第六十筆:最強に勝利しても未だ最強には至らず
久しぶりに両腕を振る感覚。もちろん、それは朦朧とする意識、戦いの昂揚感による興奮が補う強めの錯覚、思い込みに過ぎないが、一樹は攻撃の選択肢を増やし、先程までの防戦一方に、少しずつ反撃の兆しを紘和に見せつけ始めていた。加えて、一刀よりも二刀であることが、攻撃に繋がる確率を倍以上に上昇させていた。小学生様な表現だろう。そんなまさかと誰もが思うだろう。しかし、事実として一樹の攻撃は確かに苛烈で美しくなったのだ。
そして何より、前へ前へという一樹の戦いに対する向上心への執着が、一撃一撃をより攻撃的なものに成長させていた。その戦意は一樹が紘和の一振りや蹴り技を瞬時に受けるか交わすか、そしてその交わす行為が紙一重であるところからも、対の先、後の先が全て結果的に先の先になり変わってしまっていることからもわかる。
そんな自分の洗練されていく戦闘に一樹は陶酔して、また一歩、その先へ行く。
「ハハッ」
老いてなお、追い詰められてなお、成長していく一樹を受け止めてくれる存在に自然と笑いが漏れる。それが自身の孫であるのは皮肉なのか、それとも神からの授かりものなのか。
しかし、当人からすればそんなことはどうでもよかった。今を全力で駆け抜けるには、そんな感傷に浸るのは怠惰であり、感謝を抱くという思考は愚行にして戦いへの侮辱である。積み上げてきたもの全てを、積み上げているもの全てを出し切り、出し続けなければ後悔するのは火を見るより明らかなのだから。この瞬間が、振り抜く一振りが、常に生涯最高でなければならない。
ガキンッ。
上半身をひねり、その勢いのまま振り下ろした一樹の左右の骨刀破軍星を紘和が下から紅刀月陽で受け止める。
「終わらせ……られ……ないなぁ。終わらせるのは、ワシだもんなぁ」
一樹は体重を乗せ、更に紘和に負荷をかける。
刀が間になければ、額を突き合わせていただろう、そんな勢いでだ。
「随分、口数多くはしゃいでるじゃねぇの。そうでもしないと不安か、あぁ!??」
押しのけようと、押し返そうとしているからこその歯を食いしばる声に、一樹は確実に紘和が攻撃の重さに押し負けているのを感じ取る。余裕がないのはお互い様だと。故に、その逼迫するまでに持ち込めた勢いを、流れによる拮抗を一樹は一度、不意にする。重さを乗せながらヌルリと重力に従うように一樹の骨刀破軍星が紘和の紅刀月陽を滑るように下へと移る。踏ん張っていた紘和の紅刀月陽は当然、突然の押し返される力の消失にグッと上へ切り上げるように動き出す。紘和は骨刀破軍星を縦に並行にして、落ちる勢いをそのままに横に力を加える。落ちる水が静電気に引き寄せられるように、歪でありながら滑らかに、低姿勢の一樹の二撃が紘和を捉える。
スッと紘和の背後まで駆け抜けた一樹は、かすった金属音を、防がれたのだろうという音を耳にしていたが故に、不意打ちにも最善を持って答えてくる一人の武人となっていた孫に心の内で称賛する。
「ふぅう」
大きく息を吐きながら、身体中を走る痛みに耐えるように立ち上がって背後を確認した一樹は左手に持ち直した紅刀月陽でわずかに軌道をズラして一樹の攻撃を致命傷から避けた紘和がゆっくりと立ち上がるのを、想像通りの光景を見ていた。
振り上げた右腕を戻すわけではなく、見てから瞬時に空いた左手に紅刀月陽を投げ渡し、右脇腹半分をえぐるはずだった一撃を、刀の刃の柄部分のみ、つまりその五分の一程度に抑えてみせていたのだ。
「老害。あんたは強いよ。生きる伝説は本当なんだろう。そこは認めよう。ただ、それで俺がお前より弱い理由にはならない。経験で勝ろうが、今の老いぼれに俺が劣らなければならない理由は、どこにもない。手を合わせれば分かる。俺は、やっぱり最強に相応しい」
休むまもなく次の攻撃が一樹を襲った。
◇◆◇◆
「あんたは強いよ」
