Introduction to Rhapsody
「──そういった訳で、全ての敵を排除した俺は古城を離れた。カルヴァート家の至宝は誰の手に渡ることもなく、イングランドの糧であり続けるだろう。……ここで終われば良かったが、大変遺憾なことに番狂わせが起きちまった。──お前、どうして生きてるんだよ」
黒幕──エリスと名乗っていた少女は、頬を歪めながら吐き捨てるように問うた。端正な顔立ち全体に、嫌悪と不快感が滲んでいる。
「どうしてと聞かれてもな。仮にも死ぬか生きるかの二択を迫られる仕事を請け負ってる人間が、何の対策もせずに現場へ臨むと思うか? たしかにお前の剣は俺の心臓を狙ってたんだろうよ。だが、
黒幕の睨み付ける先に立つ、
言葉とは裏腹に残念がる素振りのひとつも見せなかった傍聴者に、黒幕はあからさまな舌打ちを寄越した。かつてと変わらぬ出で立ちのニールとは対照的に、肩口まで伸ばされていた彼女の髪の毛は短く切り揃えられ、白い
獲物を確実に仕留められなかったのが余程悔しかったのか、黒幕は唇を噛んだまま睥睨し続けるのみ。これでは埒が明かないと判断したのか、続けてニールが口を開く。
「俺の生死はさておき、だ。お前には聞きそびれていたことがある。せっかく奇跡的な再会と相成ったんだ、ここで聞いても構わないな?」
返答はない。沈黙を肯定と受け止めたのか、ニールは遠慮なく切り込む。
「お前は全ての敵を排除したと言ったな。テューフォンなんかはわかりやすかったが、それ以外──特にヘーゼルダインの坊っちゃんとは、初日から打ち解けてたみたいじゃねえか。復讐を目的としていないなら、何故奴を殺害に至らしめた? 実行犯はお前じゃないんだろうが、手引きしたのはお前だろ」
「随分詳しいな。テジェリアの従者から告げ口でもされたか?」
「わかってるんじゃねえか。ま、告げ口というよりは、後から聞き出したってのが正しいな。うちの
それよりも早く本題に入れよ、とニールは脱線しかけた話を戻す。いつまでも引き延ばしてはいられないと悟ったのだろう、ひとつ嘆息してから黒幕は語る。
「簡単なことだ。エレーレイス・ヘーゼルダインは祖国を見限っていた。カルヴァートが敵と見なすには十分過ぎる理由だ。まさか本当に死んでくれるとは思わなかったが、これも俺の日頃の行いってやつかな」
「見限っていた、ねえ。他国の傘下に入るのが得策だとでも?」
「どうだかな、そこまでは聞いてない。ただ、奴はイングランドに期待できないと言った。大方、ハプスブルグに迎合する心積もりだったんだろう。俺からしてみれば、あり得ない話だ。奴らに尻尾を振るくらいなら、真っ向から勝負を挑んで負けた方がずっとましだね」
「そんなに他国へ
「嫌に決まってんだろ。全ての土地はいずれ祖国のものとなるべきだ。だのに不遜にも所有者を名乗り、あろうことか祖国の脅威となる存在があるとすれば、それはすべからく排除されなければならない。祖国の威光にかしずく、あるいは志を共にして同盟を組むっていう賢明な判断ができない連中など、この世にいて良い訳がないだろう?」
「相も変わらず思想が強いな。さすがのイングランドも胸焼けしちまうんじゃねえか?」
からからと笑われ、黒幕はますます眉間の皺を深くした。取り逃がした気に食わぬ相手に祖国を語られたくない──そんな不満が、ありありと映し出されている。
できることなら今すぐに目の前の男を殴り飛ばしてその場を去りたかったが、同じ相手を前に二度も逃げる背中を見せたくはない。黒幕は苛立ちを隠さぬまま、ニールの言葉を待つ。
「エレーレイス・ヘーゼルダインについてはわかった。あの若君も災難だったとしか言い様がねえな。──で、だ。レアード・テューフォンに関しては、ヘーゼルダインとこの従者をけしかけたってことで良いか?」
「いちいち癪に障る言い方をするんだな、お前。別にけしかけてなんかいねえよ。あっちが勝手に勘違いしただけだ──強硬派のテューフォンなら、初っぱなにエレーレイス・ヘーゼルダインを殺害してもおかしくはないってな。実際、刺客たちは俺を狙いにしていたが、どういう訳か俺とエレーレイス・ヘーゼルダインを間違えた。その後、テューフォンの従者に襲われる俺を見かけたんだから、仕方ないことだと思うね」
「その口振り、やっぱりお前が糸を引いてるんじゃねえか。刺客どもを先導したのもお前だろう。結局あいつらはテューフォンの手の者だったのかね」
「いや、あれはテジェリアが雇ってた。騎士道に憧れてた世間知らず──ああ、マイカとかいったっけ? あいつもテジェリアの差し金だ。マドリードのお嬢様は、従者のことを信用してなかったんだろう。今となっては、聞き出す術なんてないけどな」
「随分と変わっちまったからな、あのお嬢様は。お前が一服盛った──って訳じゃあないんだな?」
