最後の挽歌

@Araranosatto

第1話

「ねえ、聞いてる?」


「うん」


 明日香と智絵里は西日が強く当たる木造の老いたアパートの中で、扉一枚を挟んで背中合わせになっていた。寒くはないが、年数が部屋の隅やシンクの裏に滞留して、じいっとこちらを見続けているような、皮膚ではなく精神に働きかけてくる、妙な感覚があった。

「思うに、ゾンビが常に人を探して食おうとするのって、自己融解を起こしてしまうからじゃないかな?」

「ジコユウカイ?」

「私たちって常にエネルギーを補給して細胞を増やし続けているじゃない。……えと、続けないと自分の細胞を壊しちゃうんだって」

「じゃあ、ご飯が無くなると動かなくなるって事?」

「かもしれない」


 ラジオが遠くの僅かな電波を拾って、ノイズ混じりの声を吐き出した。

『……市は現在全域封鎖……災害警報…………』

 アナウンサーの男性の低い声とノイズの境界は曖昧だった。


「そういえばさ、人間って3日水飲まないと死ぬとか聞いたよね。それくらいかな」

「……かもね」

「長いね」

「あと……あと何だろうね。これも仮説だけど、頭を吹き飛ばすと動かなくなるのは、ゾンビの細菌かウイルスが脳みそを乗っ取るんじゃないかな」

「えっ、怖い」

「だってゾンビって歩くし噛みつくじゃない。その……あー、えっと……」

「前言ってたやつ。身体のあちこちを連動させないといけないから、そういう脳の機能をまるごと乗っ取ってるんじゃないかって」

「ああ、そう……うん、そうだね」

 意味もなく金切り声を上げたくなる衝動を必死に抑えている。


 風がビルの隙間で笛を鳴らし、隙間風が二人の間のドアに付いていた鎖付き南京錠も揺らした。遠くで鳥が鳴いている。それが分かるほど、周辺に喧騒というものは全く無い。穏やかでない静けさだけが漂っている。


 かりかりとドアを引っ掻く音がする。

「ゾンビは自分の肉体を保持するために脳・消化器・筋組織は保持しないとならない。ただしこれはゾンビを個体として見た場合の話であり、ゾンビウイルスからすれば宿主を増やすための行動によるもの」

「そう……効率がわるすぎう……みののあおうそあう」

 かりかり、かりかり。

「致死性が高すぎるウイルスは、宿主が居なくなった時点で自己複製が出来ず自然に消滅する」

「わいぃあ」


 明日香は開いていたノートを閉じ、自分のリュックサックに仕舞った。埃塗れになっていたズボンをはらい、靴紐をしばり直し、ベランダにくくりつけていた手製のロープが解けない事を確認する。

 南京錠付きの扉に手を添え、そっと告げた。

「智絵里」

「………」

「ありがとうね」

腰に下げていた手斧を振りかぶり、さっきまで手を添えていたあたりに刃を食い込ませて叩き壊す。手斧を放り投げて、側に立てかけていたショットガンの銃口を穴に無理やり突っ込んだ。

「さよなら」

 一発の衝撃音。即座にリロード、再び扉に銃口をねじ込みながら、細く呼吸をする。背中を冷や汗が伝い落ちるまでの間、扉の向こうの音に集中する。硝煙と腐臭が混じり合って、穴の向こうでどろどろに溶け合っている。まばたきの間に西日が影を伸ばして、捕まえようと待ち構えている……やがて大きな溜息と共に銃口を下ろした。

 そして何も言わず、茜色に染まったベランダから、ロープを伝って出ていった。

 後にはゾンビ“だったもの”の頭にこびりついた髪が、風に揺られていた。

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