極地へと至ったと思った矢先、暉刀(あぎと)を初見で見切られた。そして先程もボロボロで今にも死んでしまいそうな老人が意表を突きつつも洗練された動きで命を刈り取りにきた。辛うじて致命傷は回避できたが、あくまで辛うじて、である。故に認めざるを得ない。本当に生きる伝説であったと。自分の祖父は最強であると。だから、その強さを認める言葉を口にしたことで、スッと再び刀を交えて拮抗した瞬間、迫られた瞬間、全てのことが受け入れられ、口にした通りに当然のことであったと紘和の中で消化することが出来た。
ここまで素直に嫌悪感を抱く対象を認めたことがあっただろうか? 認めたことで喉の小骨が取れたような気持ちになったことはあっただろうか? そのぐらい紘和にとって貴重な心境の変化であると同時に、本来の我の強さを色濃く、鮮明にして貫き通す。それはワガママなただの強さの主張と違い、超えるべくして超えてみせよう、いや並び立ったが故にひれ伏せようという決意のある強さへの渇望となっていた。
一振りを全力で、その考え、判断、所作全てが意味のある行動であると意識する。相手のいる方向に攻撃をただ当てるために振るのではない。勝ちへ繋げる、勝ちとするために、一樹の命を奪うために振るのだ。最強の席に二人もいらない、一人に決めてその時の最強なのだから。
◇◆◇◆
「んっ」
先ほど感じた主人公のような絶対的な力ではなく、力として絶対的指標として君臨を許された存在として、より新しい強さのイメージを纏って羽化した存在に感じられる紘和。だから死のイメージが一樹の脳裏をよぎった時には、二刀で紘和の生を刈り取る一振りをなんとか受けていた。そして、鍔迫り合いを押し切り、距離ができた所でゆったり、そう見えるほど流連な高速で構えを取ると、再び紅刀月陽が空を切り裂く。一樹は再び死の権化となりし一撃を受け止める。肩の力が抜け、吹っ切れたような紘和の一撃は先程までとは比べ物にならないほどに冷たく重たい。その証拠が死のイメージを一樹が植え付けられているところにある。窮鼠が猫を噛む様な隠れた何かに怯えさせられたわけではない。純然たる力の頂点が真っ向から百獣の王、そう呼ばれるにふさわしい強者がただそこに限界したのだ。そういった確固たる強さと向き合う感覚が、今の紘和の攻撃にはあった。
だから一樹は二刀を用いて全力で受け止めざるを得ない状況を作られていた。もし片方の骨刀破軍星だけで受け止めようものなら、圧し折られ、そのまま再起不能の致命傷になりかねないという予感があった。さらに、できるだけ紘和のインパクトに合わせて全力でぶつけ反発させ、常に一呼吸おける状況を作る必要があると判断した。それは鍔迫り合いに持ち込み、上から抑え込められた場合、ゴリ押しされかねないと考えたからだ。否、間違いなく身体が縦に二分するカウントダウンが始まってしまうだろう。世の中にある様々な必殺技。必ず殺す技と書くその攻撃は、今となっては得意技か一度きりの大技と捉えられる、その人間にとって特別な技という認識が強くなっている。それが普段の一連の動作が、紘和の今の攻撃が全てそういった類のものになっているのである。
反動で距離を取ることは出来ているが、どれだけとってもその距離は互いの剣戟がぶつかるまでの助走として消費される。回を重ねるごとに距離は広がる。それは互いの一撃に勢いが乗っていることでもある。一撃をくらわぬように、最善で攻撃を受けつつ、切り返しのチャンスを伺う。相手がキメに来るタイミングを伺う。相手にとってのフィニッシュは、文字通りこれで終わりにするという行動であり、最も油断する隙に繋がるのである。とはいえ反撃を待ち構えていたとしても、返せるかは個人の力量が試される。だが、押される一樹にとって今は伺う我慢の時間である。少しでもこの楽しい死闘を満喫するために。
キンッ。
刃が交差する音を耳に、一樹は自分が武人として、戦いに身を置き生きてきた人間として、濁ってきていることを悟る。人として生きようとすること、生存本能に従うのはなんら間違ったことではない。自爆特攻に華があると感じたことはない。勝者は最後まで立っていたものが手に入れることのできる特権だからだ。ならば勝ちを掴むために、生き残るため耐え忍ぶ必要があるならば耐えるべきだろう。犠牲を最小限に抑えることが出来るのならばそうするべきだろう。では、一樹自身が今回の戦いで望んでいたものがただの勝利だったのか、自問の争点はそこにである。