「阿呆か、あれは自業自得だ。あの様子じゃ、新大陸の薬草でも乱用してたんだろ。イングランドでもよく見るぜ、四六時中煙草を飲んで、気がおかしくなってる奴。それが重篤になったってだけだろうよ。俺だって、可能なことならテジェリアに喧嘩を売りたかない。いくら敵対してるとはいえ、あっちはそれなりの格だ。手を出したことが露見すれば、カルヴァートが直接攻撃されかねないからな。勝手に自滅してくれて助かったよ」
「俺がスペイン帰りで良かったな。これから行くってところだったら、テジェリアの従僕に一切合切伝えてやってたかもしれねえ」
「へえ、お前わざわざテジェリアのところに顔出してたのか? 奴らはお前が逃がしたらしいけど」
成り行きだ、とニールは何でもないように嘯く。
「連中と特別仲良くしてた訳じゃねえ。……が、たまには善行を積むのも悪くないと思ってな。メレディスの坊っちゃん共々、しばらくうちの氏族のもとで面倒見てやってた。テジェリア側から謝礼したいってんで、ありがたく受け取りに行ってたってだけだ」
「結局報酬目当てかよ。これだから俗物は」
「誰も彼もがお前みたいにただの忠誠心で動いてると思うなよ。これでもテジェリアはおとなしく受け入れてくれた方だ。嫡男を失ったヘーゼルダインとテューフォンは大騒ぎだったぞ。メレディスは何故か落ち着いてたがね。俺たち氏族が奴らの遺体を届けてやったんだ、お前からも感謝して欲しいものだな」
「四方八方に恩を売る良い機会になったとでも思えよ。まあたしかに、連中からの詰問はあったらしいな。カルヴァートに貸しのある近臣どもに口利きしてもらっといたが……それがどうしたよ」
「どうしたもこうしたもねえ。うちのお嬢だけ生死もわからず、遺体すら見付からなかった。よくわかんねえメレディスの従僕は死んでたのに、だ。おかげで俺は雇い主を見失った能なし扱い、こればかりはきっちり説明してもらわなきゃ気が済まん」
「説明も何も、お前らが見付けられなかったってだけだろ。アイオナ・コフィーの偽物は古城の中に置いてきた。奴が奴だとわかるうちに探し出せると良いな」
「他人事みたいに言いやがる。新しい用事でもできない限り、アイルランドには行かねえよ。誰かさんのせいで、散々な目に遭ったからな」
明らかに自分へと向けられた眼差しを、黒幕はそうかよ、の一言で済ませる。彼女には罪悪感というものが皆無らしい。
今までの苦労を思い出したのか、ニールは一度眉間を揉んだ。さすがの彼も、ありとあらゆる尻拭いをさせられて参っているのだろう。そう思うと、黒幕の機嫌は僅かに直った。本音を言えば、ニールの不幸を肴に一杯やりたいところだが、酒癖の悪さは自負するところである。旅立ちの直前に二日酔いで撃沈する訳にもいかないので、楽しみは乗船してからにしておこうと我慢する。
「話したいことはこれで終わりか? 俺はお前に時間を割きたくないんだ。用がないならさっさと失せろよ」
「なんだ、つれないな。俺はお前が元気でやってたか、ずっと気にしてたんだぜ? 今まで何して過ごしてたかくらい教えてくれても良いだろ。せっかく殺し合った仲なんだからさ」
「おえっ、気色悪いこと言うなよ。船乗る前から酔ったわ、最悪」
「はは、お前のそういう顔は嫌いじゃないぜ。いっつも猫被ってたもんなあ? で、近況はどうなんだよ。あれだけ好き勝手やったんだ、お咎めのひとつやふたつあったんじゃねえのか」
「は? ある訳ないだろ、お前と違って上手くやれるんだから。そもそも、俺がエリス・カルヴァートである証左なんてどこにあるんだ?」
ぱちくり。ニールの青い目が瞬く。
絶対口に出してはやらないが、ニールの言うことも一理あるかもしれない。今まで澄ました顔でぺらぺら言葉を連ねていた相手の虚を突くとは、何とも小気味良いものだ。
口角の端のみをつり上げ、黒幕は意地悪く微笑む。わかんねえかよ、と喉を鳴らしつつ、答え合わせと洒落込んだ。
「エリスってのは偽名だ、偽名。表向きにはただの貴族ってことになってるが、うちはイングランドの暗部を担ってるんでね。子女の数なんて、いくらでも捏造できるって訳。会合が催されていた時、俺は体調崩して保養地にいたってことになってる。勝手に動き回ったエリスは、逃亡中にどこかで野垂れ死んだのさ。だからカルヴァート家を責めることはできても、俺個人に飛び火することはない。主催者は臆病者の叔父上な訳だしな。近臣どもがエリス・カルヴァートなぞ知らぬとだけ伝えれば、追及はそこでおしまいだ。どれだけ詮索したとて、エリス・カルヴァートなぞこの世に存在しないのだから、結果なんて目に見えているだろう?」
