僕と彼女と花火大会
あんころまっくす
第1話
今年も夏がやってきた。夏は僕にとって試練のときだ。
なんといっても、彼女が夏を大嫌いなのだから。
【今年も夏休みに入りましたね】
僕は今日もSNSでひとつ年上の彼女に語り掛ける。そう
【こちらもようやくと言ったところだよ。まあ大学は夏休みが長いからね、若干涼しくなるまで出校しなくて良いのは有り難いのだけれど】
僕は高校三年生。彼女は卒業してこの春から大学一年生だ。学校行事のタイミングや授業の時間構成が違うので暫くは苦戦したけれども、どうにか調整しながら春を越え、梅雨が明けて夏になった。
繰り返しになるけれども、付き合って最初の夏、試練のときだ。
【ひとり暮らしもまだ一年目ですし、お休み中はご実家に戻られたりするんですか?】
【いいや、そんな予定はないよ】
【え、お盆とかも?】
【もちろん、我が家とてお盆に親族が親の実家に集まったりくらいはするけれども】
【行かないんですか】
【両親はともかく私は中学に上がった頃から行ってないね】
【なんという……】
去年も夏休み前に「休み中は家から一歩も出ないつもりだ」なんて聞いて唖然としたものだけれど、そこまでの筋金入りだったとは思わなかった。
【まあ、正月に聞かされる小言が少々面倒ではあるけれども、差し引いても損が無いくらい祖父母の待遇は良くなるよ。年に二回会える孫と一回しか会えない孫じゃあね】
【これはひどい】
【とんでもない。真夏に家から出ろと強いる以上の非道は無いよ】
うーん、返事のテンポが良過ぎて辛い。
【ちなみに夏籠りの支度とかは】
【万全さ。スーパーで冷凍野菜とお肉を買い込んだし素麺やお蕎麦の乾麺も完備している。コーヒーはインスタントだけれども二ヶ月やそこいらで飲み切ることはないだろう。スイーツも常温保存出来るゼリーを大量購入してあるから順次冷蔵庫で冷やしていく予定だ。抜かりないよ】
僕はきっと得意満面で打っているであろう返事をじっくり三回ほど読んで居間のソファに顔を埋めた。
手ごわい。あまりにも手ごわい。
ぐったりとしている僕に彼女はさらに追い打ちを放ってきた。
【もちろんキミが食材を持ち込んでくれるのは歓迎するよ。コンビニの期間限定スイーツとかは買い置きのしようもないからね。むしろ期待している】
お、おお。その夏籠りの片棒を担げとおっしゃいますか。
先輩とは言え自分の彼女でありひとり暮らしの異性でもある人物の部屋へお邪魔するというのは、僕としてはなかなか気後れするのだけれども、彼女にはあまりそういう気持ちは無いのだろうか。
ともあれ。
【わかりました。その辺はこっちでもチェックしときますよ】
とだけ愛想よく返してその日のやり取りは終わった。
夜ならもしかしたら、と思って計画していた花火大会の予定を消して代わりにコンビニ各店の新商品情報のメモを作る。まあ、これもまた彼女らしいと言えば彼女らしい。
それからも何度かSNSでやり取りし、ときには僕が彼女の部屋へ訪れた。
彼女の部屋は1LDKでひとり暮らしの学生にはちょっと広いくらいだけれども、読書家である彼女の蔵書は私室だけでなくリビングまで書棚を必要とするほどでありあまり広くは感じない。
ベッドの傍にはクローゼットがあるけれども、中身を覗いたことはない。駄目だと言われているし、もし開けたらそれこそ別れ話に発展するだろう。彼女はそれくらい着る物に今まで頓着しておらず、また、だからこそ未だに自信がないのだ。
それくらい僕だってとうの昔に知っているけれども、実態を見られるとなると、また違うらしい。乙女心は難しい。
彼女は今のところ本当に一歩も家から出る気が無いらしく、僕がカフェチェーンのフタバでコーヒーを買っていけば喜んでくれるけれども、フタバへ誘えば蛇蝎を相手取るような罵倒を受ける有様だ。僕は彼女を誘い出すという行為についてそこそこ諦めていた。
その日も駅前のラーメン屋で冷製ラーメンを二人前テイクアウトして彼女の部屋を訪れ、食後に(僕が近所のコンビニで買ってきた)期間限定スイーツに舌鼓を打ち、南向きの窓を避けて置かれたふたり掛けのソファに腰を下ろして書いたものを読んで貰ったり、彼女の大学での話を聞いたり、場合によっては彼女の蔵書を読んだりといったいつも通りの日常を過ごす。
「あ、そうだ」
彼女が唐突に切り出した。
「なんでしょう?」
僕が首を傾げると、彼女は数秒言葉を選んで口を開いた。
「来週の土曜日の夜を、私に空けられるかい?」
彼女に言われて空けられない予定なんてあるはずがないけれども、彼女もそれを承知しているだろうけれども、そう言わないのは彼女の節度であり、僕らの信頼だと、少なくとも僕は思っている。
「ええまあ、来週ですよね? 大丈夫ですけれども」
もちろんですとも! みたいな食い付き方はしない。
『押されたら引き気味に受けろ』
既婚の兄さんどころか、兄さんの奥さんからも言われたことだ。どちらにせよ経験者は発想がエグくてちょっと引く。
「そうか、じゃあうちに十九時くらいでどうだろう」
「わかりました。えっと、夕飯はどうしましょう?」
「私が用意しておくよ。素麺で良ければ」
先輩の買い置きしている素麺は結構ガチめの製麺所のやつだ。僕に出来ることは当日鮮度の良い薬味を買っていくくらいのものだろう。
「わかりました。ねぎとみょうがくらい買っておけばいいです?」
「そうだね。ああ、よろしく頼むよ」
翌週の頭にもまた彼女の部屋を訪れたけれども、そのときは特にこれと言った話は無く、ただ「じゃあ土曜日はよろしく」と言われただけだった。
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