答えは、近くて遠いものである。当たり前だが、勝ちたい。しかし、それでいて自分の最期を全力を出した上で、戦場で終えたいという矛盾を抱えているのだ。この舞台を用意した純は、それを最高の葬式と言っていた。勝ちたいという衝動が敗北を許さない状況。もしもこのまま反撃する間もなく押し切られて殺されてしまったら、それは果たして最高の葬式なのだろうか。
できるかもわからない反撃に一部の望みをかけることは果たしてこの戦いにおいての勝利への執着として正しいことなのだろうか。
「なぁ、紘和」
刃がぶつかった瞬間、一樹は孫の名を呼ぶと、繰り返されてきた例に習って再び距離が離れる。
そして、再び距離が縮まり激突する。
「ワシは……本当に強かったか?」
◇◆◇◆
紘和は突然投げかけられた呼びかけに魂を震わせた。
しかし次に聞いた疑問に憤慨した。
「俺が、この俺が嘘を言ったとでも言うんですか!!」
刃がぶつかるたびに、言葉を続ける。
「孫として、老骨に餞だからと社交辞令でも言うとでも?」
馬鹿にするなよ。
その苛立ちは紅刀月陽に乗せる威力にも上乗せされる。
「最強の俺が、ここまでして倒せないあんたが、最強じゃなかった? 疑うな、クソジジイ!!」
同時に、紘和は思う。
「今更、そんなこと聞いて、幻滅させるな!!」
あぁ、俺の発破は最強を楽にしているのだろうと。自分が認めて楽になったように、他人に認められて楽になることもある。きっとあの言葉は疑って出た吐露ではない。
ただ同意を求めただけの、覚醒へ繋がる、そして伝説が再び誕生する産声だったのだ。
「俺が超えるのは、最強を名乗るに相応しい人間の一人だよ」
だが、それを越えてこそ、最強を名乗りがいはある。さぁ、高みへ登る踏み台になれ。紘和は心中そう叫ぶのだった。
◇◆◇◆
体力的にも、精神的にも受け身で負け腰だったのだろうと一樹は考える。自分らしくなかったと、自身で名を冠した傲慢さが足りなかったと、戦いに対する美学を自身に諭そうとしていた浅はかさに気づく。自分がやろうとしたことが最善で、その証拠が現在の最強の座にいるということである。透き通った、研磨された結晶であり続けるために、迷ってはいけないと。
この戦いはやりたいようにやるのだと、我武者羅に最強を謳うのだと。
「失礼した」
血を流しすぎたのか、意識はとうに朦朧としている。しかし、それで脚が、腕が、身体が動かなくなるような伝説はここにはない。一樹は最強として、最強に詫びを入れながら、大きく、大きく息を吸い込む。次の一撃を、必殺の一撃に答えを出してみせようと。それは強者故に出来ることだと証明してみせようと。
◇◆◇◆
「失礼した」
恐らく同じ高みの極地にいるからこそ、闘気が共鳴し、紘和の身体を震わせた。紘和はその一言で目の前の老人に精気が宿ったと直感したのだ。結果、昂揚した紘和は今までにないほどリラックスした、脱力した状態で、乗せた力が全て紅刀月陽に伝達するような筋肉一つ一つをコントロールし、力を伝達させた重たい一撃を放つ。暉刀(あぎと)の様にあまりの速さから一振りで二撃に見えるものとは違い、あまりに速すぎて刀の軌跡が見えない、暉刀(あぎと)で放つ一撃目よりも速いそれは後に星刺(りゅうせい)と呼ばれる、居合とは異なる瞬速を上段から抜き身で放つ剣技として習得したのだ。
しかし、手応えはなかった。逆に左右の殿部から胸部にかけて斬撃が走っていた。驚くべきは、迎撃されたことではない。上段から振り下ろした紘和の一撃に見劣りしない、一樹の二振りが重力に逆らう振り上げの行為によって行われたことである。無論、最高速でいえば紘和の先の一撃の方が圧倒的に速い。それでも、一撃に集中して狭まった視野にとって下からの動作が見えにくくなっていたという要因が絶妙に一樹の一撃を神速の域へと上ったように錯覚させたのだ。つまり、一樹は紘和の初見を再び見切った上で、同等の領域を不利な姿勢から再現してみせたのだ。
◇◆◇◆
