれば陽光を避けて奥の壁際に置かれていた二人掛けのソファが窓際に置かれ、目前のブラインドも開かれた状態で用意されていた。
部屋の灯りもつけないまま僕をソファへ促し、自分もその隣へと腰を下ろす。
「ええと?」
「察しが悪いじゃないか。今日は花火大会なんだろう?」
あっ、と思うより早く、窓の外で大きな爆発音を伴って華やかな閃光が飛び散った。
彼女を誘おうと思っていた花火大会。夜とはいえ夏だし彼女は家を出たがらないだろうと誘う前から断念したイベントが、今目の前にあった。
あんぐりと口を開けている僕の視線を受けて、彼女は会心の笑みを浮かべる。それは初めて見たと言っても過言ではない、もの凄いドヤ顔だった。
「いつから……」
僕の呟いた言葉を彼女が正確に理解したのかどうかはわからない。けれども答えは求めていたものだった。
「SNSで夏休みの話をしたときかな。隙あらば私を外に誘おうと思っていただろう?」
「それは、まあ……そうですけれども」
その思惑は早々に、敢えて言うならそれこそおくびにも出さず断念したはずだ。しかし彼女にそんな誤魔化しは通用していなかったらしい。
「ここから花火が見えるかって確認したのは最近だけれどもね。それで少々模様替えしてみたのさ」
手入れの行き届いた髪の匂いに惑わされつつ、アイスコーヒー片手に打ち上げ花火を鑑賞する。
思えば彼女にはいつも手玉に取られっぱなしだ。昨年を思い返しても一度たりとも勝てた記憶がない。
「キミとしては外で露店のひとつも回りたかったのかもしれないけれど、こういうのもいいだろう? 涼しいし、歩いて疲れもしないし、それに」
彼女が薄布同然の浴衣越しに肩を預けると上目遣いに顔を寄せてくる。
「誰の目も気にしなくて良いからね」
その仕草と言葉に一瞬で心臓が跳ね上がるほど勢いを増した。
「ちょ、せ、せんぱ……」
狼狽え気味に言いかけたところで、窓の外で最後の花火が上がった。一瞬だけ光に照らされた顔が耳まで真っ赤に染まっているのを見て、彼女も僕と同じような気持ちなのだろうと察する。思えば平常心でこんなことが出来るひとじゃない。
彼女はこれ以上顔を見られるのを避けるかのように立ち上がってブラインドを降ろす。
「今夜は……泊まっていきたまえよ」
その隙間から僅かに零れる月明りが彼女の美しい輪郭を浮かび上がらせた。
「キミには明日、部屋のレイアウトを戻すのを手伝って貰わなくちゃいけないからね」
それが言葉通り以上の意味を持っていることは、さすがの僕にも理解できる。
立ち上がると彼女の微かに震える肩を後ろからそっと抱いて耳元で囁いた。
「はい、喜んで」
付き合い始めて最初の夏。彼女の嫌いな夏。あの手この手を考えては諦め、結局この部屋へ通うことで折り合いを付けた夏。自分だけが四苦八苦しているつもりだったけれども、彼女もまた疎んじた夏のなかで僕とどう接するかずっと考えていてくれたのだろう。
だからこそこの夜は、お互いにとって一生忘れられないものになったのだ。
僕と彼女と花火大会 あんころまっくす @ancoro_max
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