その拳は鋭く風を切るが

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その拳は鋭く風を切るが

 昼下がりの午後。

 給食を食べ終えた生徒達は校庭に出て、思い思いに過ごしていた。

 ある者は木陰で涼みながら友達とおしゃべりを楽しみ、またある者たちはサッカーや鬼ごっこをして遊んでいる。

 1人の少年が、教室に戻ってくる。

今日は給食係で、クラスの食器を片付けるのが彼の役割だったからだ。

身体は細い。

 しかし、体格はしっかりとしていた。

 少し小生意気に見え、ルックスは悪くないが、どちらかと言うと一山いくらの、どこにでも居る少年であった。

 名前を、木村風樹と言う。

 風樹が教室の片隅で、黄昏れている少女を見かけたのは、そんな時だった。

 肩のあたりで揺れる毛先が大人可愛いワンレンミディアムヘアの少女。

 身長は高く、スタイルが良く顔も整っているため、美少女と言って差し支えなかった。

 ただし、目つきが悪い。

 つり上がった大きな瞳は、どこか攻撃的な雰囲気を放っている。

 名前を、安理紗子と言った。

 理紗子は一人ぼっちで、窓の外に広がる青空を見上げていた。

 その瞳には光が無く、どこか寂しげな表情を浮かべて……。

(何だか元気が無いな)

 普段から勝ち気で明るい性格の安理紗子が、こんな風に沈んでる姿を見るのは初めてだったので、心配になった。風樹は、なるべく優しい声で話しかけた。

「どうしたんだ、安?」

 すると、彼女は、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 その顔を見て、風樹は思わず息を飲む。

 何故なら、そこには見たことも無いような悲しそうな顔をした少女がいたからだ。

 いつもの明るく活発な彼女からは想像も出来ないくらい、弱々しい雰囲気に戸惑っていると、理紗子の方から声をかけてきた。

「あたしら、小学校卒業なんだね……」

 そう呟く理紗子に、風樹は戸惑いながらも返事をする。

 それと共に、風樹は聞いていた件を思い出す。

「そう言えば、安は俺らとは別の中学に行くんだったな」

 引っ越すという訳ではないのだが、理紗子の家の方針で風樹が通う中学校とは別の中学に行くことになったのを聞いていた。

 公立の学校は自分が住んでいる住所によって、通う学校を指定される「通学区域制度」がある。住所によって指定された通学区域を「基本学区」と言い、原則は基本学区に則って就学することになっているが、学区外の学校でも選択できる場合がある。

この学校を選択できる制度を「学校選択制」と言う。

 理紗子の家は、学校選択制を選んだ。そうなれば、これまでの友達とも今のように気軽に会うことは出来なくなってしまうだろう。

 だから、理紗子は落ち込んでいるのだと思った。

「でもまあ、安の友達も、そっちの学校に行くらしいじゃん。これからも仲良く出来るんじゃないかな?」

 慰めるように言うと、理紗子は、

「まあね」

 と、少しだけ沈黙した後、ポツリと言った。

 まるで独り言のような小さな声で。

 しかし、はっきりと聞こえるように。

 それが自分に言い聞かせるような言葉だと気付いた時には、既に遅く……。

 理紗子は俯きながら口を開いた。

 その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 風樹はその瞬間、理解した。

 風樹がどれだけ残酷なことを口にしてしまったのかということを。自分の言葉で彼女がどんな気持ちを抱いたのかということも。

 ただ、原因は分からない。

 風樹はただ思ったことをそのまま口に出しただけだ。

 なのにどうして理紗子は泣いている?

 どうして自分のせいで傷ついている?

 一体、何を間違えたというんだ?