刀身が伸びることはありえない。意図的に持ち手の長さを変えることでそう錯覚させることは出来たとしても実際に伸びることは決してない。そして、力を乗せた一撃が直線を描かないこともない。最短で振り下ろさない雑味のある一刀は、それだけで勢いを失うからだ。後は、刀を振り上げた時の手元を見て、そこに合わせて紘和の振り下ろした紅刀月陽を挟むように骨刀破軍星を振り上げたのだ。
今の自分は、間違いなく自身の過去最速で攻撃を放てていただろうと一樹は思う。一方で、自分の攻撃は視認できていただろうかと若かりし頃を振り返る。しかし、思い出そうとしても、剣速を速くしようと意識して振った記憶がなかったため、紘和の一撃を見て比較したということは、この速度に到達したことはなかったか、自分以外で初めて見る体験だったのかもしれないと思うことにした。少なくとも理想的な一撃で、故に自身が目指した、到達した一振りだったからこそキレイに反撃として決めたのだ。この歳で一樹は自身の攻撃に対する最適な攻撃を返したことになる。そう、進化しているのだ。そして、その先はまだ続く。まだ気の流れが終わっていないのだ。一樹はまだ勝利していないのだから。
一樹は紘和が切り返し振り上げてくる紅刀月陽を捉えるべく、骨刀破軍星を振り上げた時よりも角度を鋭角にして、突き刺すように動かす。最短で、勝機を逃さないために。
左腕が、骨刀破軍星が宙を舞った。そこに慢心も油断もなかった故の、実力不足による、いや、必要経費と言える二度目の喪失であった。
◇◆◇◆
この一撃で決めるつもりだった。しかし同時に、次も考えていた。強者であると認めたが故に、意味のある行動をしようとした結果である。だからこそ、見切られ反撃をもらったことに驚きはしたが、身体が動く。ならば一樹の一撃に答えねばならない。俺が最強であると見せつけてやらねばならない。
その振り上げた紘和の紅刀月陽は、一樹が振り上げていた時の骨刀破軍星を超えていた。結果として一樹の迎撃するという考えは間違っていなかったが、紘和は振り下ろされる既で一樹の左腕に刺さった破軍星を分離させることに成功していたのだ。そして、一樹の空いた左脇に右前蹴りを食らわせ、次の攻撃を繋げるための僅かな時間と助走距離を作るための空間を作る。さらに、頭上に落ちてくる骨刀破軍星を紅刀月陽で弾き、遥か後方の壁に突き刺した。紘和はこうして勝利への道を確実に切り開いていく。
今ならば、左腕にあった骨刀破軍星を再びバラした衝動で判断が若干遅れているのではないだろうか? その証拠に左脇への蹴りを何かしらでガードすることなく後ろへ吹き飛ばされていった。体力の限界も近いのかもしれない。それでも、油断だけはしてはいけない。紘和は何も言葉をかけずに、膝をつく一樹へ紅刀月陽の先を地に這うように持ち、瞬間移動を豊富とさせる間合いの詰め寄りで接近した。
◇◆◇◆
身体が言うことをきかなかった。紘和の剣速に驚いたのは事実だが、それ以上に手足が、身体が自分のものとは思えないぐらい動かせなくなっていた。血を流しすぎた? その自問は正解である。正しく己の状態を把握できている。身体の損傷が激しい? これもまた同様に正解。全力で動くには歳を取りすぎた? もちろん正解。超えられたと思ってしまった? ……虚しくも慢心でなくとも正解である。
最強になるための挑戦者に最強のまま成った。いつかの理不尽な戦闘とは違い、今は認めた上で、一樹はその状況を受け入れていた。それでも、やることは変わらない。自身のやることが最善となり、そして再び勝者に成り代わるだけなのだ。拮抗した相手ではなく、格上の相手をねじ伏せ、伝説にもう一度、何度でも勝てる限りなるのだ。だから、言うことを聞かない身体を動かす。動かないならば、動かすしかないのだ。
突き立てる刃ならば、まだまだある。骨刀破軍星は常に一樹と共にあるものだから。一樹は風を切り裂く刃が近づくのを耳にしながら、距離を探る。
ボキッ。
痛みに身体が反応する。つまり、その自分で与えた勝利への痛みはまだ身体が動くことを意味している。一樹は自身を鼓舞しながら、ごまかしながら身体を動かすのだった。
◇◆◇◆