「……なるほど。俺たちは最初から騙されてたって訳か。たしかによっぽど名のある家でもなければ、子女、とりわけ娘の数など正確に把握することは難しいだろうよ。その手の隠蔽工作がお得意な一族なら尚更だ」
「そういう訳で、俺は心穏やかに旅の準備をしてたのさ。どっちかっていうと、ルイス・メレディスの替え玉の心配をしてやるべきじゃないか? あいつ、結構痛め付けられてたけど、その後どうなったんだよ。お前、テジェリアの二人だけ助けたんじゃないだろ」
「当たり前だ、むしろテジェリアのガキどもはおまけみたいなもんだ。あの後坊っちゃんは手当してやって、ハイランドの本拠まで連れ帰ったさ。本人はコーンウォールに帰るって駄々こねてたが、帰ったところで捨てられるのは目に見えてる。何とかなだめすかして、今は俺の補佐役をやらせてるよ。坊っちゃんは素直すぎるところがあるが、聡いし賢しい。そのうちウェールズに戻りたいって言ってるから、いつまで置いておくかはわからんがな」
「ふうん、可哀想にな。脳筋ばかりに囲まれてちゃ疲れるだろ」
「嘘つきまみれの宮廷で汚れ仕事ばかりやってる一族よりはましだ。中には姪にぶち殺された叔父もいる訳だしな。まったく、金輪際関わりたくねえ」
「ばーか、叔父上は勝手に毒飲んで死んだだけだ。仮にもカルヴァートの姓を戴く一人なんだから、俺の志に同意してくれるかと思ったんだが──どういう訳か、こんなに非力な女一人に怯えるようになってな。行動方針を一から十まで効かせてやってからというもの、四六時中命乞いしてくる始末だ。おかげで隠し通路の把握が遅れたよ。そのくせ一人でさっさと死んじまうもんだから、本当なんなんだよって感じ。死ぬなら少しくらい祖国に貢献してから死ねよな」
「お前、
「余計なお世話だクソ野郎。言っただろ、俺がこの心を明け渡すのは祖国にだけだ。人間なんて、祖国の役に立つか立たないかだろ。色ボケしたお前とは違うんだよ」
「そうかい、それならせいぜい初恋の痛みにのたうち回れば良いさ。それと、俺はあくまで氏族の存続を第一に考えてるんだ。長ってのは同族をまとめるだけじゃ足りん。次代に氏族を繋げるのも大事な役目だ。お前は強い上に頭も切れる。
「はん、どっちもお断りだ。言っておくが、俺には向かわなければならない先がある。お前なんぞに構ってる暇はないんだよ」
「そこまで言うってことは、さぞや高尚な志を戴いた旅になるんだろうな。未開の土地を切り拓き、いたずらに人殺しを楽しんで、文明を破壊せしめるのか?」
まさか、と黒幕は一笑する。両腕を翼のように広げながら、彼女は誇らしげに白い歯を輝かせる。
「父上を捜しに行くのさ。いわく、
「そりゃ大変な旅路になりそうだな。だからそんな格好をしてるのか。お嬢様ぶってるお前も見物だったけどな」
「うるせえな、しばらく可愛い服はやめだ。このなりの方が色々やりやすいんだよ」
「ああ、そういえばお前、背が伸びたな。それなら新しい服を用意するのも手間か。合点がいった」
「けっ、相変わらずきっしょいな。じろじろ見てんじゃねえぞ。次変なこと言ったらその両目を潰してやる」
「はいはい、肝に銘じておくさ。で、お前はこれから何て名乗るんだ? 今までが
エリスだったから、エリックとか?」
「エリックか……なんかフランス語っぽくて嫌だな。くそ、連中さえいなければ、大陸にも領土を広げられたのに……。ああ、思い出したら苛々してきた。俺の代でぶっ壊れてくれないかな……」
ぶつぶつと一頻り隣国への愚痴をこぼしてから、黒幕は顔を上げた。こうなったらやけくそだ、となげやりに前置きして告げる。
「お前からは長としての名を聞いてるからな。貸し作ったままってのも気持ち悪いから、特別に教えてやる。我が名はアリシア──アリシア・カルヴァート。もう二度と会うつもりはないから、とっとと忘れて田舎に帰りな」
「アリシアか、だったらアリックだな。記憶の片隅にでも置いておくさ」
「忘れろって言ってんだろ。……まあ、名付けに関してはそこそこだからな。今回ばかりは無礼な言動も見逃してやるよ」
ふんと鼻を鳴らし、今度こそ黒幕はニールの横を通り過ぎて行く。その目はもう彼を、いや、過ぎし会合の方など向いてはいない。父親を捜し、まだ見ぬ世界を見極めるという役目のみを胸に抱いているのだろう。
間もなく船が出港する。ハイランダーらしい出で立ちの青年も、既に立ち去っている。彼らに気を留めた者は誰一人としていない──端から、気配を悟らせていないのだ。
この余聞はやがて薄れ、風化と共に消えていく。怪物の第一歩、旅の始まりを紡ぐ物語は、世界を動かすことなく幕を下ろした。
霧海に煙れ、怪物の宣誓 硯哀爾 @Southerndwarf
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます