その歩み、決して止めることなかれ
青空野光
なんてこったい!
こんな日に限って朝寝坊をしてしまうとは……。
急いで顔を洗って歯を磨くと、タンスの一番奥から蝶ネクタイを引っ張り出して首元に結びつける。
朝食を食べている時間など、当然なかった。
「いってきます!」
今日は親友のアマガエルのアマくんの結婚式の日だ。
彼とは幼稚園からの幼なじみで、かれこれ二十年来の付き合いになる。
小中高と勉強も運動も学年一で、その上男女隔てなく優しく頼りがいのあるナイスガイ。
それが僕の自慢の友達アマくん。
雨男なのが玉に瑕だが。
そんな彼のお相手は、やはり幼なじみでカマキリのマキちゃん。
切れ長で大きな瞳と誰もが羨むくびれのあるナイススタイルの彼女は、いつでもどこでも人の目をよく引いた。
だが、僕は知っている。
尋常ならざる彼女の気の強さを。
あのふたりの家庭は、きっとかかあ天下になるだろう。
でもまあ、お似合いのカップルであることは間違いない。
路地を抜けて大通りに飛び出す。
式の開始まであと三十分。
僕の足の速さではまず間に合わないだろう。
よく『蝸牛のごとき』というが、僕はその
その上きのう降った雨のせいで足元が悪い。
万事休すとはまさにこのことだった。
「すまん……アマくん、マキちゃん」
五月晴れの空を見上げながらふたりへの言い訳を考えていた、その時だった。
「あれ? もしかしてタツムリ先輩も寝坊ですか?」
聞き覚えのある声に振り返る。
そこにいたのは大学の後輩で、今日の結婚式で新郎の友人として出し物を頼まれていたはずだったリクガメのリクくんだった。
「え? 先輩”も”ってことは、リクくんも?」
「はい。今日に限って目覚まし時計の機嫌が悪かったみたいで……」
「そうかそうか、ははっ! 僕は単純に二度寝しただけなんだけどね」
笑っている場合か。
「先輩。とりあえず式場に向かいましょう。たぶん間に合わないと思いますけど」
「ああ、うん」
「僕の背中に乗ってください。こうみえて先輩よりは足、速いんで」
それはそうだろう。
僕は生まれてこのかた自分より足の遅い生き物など見たことがない。
案の定、彼の足は遅かった。
確実に前進しているはずなのに、なんなら景色が止まってみえる。
「リクくん。これはどう考えても駄目だね」
「いえ。勝負は終わってみるまでわかりませんよ」
「……うん。そうかもしれない」
ふたつ年下の後輩の言葉に感動してしまった。
彼の背に揺られるだけの僕に出来ることなどなさそうだったが、せめて少しでも負担が低減するようにと首を引っ込めて空気抵抗を減らす。
「……」
わかってはいたが、まったく意味はなかった。
リクくんと合流してからはや十五分。
距離でいえば三十メートルくらいは進んだだろうか。
式場は隣町。
「……詰み……ですかね……」
「……うん」
でも、僕たちはよく頑張ったと思う。
だからだろうか。
振り返って自分の背に乗る僕を見る彼の顔は、梅雨明けの爽やかな晴れの日を思わせる笑顔だった。
僕もきっと同じような顔をしているのではないだろうか。
ただ、アマくんとマキちゃんに対する申し訳無さは半端なかった。
「リクくん、どうしよう。とりあえず一旦帰る? それとも――」
「ちょっとキミたち! こんな時間にそんな場所で何してるの!」
若干の怒気を含んだカン高い声が通りの反対側から聞こえ、僕とリクくんは同時にそちらに目を向けた。
そこには青紫色のドレスを身に纏ったコアラのユカリさんの姿があった。
彼女は本日の主役の一人である新婦のマキちゃんの従姉妹にして、僕たちの住まうこの街の交番に勤める警察官で、昔からの顔なじみでもあった。
胸元に警察のワッペンの代わりにコサージュを付けている彼女も、きっと結婚式場へと向かっている最中だったのだろう。
「いや、寝坊しちゃいまして……はははっ」
笑っている場合か。
僕たちがこの場所にいる経緯を腰に手を当て聞いていた彼女は「事情はわかったわ。それじゃあふたりとも私の背中に乗りなさい」と言うと、大きく開いたドレスの背をこちらに向ける。
「え?」
「いいから早く! キミたちのスピードじゃ間に合いっこないでしょ!」
その剣幕に気圧された僕とリクくんは、言われるがままに彼女の背に負ぶさる。
「いくわよ!」
そう言うやいなや、ユカリさんは式場に向かって駆け出した。
その速度はといえばリクくんの四倍から五倍ほどで、僕のそれと比べれば十倍に近いのではないだろうか。
ただし、時速換算では二キロメートル以下だった。
「ちなみにユカリさんはなんでこんな時間に?」
「え? 私? 寝坊したのよ!」
やっぱり。
僕はもはや時計を見ることをしなかった。
なぜなら、そんなものを見ずとも感覚で『終わり』を確信できていたからだ。
こんなことならば前日のうちに、式場のすぐ近くのホテルにでも泊まっておけばよかった。
そんな後悔をしても無意味なことは、誰よりも自分自身が一番よくわかっている。
「ユカリさんありがとう。でも、もう諦めよう。僕らが着く頃には披露宴どころか、きっと二次会すら終わってるよ」
「いえ、まだ諦めるのは早いわよ、ふたりとも。上を見てごらんなさい」
彼女に促されて雲ひとつない青空に目を向けると、そこには――。
「えー。それではそろそろお時間となりましたので、アマさんとマキさんの結婚式を執り行いたいと思います」
司会進行役のシマリスのシマくんが柔らかそうなしっぽを左右に振りながら、その場に集った列席者に開式を宣言しようとしていた。
上空からその様子を捉えた僕たちは、屋外に拵えられた式場の椅子目掛けて一気に降下する。
スタリスタリと順番に着地を決めると、何事もなかったかのような涼しい顔をして新郎と新婦が入場を待った。
僕の横に座ったユカリさんがその愛くるしい顔を寄せて耳打ちしてくる。
(私のカレ、最高くない?)
(ええ。ハヤトさんのお陰で友人に不義理をしないで済みました)
僕たちを運ぶという役目を終え、上空を二度三度旋回したあとに去っていったハヤブサのハヤトさんに心のなかで手を合わせて謝意を述べる。
式はとても素晴らしいものだった。
三次会のカラオケまで出席して店の外に出た頃には、辺りはすっかりと漆黒の闇に覆われていた。
ユカリさんの彼氏は夜目が利かないそうで迎えには来てくれず、僕たち三人は近くにある飲み屋で明け方まで時間をつぶすと、日の出とともに再び歩き出す。
「次はタツムリくんの番だね」
ユカリさんがニヤニヤと笑いながらそう言った。
「何がです?」
「結婚よ」
確かに、あんなに良い式と幸せそうな姿を見せられてしまっては、僕としてもそれはやぶさかではなかった。
――でも。
「それより先に」
「うん?」
「車の免許を取ろうかと」
―おしまい―
その歩み、決して止めることなかれ 青空野光 @aozorano
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