紘和の振り上げた一撃は一樹の左腕で受け止められる。紅刀月陽がぶつかった瞬間に、何がその剣筋を妨害できたのかすぐに見て理解した。助骨である。自ら折って抜き取ったのだろう。痛々しい、湧き水のように左脇から流れ出す血がそこから下を真っ赤に、血の池に染め上げていた。勝利への渇望が、人にこれだけのことをさせるのかと、驚愕させてしまう、この戦闘中における二度目の畏怖による、異物感を鮮明に焼き付ける光景であった。武人と言うにはあまりにも狂気的。我武者羅と言うにはあまりにも無謀。
しかし、そうせざるを得ないのだとしたら。紘和の脳内は刹那の時間でフルに思考する。結果、瀕死故に痛みという刺激で己を無理矢理にでも動かしつつ迎撃する手段だったのだと判断する。勝つための選択だと。それをしなければ勝利へは届かないのだと。ならば、こちらはその最終手段をも折るだけだ、と。
その向き合う決意と同時に、紘和は自身の右膝が地面についたことに気づく。
「くっ」
視線が一樹と並ぶ。油断していたわけではない。ただ、そこまでして勝利に手を伸ばそうとした行動に、哀れみを抱いていたのかもしれない。詰まる所、決意を生じさせる過程という雑念が、気の緩みとも言えない緩み、神のいたずらともいえる敗因が、無常にも紘和を一手早く死の淵へと運んだのだ。だからこうなったことへの疑問の声は全てかき消す。目の前にいる人間はまぎれもない強者で、伝説である。虫の息でも死ぬまで戦うのだと。挑戦し続ける怪物なのだと。ならばこうなった上で勝ちへの動きをしなければ、と。
紘和は突然一部位の力が抜けたことで、バランスを崩し全身の力がストンッと抜ける中、左脚に、右腕に意図的に力を入れ、踏ん張りをきかせる。
そして、力が入った、と身体の状況を理解したのと同時に、紘和は一樹の首を落とせる距離だという判断の元、鋭い一閃を放ち始めていた。
「終わりだ」
濡れた葉から水滴が一つ、水たまりへ落ちるような声が、鮮明に紘和の耳に届いた。
◇◆◇◆
どうやら、紘和の右脚の腱は切れたようだと一樹は自分と視線が並んだ紘和を見て状況を理解する。一樹はすごいだろうと心の底から自慢する。挑戦者から再び、伝説に戻ったぞ、と。霞んだ瞳の向こうで一瞬驚きを見せた孫の顔を見て満足する。最強はお前ではない、一樹だぞ、と。
そして、その孫の首が孫の必殺よりも速く自身の射程圏内に入ったことを確認すると決着をつけるべく最期の一滴まで無駄にしない一撃を放つべく一樹は構える。
「終わりだ」
己の肉を鞘に、流れる血を潤滑剤とし、この戦いで最も速い剣戟が居合という形で放たれた。
◇◆◇◆
紘和の紅刀月陽は一樹の首に触れただけで、切り落とせてはいなかった。一方で、一樹の新たな骨刀、自身の助骨も紘和の首に届くことなく、その軌道上に置かれた紘和の左手首を半分切り込んだところで止まっていた。刀身が伸びることはない。これは、一樹だけでなく誰もが知っている当然のことである。それを理解した上で反応できるかはまた別の話になるが、紘和もまた一撃目が不可視であったが、擬似的な居合による一撃だと理解するのはたやすく出来ていた故に、獲物を理解し狙いがわかれば、その軌道上に置くだけで防げると判断したのだ。結果、一樹が生み出した血肉の結晶の勢いを左腕を犠牲に止められたかもしれない、ということであった。
もちろん、勝因をましてや敗因を一樹が知ることはない。それはつまり、勝敗が突然決まったことも意味する。満足してしまった、挑戦をやめた、極地へ至ったと自身の行動に揺るぎない自信を持った傲慢な男は、神話の人間のように掴みかけた頂から手を滑らせたのだ。
そんな勝者にして敗者の寂念を、当然のように防いだ当人は知る由もなく、最期まで武人としての極地を目指し、勝利を掴もうとした現状のみに評価する。
「天堂一樹」
紘和は紅刀月陽を地面に突き立て、ゆっくりと一樹に背を向ける。
そして、久しく口にしていなかった名前を呼び、敬意を示す。
「安らかに眠れ、伝説の剣豪。これからは俺が最強だ」
納得の行く戦いの末の結末だったかはわからない。ただ間違いなく、この戦いで得た自信は正義という高みを目指す孫へと受け継がれた。勝負は、生き残ったのは天堂紘和だった。