 風樹は何も言わずに立ち尽くしていた。

 すると、理紗子は机から、一冊の本を取り出す。

 お菓子作りの本だった。

「この前、ケーキを焼いたの。チョコレートケーキだよ。チョコって美味しいよね」

 泣き笑いしながら、理紗子は言った。

 それはまるで無理矢理笑おうとしているかのような口調だった。

「それでさ。この前、食べてもらったの……」

 そこで言葉を詰まらせる理紗子。

「誰に?」

 風樹は数瞬の後に、ようやく口を開くことが出来た。

 恐る恐る尋ねると、理紗子は答えた。

 今まで聞いたことのないような暗い声で。

 震えた声で。

 涙混じりの声で。

 一言だけ告げた。

「好きな人」

 と。

 風樹は、その時初めて知った。

 自分がとんでもない過ちを犯してしまったことに。

 理紗子が恋をしていたという事実に。

 風樹は状況の不味さを感じた。

 踏み込んではいけない領域だと感じた。聞いてしまった以上、この場から逃げられないと思た。

 理紗子を泣かせたままではいられなかった。

 せめて、彼女の笑顔を取り戻したかった。

 だから、勇気を出して尋ねた。

 何故なら、風樹は知っていたから。

 安理紗子という女の子のことを。

 そして、その想い人が誰なのかということも。

「ひょっとして、あいつかな……」

 風樹は、心当たりのある人物が思い浮かぶ。

「あ、分かる。あたしら、つるんでたもんね。色々と衝突したこともあったけどさ、卒業したら気軽に会えなくなるって思ったら、自分の気持に嘘はつけなくてさ。この前、家に呼んだんだ。チョコレートケーキを食べてもらおうと思って……」

 理紗子の話を聞いて、風樹はバレンタインデーがあったのを思い出す。自分がモテなくて貰えていないのはいつものことなので気にしなかったが、理紗子のチョコレートケーキはそういう意味なのを察した。

 そして、ある人物の顔を思い浮かべる。

 そう言えば最近、二人で一緒に居るところをよく見かけていた気がするが、まさかそういうことだったとは思わなかった。

 何故なら、二人は仲が悪いことで有名だったからだ。

「その日はさ。あたしお洒落したんだ。髪も綺麗にして服も選んで、化粧も頑張って。アイツを部屋に入れて、二人でチョコレートケーキを食べかけて、あいつ美味しいって言ってくれたんだ。

 だからさ、わたしも言ったんだ。好きって……」

 そこまで言って、理紗子は黙り込む。

「そしたら、あいつ喜んでくれた」

 そう語る理紗子は嬉しそうに見えた。

 だが、それも一瞬のことだった。

 すぐに悲しげな表情を浮かべる理紗子。

「あいつ言ってた。僕、ずっと安さんに嫌われているかと思ってた。残り少ない学校生活だけど、仲良くしてね。って」

 それを聞いて、風樹は悟った。

「ねえ。あたし、失恋したのかな」

 理紗子は複雑な胸中を口にした。

「……いや。あいつ理解してないんだよ」

 そう慰めの言葉をかけると、理紗子は苦笑していた。


 ◆


 放課後。

 生徒達が思い思いに帰宅を始める中、風樹は一人の男子生徒に声をかけた。

「光希。一緒に帰ろうぜ」

 やせ形のオーバル型メガネをかけた少年。

 小ぶりで丸みのある形状のメガネをかけているためか、落ち着いた優しい印象がある。取り立ててカッコよくない目立たない男の子ではあったが、素朴で温かく、日差しを受けて香る土の匂いが伝わってくる。

