第8話

 一回戦の会場には、相も変わらず記念参加の子どもたちと、謎のロボットと、おじいちゃんおばあちゃんに、必死にネタ合わせをする学生。

 そして、何人か見覚えのある崖っぷちの芸人たち。

 

「6年前、俺が倒れな、二回戦からやったのに」

 

 野晒の喫煙所で煙草を吸う七緒。

 言葉からして、あの時倒れた昔の自分のことを悔いているのだろう。

 俺はその隣で水を飲みながら、口を開く。

 

「いや、これでいいんじゃね、復活初年度にして、ラストイヤー、千両漫才堪能するなら最初からよ」

 

 だらだらと過ごしてたとはいえ、この空白の期間、俺たちは劇場でも評判の漫才師になった。

 単独公演も出来るし、そこそこの集客もある。

 そして、今もなお闇ステージに立って、正直いい意味でも悪い意味でも頭がきちぃお笑いファン相手にもしてる。なんなら、囲われだけに向けて笑いをやっている実感があるくらいだ。

 そして、どんなクソみたいな営業にだって、がんがん行っている。

 相変わらず俺はお滑り大魔神だが、飲みに行く社長さんとかからは評判もいいおかげで、そこからも仕事を引っ張れる。

 

 そして、俺達は正直難なく準決勝まで進出した。一回戦二回戦共に一位通過、準々決勝では二つ前のコンビがとんでもない滑り方をしたが、自分たちのところで持ち直した。

 

 あとは、準決勝。それだけだ、それを超えれば、決勝だ。

 

 準決勝当日、俺たちはウケた。なんなら五本の指に入るくらいには笑いを取れた。出せるもん、全て出した。残るものは何もない。

 

 最後の決勝進出発表。心のなかで祈れるもの全て祈った。

 なんならば、俺がこの世で一番嫌いな存在にも祈った。

 

 そして、俺らの名前は呼ばれることはなかった。

 

 愕然とする俺たち。決勝へと呼ばれた人たちの歓声や、スタッフたちの声、後輩たちの慰めがが遠くのように感じる。

 

 そして、俺らは一度マネージャーに会議室に来るようにと呼ばれる事になった。落ちたことを言われるのだろうか、戦々恐々とする俺を尻目に、マネージャーはただ七緒の方を見ていた。

 

「ねえ、七緒さん。隠していることありますよね」

 

「七緒の隠し事? なんすかそれ、俺すら知らないのに……」

「矢吹さん、あなたにも関わる話です」

 

 マネージャーの言葉に、え、と思いつつ七緒見る。七緒無表情のまま、そこに座っていた。

 

「うちの、兄とは絶縁しております」

 

 七緒の声が震えていた。こんなにも動揺した相方の姿を見たのは初めてだった。

 

「そうもいかないんです、今回厳しくなってしまっていて。実は、上層部の一部と関わりが出てしまったのがリークされかけました」

 

「笠屋組の組長と血縁関係ですね」

 

 俺は、凍りついた。笠屋組というのは、俺にとっては本当に他人事ではない、寧ろ怨みすらある名前だ。

 

 七緒の顔を伺う。その顔は酷く諦めたような顔をしていた。

 

 

「なあ、七緒、どういうことだ?」

「……そういうことや、まさか縁切って、なるべく大阪行かんようしてたのにな、こんなことなるなんてな」

 

 

 諦めたように宙を見たあと、ゆっくりと俺の方見た。

 

「なあ、俺を恨むか?」

 

「……まあ恨むよ、なにせ、うちの母親が狂った宗教の元締めだから。でも、七緒は縁を切ったんだろ」

 

「ああ、せや」

 

「なら、黙ってたことだけ許さないでおくわ」

 

 

 そう、母親が狂った宗教の裏にいた日本のやべぇやつらが、相方の親族とは、これは事実はコントより奇なりってか。

 

「とりあえず、上層部にはそう伝えておきます。ただ、あの人たち今過敏になりすぎて何するか……戸籍上は七緒さんは別戸籍なのが良かったです。ただ、今回の結果にそれが影響したのは確実です。だって、ウケは、レディスミスが、一番良かったですから……っ!」

 

 マネージャーの悔しそうな声。それを聞いてなんとも言えない気持になる。

 

「お願いです、敗者復活戦勝ってください。人気投票ですから、一番面白いのはお二人だって……!!!」

 

 

 一番面白い。その言葉の重みを、俺たちも、マネージャーもわからないわけではない。ただ、その気持ちに報いるには、またあの寒空の下の戦いを制さなければならない。

 

 

「七緒、腹決めろ。俺は腹決めたから」

「当たり前やろ、やるしかないんやもう」

 

 

 本当の意味でラストチャンスになってしまった気がする。多分だが、ここで決めなければ、俺たちは表舞台には立てないだろう。

 

 

 そして、寒空の決戦。

 広い競馬場ではなく、決勝会場近くの競技場に作られた野外ステージに俺たちは居た。

 

 出順は12組中7番手。勿論七緒に引かせた。俺は笑いの神に嫌われてるから、少しでも神様に好かれてる七緒に引いてもらったら、なんとかトップバッターだけは回避できた。

 

「まじ、俺ら終わりましたわ、兄さん」

「いやまあ、そうだなぁ……」

 

 トップバッターを引いた後輩のエレンポス坂井は、酷く落ち込んだ様子で喫煙所の奥で蹲る負の産物と化していた。

 

 大丈夫、お前らは後3年ある。

 

 心のなかでそう思い、口を出さず、煙草を吸う七緒の隣で俺はいつも通り水を飲んだ。

 

 

 はじまった、本番。

 7番目、俺たちの次はCMが入る。

 そう、絶好のタイミングだ。

 