◇◆◇◆
「満足したかい、御老公?」
自身の身体を縁側に腰掛けながら【最果ての無剣】を用いて修復する紘和を背に、智は立ったままピクリとも動かない一樹に目線を合わせながら話しかけた。
「最後に言った終わりだは、勝利宣言だったのかい? それとも敗北宣言だったのかい?」
もちろん返事はない。
「ヒロな、御老公をフルネームで呼んで、先に切り落とせていたはずの首を切り落とさなかったんだよ。認めてたんだな、いや、認めたんだな、御老公のこと」
何もせず、ただ眺めていただけの怠惰な人間が墓前に報告するように語り続ける。
「俺は今まで通り、強者の下につくから御老公に返しきれない恩があるけど、復讐なんてしてやらないよ。言いつけ通り、これまでの引き継ぎをヒロにさせたら、そのままその下で働くつもりさ」
智は立ち上がる。
ニヤリとほくそ笑み、首を獲ったと言わんばかりの表情をしつつ、どこか満足したような柔和さが入り混じった顔に智は深く礼をした。
「今までありがとうございました、御老公」
こうして人知れず、最強は最強の手によって葬られた。世間には一樹の死は老衰によるものと公表された。そして、紘和が最年少で国のトップに立ち、八角形の席に名を連ねた。これは世界を震撼させる驚きではあったのだが、それはまだ始まりに過ぎなかったと後に人類は知ることになる。
◇◆◇◆
「昨日から新総理の話題で持ちきりだよ。ねぇ?」
喫茶店ヒマツブシの店長である亮太が自分で淹れたコーヒーを飲みながら店内テレビを見た感想を言う。
「三十にも満たない、そして前任の孫である俺が遺言とはいえ、突然その席に座ったんだ。しかもその遺言を残した男の死に合わせて、ね。バカが騒ぎたくなる様な陰謀めいたものも香るだろうし、そうじゃなくても騒きたくなるはその三十に満たない孫の下につく国民からすれば当然だと思うよ」
「それを自分で言うかね、普通」
「事実だからな。それに、これは始まりに過ぎない」
「……そっか」
今までにない変化を紘和から感じつつ、亮太はそれを口にすることなく納得することにした。
「でもさ、カッコいいこと言ってるようだけど、ここ別にお前の会議室とかじゃないからな? それ、わかってる?」
「だから、こうして注文とは別に貸し切り代金としてお金払って、亮太はそれを受け取ったろ? 受け取ったなら文句を言うな」
「まぁ、そうだなぁ。だったらさ、もう少し注文してくれよ。一応、ドリンクだけだからここに立ってるわけだし、喫茶店だし、ここ」
「だ、そうだ。昼時だし、いっぱい注文してやれ。俺のおごりだ」
「本当か? 注文して、いいのか?」
「リリーちゃんは育ち盛りの食べざかりだからな」
「それじゃぁ……泰平、これ! これ食べたい!」
亮太が会議室という言い方をしたのは、別に紘和が来店しているからではない。貸切状態にしたまま名のある人間を同席させ、事務仕事をこなしているからだ。亮太がわかるだけでも、以前ここに純と来た泰平と養子のリリー、そして泰平同様元日本の剣の智がいた。他にもテレビで見覚えのある顔や明らかに役人とわかる人間が複数人いる。そんな彼らが紘和の宣言を聞いて一斉に各々が食べたい昼食を注文し始める。お金は十分もらっているだけに、ただ会話相手欲しさにそれっぽい愚痴を並べていただけの亮太にとっては暇を奪う、実はあまり嬉しくない声なのは、あくまで声には出さない。
そんな友人の気持ちを知って本業を始めさせた紘和が、新総理に就任した際に真っ先に行ったのが日本の剣の解体だった。それは前任の祖父の一樹の代に作られた一つのシステムを破壊するという、これからの紘和が総理であるという自己顕示の象徴的行為として世間に浸透していた。
その後、それに準ずる組織が編成されたという話は出ていないが、恐らくここにいる人間たちが今の紘和の側近ということになるのだろう。
「はい、リリーちゃん、これどうぞ」
「ありがとう」
注文の品をササッと手際よく調理し、一品目をリリーに届ける。
「ん~、これ美味しい!」