 名前を、佐京光希と言った。

「そう言えば光希。この前、安にケーキをごちそうになったんだって」

 風樹は話題を振る。

「うん。凄く美味しかった。安さんって、料理上手なんだよ」

 屈託のない笑みで答える光希。

「その時さ、何か無かった?」

 風樹に問われて光希は考える。

「安さんは日本拳法をしてて、僕は武術ウーシュー(中国武術)をしてるから二人で少し組手した」

 光希は、その時の事を思い出す。


 ◆


 理紗子の家の庭にて、向かい合う二人。

 日本拳法には、蹲踞の姿勢から始まる。

 武術には、抱拳礼式という挨拶がある。

 互いに格技が異なるし、理紗子はオシャレを決め手のスカートだったので、間を取って日本の文化、お辞儀の礼を行う。

 理紗子は、なんでこんな事をしているのだろうと思った。

 思いつつも告白をいなされて、何だか腹が立ってきた。

 ご立派気味の理紗子から攻める。

 前拳、後拳の連続突きからの、左後ろ足を使っての後蹴。日本拳法では、同じ前蹴りでも、そのように呼ぶ。

 ここで光希は左手を上から外に向かって、理紗子の蹴りを外へと払い脇腹に右拳を入れるが、理紗子は肘で受ける。

 蹴り足を戻す理紗子に対し、光希は一気呵成に拳での連続技へと繋げていく。

 左の圏捶から始まり、頂肘、劈掌……。

 全てを受ける理紗子だが、反撃に移る隙を与えない連続攻撃に防戦一方となる。

 光希の拳技を切らせる為、大きく間合いを取る理紗子。

 それに対し、光希は追い込む様に前方に最も強く力を伝える歩形・弓歩になり、右拳で遠距離攻撃に向いた順歩捶を放つ。

 寸止めでの組手であり、本気の組手でなかった為か、光希の踏み込みが浅い。

 理紗子は、伸び切った光希の右手首を、右手で掴む。

 前へと踏み出し光希の右外側に身体を移動させると、左手で光希の右肩を下から押さえ肩固めに入る。

 地に身体を押し付けられた光希は、軽く肩に痛みを感じた。

 関節を決められた光希は、敗北を認めた。

 光希は起き上がる。

「ありがとう。安さん」

 光希の顔には悔しさはなく、清々しい表情で理紗子に礼を言う。

 差し出された光希の手を、理紗子は少し怯えたように握る。

 少し冷たい手。

 心の温かい人は手が冷たい。

 そんな言葉を理紗子は思い出す。

「け、結構やるじゃん。ま、あたしの方が強かったけどね」

 光希の手を握ったまま離さない、理紗子の頬は朱に染まっていた。


 ◆


 短いながらも充実した時間だったのを、楽しそうに言う光希。

「……光希。お前、鈍いよ」

 それを聞いた風樹は思わず呟いた。

「え。そんなこと無いよ。風樹、ちょっとそこに立ち止まって」

 風樹は言われるがままに立ち尽くす。

 光希はカバンを置き上着も脱ぎ、袖を捲ると風樹の正面に立った。

 距離を測る。

 光希が腕を伸ばしても、風樹まで30cmもの距離を空けて立つ。

 少し腰を落としたかと思うと、何の予告もなく右の拳を鋭く突き出す。

 拳を引く。

 光希の突きは、風を切る音が聞こえてくるほどに速かった。

 すると、風樹の顔面に叩き込まれ引く風を感じた。

 鋭い一撃に風樹は、安全な距離があると理解しているのに反射的に身を反らし、意識しないうちに脚が後退していた。

「僕は、30cm先の百目蝋燭の火を消せるようになったよ」

 誇らしげに告げる光希。


【正拳蝋燭消し】

 これは、空手や武術にある突きの鍛錬法。

 使用する蝋燭は、百目蝋燭という一本の重さがほぼ一〇〇匁(約三七五グラム)ある大きな蝋燭。

 百目蝋燭は、行灯の10倍ともいわれる明るさを放ち、燃焼時間は3時間半もある。現在の洋ロウソクの明るさと比べても、かなりの明るさを持つ。

 鍛錬を行う際は、密閉した部屋で行うことと、着物の袖が起こす風を排するために上半身は何もつけないで行う。

 この蝋燭の火を拳の速度で消す。

 しかし、太い蝋燭は簡単には消えない。

炎が消える直接の要因は、風圧以外の何物でも無い訳だが、握り締めた拳程度の小さな面を、真っ直ぐに押し出し風を起こす。

 それもぶっ太い芯の百匁(100号)サイズの蝋燭の炎を消せる程の圧力を生み出すには、それ相応の「速さ」を出す以外に方法は無い。

 肝心なことは、拳を突いたときではなく、引いたときに消えるようになることだ。

 従って炎が向こう側へ倒れるのではなくこちら側へ倒れて消えなければならない。

 それができてはじめて蝋燭消しに成功したとされる。

 正拳突きの速度鍛錬は、蝋燭消しができれば合格であるという。

成功のポイントは、琉球古伝空手の神髄、ムチミ・チンクチ・ガマクを合わせた三合力とされる。

 ロウソク消しが完全にできるようになった時、拳聖への第一歩を踏み出したといえる。

 拳聖とは、まさしく一撃必殺の拳を持つ人のみに与えられる称号だ。

 その域に達した人がもし人間を突いたならば、たとえそれ一撃が人体のどこにあたったとしても、その人間は必ず大怪我をする。

 そして、牛を一撃で倒すことも可能となる。

 これを可能にするのはやはりスピードをつけるのが一番だ。

 突きに威力がついて来たら、蝋燭との距離を離していく。

 達人ともなれば、m単位で離れた蝋燭の火を消すこともできるという。


 光希の場合、そこまで達していないが、進行形で技を極めようとしている。

「凄えな光希。でも、お前やっぱり鈍いよ」

 光希は風樹の言葉に、拳の道の遠さを感じていた……。

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