「今日が、最後かもしれんな」

「何言ってんだ、千両稼いで帰ろうぜ」

 

 出囃子が鳴る。拍手が聞こえる。早足で向かうは極寒のステージに聳え立つサンパチマイク。

 

「どうもーレディスミスです〜こちらがスミスで私がレディを担当してます」

「待て、お前がレディなわけないだろ。てか、俺のスミスもなんだよ。英語教科書でしか出会ったことないわスミスなんて。

 まったく、すみません、七緒と矢吹でやらしてもらいます」

 

 

 軽快な滑り出し、温められた会場で少しずつ笑いが大きくなっていく。

 

 軽快に喋りが繰り広げられる。

 ネタは英語の教科書。今年できた新作だ。

 

 わかりやすいネタのため、やっぱりウケが良い。ボケ数を少し増やしたり、調整したネタだ。

 

 今までで、最も長くて短い4分間。

 

 袖に戻って、お互いの顔を見合う。

 

「後は神のみぞ知るやつだわ」

「笑いの神様、今日くらいやぶちゃんと俺にも微笑んでくれ」

 

 

 もうここまで来たら、ただ笑いの神様に祈るしかない。風が吹き抜ける喫煙所の中で煙草を蒸す七緒の隣で俺は全身で祈り続けた。

 

 しかし、その祈りはその3つ後で崩された。別事務所の、やばいネタの奴ら。よく一緒の闇ステージで立ってたやつらだ。戦友とも言えるやつらだ。

 

 笑いの神様は、に微笑んだようだ。

 

 爆笑の渦。周りの奴らもモニターを見ながら笑う。俺も悔しいけど笑った。ただ、七緒のみが静かにモニター見ていた。

 

 その後、本編が開始して、すぐ敗者復活戦組が呼ばれた。結果発表は上位2組が以外発表され、そいつらと俺たちレディスミスが残った。

 

 万が一を掛けて、最後、もう一度願った。

 すべてを捨ててもいい、どうか、この一瞬だけでも俺たちに笑ってくれ。

 

 そして、その時が来て、そして、散った。

 

 

「おめでとう、行って来い」

 

 俺は戦友の背中を押した。走って会場に向かう姿を見送る。

 

 終わったのだ。すべて、終わった。

 その後、俺たちは散り散りに解散することになった。その中で、俺と七緒だけがその会場で最後まで見届けた。

 

 知らなかったけど、優勝者が決まると、スタジオと同じように金の小判の形をした紙吹雪が特設ステージにも放たれるのかと。

 

 美しい光景だった。しかし、その千両は俺たちではなく勝者に向けられたものだった。

 

 千両芸人になったのは、芸歴5年目の他事務所の若手だった。

 

 

「なあ、やぶちゃん」

「なんだよ、七緒」

 

「話があんねん」

 

 珍しくそう言って、俺を誘った七緒。家に帰って、酒飲んで、そして。

 

 

「これが最後や。俺、芸人やめなあかんわ」

「どういうこと……?」

「親父や兄貴が今日捕まったわ。下手したら俺も無事に済まないと思う。やぶちゃんには、迷惑掛けるから纏まった金も渡す」

 

「七緒……そんなの、なんで」

 

 問い詰めたい。しかし、七緒の顔を見る。それはとても穏やかで、覚悟が決まった顔だった。

 俺は今にも叫びそうな口を必死に閉じて、七緒を見つめた。

 

「ただ、我儘かもしれんけど、一つお願いがあんねん」

 

「なんだよ」

 

 その後放たれた言葉は、正直正気の沙汰ではない。なんでやねん、って言うべきか迷ったくらいだった。

 

 それでも、そのお願いに頷いた俺のがどないやねんというところだろう。

 

 

 初めてで、最後の、だ。俺の内臓はもうずたぼろ。しかも、浮かされた寝言を言うもんだから、溜まったものじゃない。

 本当に、最後までとんでもないやつや。

 最後の最後に、そんな爆弾をおいていくな。

 

 

 まだ起き上がれない俺を放置して、七緒は纏めていた荷物持った。そして、少しも振り返らず、「煙草を買うてくる」と言って出ていく。

 

 ドアホ。まともな別れの言葉も言えねぇのか。

 

 俺は、暫くして痛みに慣れた体を引きずって、外に出た。ふらふらと、安い立ち飲み屋に入る。周りの若者たちは千両芸人の話をしていた。誰が面白い、誰が優勝だ、だれが敗者復活戦で勝つべきだったか。

 うるさい黙れ、素人が。言うのは簡単だが、素人を笑わすのが俺たちの仕事だから、それぞれの素人の意見を罵る権利はない。

 

 適当に酒と軽いつまみ。ベロベロになるまで飲んだ。

 

 

 そして、今は突き飛ばされた挙げ句、ゴミの中で死ぬ前の微睡みを楽しんでいる。

 

 

 ああ、終わったわ。すべて。

 

 打ち付けた体の痛みを感じながら、俺はゆっくりと目を閉じる。

 瞼の裏には、俺と七緒がモニターの向こうで金の紙吹雪中喜び合う姿。随分若いから、あの七緒が倒れたときの頃の姿だろうか。

 

 そうか、あのときなら勝てたのかもしれないな。

 たらればの世界だが、その時の運と空気に左右されるのが芸人の世界だってことは、俺がよく知っている。

 それを言ったらダサいやつ扱いされそうだけれども。

 

 

 というか、最後に見る夢まであの迷惑な相方と一緒とか。

 

「えぇ、加、減にしろ、ってか」

 

 ガスガスな声で、呟いた。

 目はもう開くことはない。そして、振り絞ったその声は誰にも拾われることはなく、喧騒の中に消えていった。

 

 

 

 おわり

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千両が舞う 木曜日御前 @narehatedeath888

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