喫茶店の店長としてはこの場に最もふさわしいセリフであると同時に褒め言葉に、嬉しくなる。
「嬉しいねぇ。だから後でデザートもサービスしてあげよう」
「ありがとう、亮太」
そう言いながら亮太は他の机に料理を運びに行く。
そして、途中で立ち止まって振り返る。
「あんたたちも、ここは本来喫茶店だってこと忘れないでくださいよ。次はしっかり客として金を落としてくださいね」
亮太はリリーを一瞬見てから、これみよがしに国の鋳巣を担う重鎮たちにしっかりと宣伝と皮肉を言うのだった。
◇◆◇◆
紘和はヒマツブシを夕方に出ると、実家ではなく、近くのホテルへ戻った。距離的な問題もあったが、何よりいろいろと家庭内を思い出していいことがないと感じているからだ。そして、部下と別れ、宿泊するホテルの部屋に入ると狙いすましたように一件の電話が入る。
見知らぬ番号ではあったが、特に気にもとめずに紘和は電話に出た。
「どちら様ですか?」
「元日本の剣、暴食の野呂兼朝です」
兼朝は元の部分を強調してフルネームで答えることで対応した。
それは紘和が新しい政権を握っていることを知っているという内部情報の把握、そして、かつて敵対した相手だということを強調するためのものだと紘和は受け取る。
「それで、裏切り者の要件は何ですか?」
前者は智あたりが情報提供者だと推測する。最悪、リュドミーナと繋がりを持つレベルにはこちら側、世の中のいわゆる暗部に足を突っ込んでいたとしても、紘和側に大きな接点があるため差し支えがない。問題は敵対していた相手という後者であり、紘和からすればどの面を下げて電話をしてくるのだと怒りがふつふつとこみ上げる問題だった。
そして、兼朝がそれをわかった上で話しに来ていることが気に食わないのである。
「そう身構えないでいただきたい。私は一つ、確認したいことがあり、それを聞いた上で今後を考えようとしているだけです」
「確認……ですか」
知っているくせに今更何を、と苛立ちを隠すことなく言葉に乗せる紘和。
「天堂一樹、彼の最期です」
その名と死に様をなぜ、裏切り者である兼朝が気にかけるのか紘和にはわからなかった。ただし、声色から軽率に返答して良いものではないということだけは判断できた。それだけ、兼朝が重点を置いている内容なのだと。
何より、紘和が伝説と成った男の死を軽んじることを許さない。
「老衰、死傷、俺との戦いの中で死んだ」
「殺した、とは言わないのですね」
「死んでいる人間の首を……いや、目の前の人間に俺なりに敬意を示した結果だ。だから、本当に俺が勝ったと言えるものかはわからない。起こり得なかった現実が、幻想を見せ続けるからな、誰も真相はわからない。ただ今俺がここにいるということは勝者だからだ。それは揺るぎないと思っている」
一呼吸。
「言い訳の時間をすまない。話を戻そう。と言ってもこれは俺のただの感想だ。だが、心して聞いて欲しい。最期の一撃は俺が今まで見たどの攻撃よりも速い、美しい、見惚れる一閃だった。本人もそれに満足したような顔だったよ」
「そうか……確かに、報酬は受け取った、ということにしておこう」
「報酬?」
紘和は一樹を殺すことが報酬であるという点にピンとこず、聞き返してしまうのだった。
◇◆◇◆
「聞いてないのか?」
兼朝はここまで手引したであろう紘和と行動を共にしていた純の顔を思い浮かべる。剣の舞の計画をアメリカに持ち込む際、兼朝を見逃し、一樹の持つ権限で渡航費や政治的な問題などをカバーする代わりに、紘和を一樹と渡り合える存在にするという口約束を伝えていないということになる。
ただし、結果として叶えられているということは純が約束を果たしたことを意味する。
「誰から?」
「いや、知らないならいい。では、見返りというわけではないがこちらの置かれている状況を説明する」
兼朝はそう言って、当初の予定通り、一樹が死んで全てを紘和が継いだ時に実行する計画を口にした。
「私は二重ススパイで、今までアメリカの軍事情報を一樹様に流しておりました。そして、一樹様が亡き今、これを全て紘和さん、あなたに計画を伝えることになっています」
「……そんな突拍子もない話を信じろと言うのか?」
「どこと、までは判明していませんが、現在アメリカは戦争を始めるために武力を、戦力を蓄えています。そして、来たるべき日が恐らく近づいているのでしょう。チャールズが戦争の開始を匂わせる発言をしていました」
紘和からの返事はない。何かを考えているのだろうが、今の兼朝は嘘を言っていない。一樹からの信頼に答えるべく、計画の続投をするため紘和に真実を話しているのだ。
だから意思を継ぐ前向きな返事が欲しい。
「どうして、それを調べようと思ったんだ?」
すると紘和からは告発の内容を確認する話ではなく、調べるに至った経緯を聞いてくるものだった。
「トムが亡くなりチャールズが大統領に就任して以降、アメリカの軍事力強化に対する予算の組み方、収支、そして武器などの流通をご存知でしょうか?」
紘和は返事をしない。
「明らかに国のため、と考えるには危険なほどに兵器と人材を含めて傾いているのです」
「そんな内部情報、どうやって知ったのですか?」
「……こちらには、最初からアメリカ側の密偵がいたということです」
「そのスパイが剣の舞の計画を奪うために、お前がチャールズの入国を見逃し、二重スパイとして入国させるための罠だったという可能性はないのか? お前は本当に二重スパイなのか?」
「それは……」
兼朝は言葉に詰まる。
疑われ続ければどれだけ誠意を見せようとも疑われているわけだから話が前進しないと考えたのだ。
「まぁ、その全てを鵜呑みにするならば、チャールズの暴走を止めたい誰かがいるわけか。そして、そいつは戦争を望んでいない。そこで、戦争を止める手段として八角柱の七つの大罪という八角柱の中でも異質な人間に白羽の矢が立った、あるいはトムの頃からの武人としての付き合いから選ばれたか……」
兼朝は言葉をつまらせている間の埋めるように初めて紘和の独白を聞く。
「それで、この案件を俺に引き継いで悪事を未然に防ごうと、そして準備が整ったというわけだな?」
「その通りです」
「一つ、確認しておきたいのだが、本当にチャールズがそんな無鉄砲な人間に思うか?」
兼朝は紘和の問に首をかしげる。それは普段の紘和ならば戦争という悪をその正義が許さず、今すぐにも滅ぼそうとするという勝手で妥当な人間像があったからである。
それが、他人の真意を考えるまでの余裕があるという今までならしない行動に兼朝は驚いたのである。
「いや、それは……一樹様も杞憂だとは言っていましたが、内部情報を見れば見るほど……なんとも言えない……」
「ならそのまま続けてくれ。もしもの時は、俺が止める」
兼朝は冷静な判断に面食らう一方で、よくない考えが頭をよぎる。もしも、この冷静な判断が、知っているが故の行動だったらということである。それは兼朝の耳にも、一樹の耳にも届くことなく、水面下でしっかりと手を結び動いていたということであり、より大きな陰謀があるのではないかと考えられてしまうのだ。
その杞憂が当たらずも遠からずなのは幸い中の不幸なのか、この時の二人はもちろん知りようがない。
「最後に、そのアメリカのスパイを教えてもらえる?」
過ってしまったが故に、すんなりと言葉が出てこない兼朝。教えてしまえば、チャールズに筒抜けてしまう可能性があるからだ。
ただ、そんな可能性が果たしてあるのだろうかとも考える。
「名前は……」
「あぁ、やっぱりいいや。一応この通話記録がどう転ぶかわからない。正直、今後のこと考えるなら野呂さんも漏らすものは少ないほうがいいでしょう。だから、合図……合言葉を決めておこう」
「はぁ」
「合言葉は……正義といえば正義である、どうだ?」
「……わかりました」
兼朝は殺気立っていた紘和から少しでも信頼が勝ち得たのかと思うことにし、チャールズに対して不気味に静かで、密偵に対する反応の変え方に注意を払う必要があると意識して、通話を終えるのだった。
綴られた世界 白井坂十三 @shiraizaka_jyuuzou
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