迷い人の集う館

水神鈴衣菜

Halloween

 ハロウィンの日には不思議なことが起きやすいらしい。例えば、周りの大勢が一瞬で静かになったと思ったら逆に自分がひとりになっていただとか、鏡を覗き込んだら自分でない影が一緒に映り込んでいただとか。元々は死者の霊が戻ってきたり、魔女がやってきて人間に悪さをしたりすると言われていた日だったらしいから、なんとなく鏡の件は死者の霊が一緒に映り込んでいたのかもしれないし、ひとりになっていたのは魔女のせいかもしれないし、ただのみんなの妄想かもしれなかった。

 そして私は今、絶賛森の中で迷ってしまっている。

「なんで今日に限ってなんだ……」

 私はため息を吐きながら頭をわしゃわしゃとかく。

 かまどの薪がなくなったから取ってきてくれと森に放り出されたはいいものの、もうあたりは暗くなってきてしまっていてスカートから出る素足は寒さと恐怖を訴えるように震えて鳥肌が立っている。早く帰らなければ。

 手元を照らせるようなものもなにも持ってこなかったので、暮れゆく森の中で頼れるのは自分の感覚と、向こうに少し見える街灯──街灯がある!

 驚きと安心に目を見開きながら、希望ともいえる光の方へと走っていく。やっと帰ることができる。


 ──と思っていたら、たどり着いたのは見覚えのない大きな屋敷だった。こんなところに御屋敷があるなんて知らなかった。とりあえず今日はここに泊めてもらうか、それかランプでも貸してもらおうかなと私は正面の大きな扉を開く。

「ごめんくださーい」

 広々としたエントランスは真っ暗でなにも見えない。こんなに大きな御屋敷に人っ子ひとりいないなんて、変である。眉をひそめると、奥の方からかつん、と音がして、一斉に壁に付けられたランプが明かりを灯した。突然のことに驚きで声が出なくなる。

「……お客様、どうされましたか」

 ランプに照らされて見えたのは、高そうな燕尾服に身を包んだ、サーバーのような姿をした長身の男性。未だに声も出ないまま口をぱくぱくとさせていると、男性はふっと笑って申し訳なさそうにこう言った。

「すみません、驚かせてしまいましたね。このランプたちは、なんと言いましょうか……人が近づくと自動で明かりが付くようになっているのですよ」

「す、すごい」

「ふふ、ありがとうございます」

 そう言うということは、そうなるようにしたのは彼なのだろうか。ますますすごい。

「こちらへどうぞ、外は寒かったでしょう」

「あの、ランプを借りたくて」

「ここから家までの道は、分かりますか」

「……」

 そう言われて、私は首を横に振る。

「でしたら、むやみに動かれて寒さと空腹に倒れてしまっては困りますでしょう。明るくなるまで、ここで休んでいけばよろしいかと」

「……いいんですか」

 ええもちろん、と男性は微笑む。それならば、と私は扉の中に体を滑り込ませた。


 男性に連れられてたどり着いたのは、食堂のような場所。長いテーブルの真ん中の方に四つ皿やカトラリーが置いてある。そして皿の中にはきちんと料理がのせてある。

「どうぞ、暖かい料理でも食べてゆっくりしていってくださいませ」

「あ、ありがとうございます」

 私が来てからそう時間は経っていないはずだが、この短時間で準備ができるものなのだろうか。

「こちらも、いくらか身内を呼んで参りますね」

「あ……はい」

 男性が引いてくれた椅子に座って、申し訳なさと緊張にドギマギしながらあたりをキョロキョロと見回す。不思議な場所である。

 こんな広い屋敷だというのに、住む人は三人しかいないのだろうか。そしてあの自動で付くようになっているというランプ。今の技術ではそんなことが簡単にできるなんて思えない。極めつけにこの目の前の料理。私が玄関から入ってここに着くまでの時間にこんな豪華な料理が作れることがあるだろうか? まるで私が来ることを知っていて、作って待っていたよう──。

 そこで私はひとつの、考えつきたくない結論にたどり着く。

「……『Trick or Treat』」

 今日がなんの日かをすっかり忘れていた。きっとここは、。そして私はそこに迷い込んだ、客人。

 帰らなければ。ふと強くそう思った。このままここにいては、一生帰ることができない。

 椅子を倒すほどの勢いで立ち上がり、急いで踵を返す。扉を開け、開け、違う違うと何度も同じところをループする。開いた先はまたテーブル。

 何度目だったか、扉を開くと目の前にあの燕尾服の男性が立っていた。ひゅっと息を呑む。

「お客様、ごゆっくりなさってと言いましたのに」

「私、帰り、たくて」

「ふふ。わたくしたちが怖いですか」

「そ、そういう、わけじゃ」

 恐怖と混乱に、頭が上手く働かない。逃げよう、そう思って先程入った扉を再び開いた。


 果たしてなんとかエントランスにたどり着いた。玄関の扉に手をかけて全力で押すけれど、びくともしない。焦りと恐怖と、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって涙が出てくる。後ろからかつん、かつんと靴の奏でる音が聞こえる。しかもそれは複数。もうだめかもしれない。

「……そんなに帰りたいのですか」

 ふと聞こえた声が、少し寂しそうに聞こえた。恐る恐る振り返ると、男性の後ろからおずおずとこちらを覗く女の子二人が見えた。

「怖がらせてしまったのなら、本当に申し訳ございません。ただわたくしたちは、今日くらいは客人を招いて、一緒に晩餐会がしたかった」

 その声に、とんでもない勘違いをしてしまったのだと申し訳なくなる。

「あ……えっと」

「説明もせずに、申し訳ございませんでした。こういった理由を聞いた上で、お客様。よかったら一緒に──」

「も、もちろんです」

 私が勢いよく言うと、男性の後ろにいた女の子たちはぱっと顔を輝かせてこちらへ駆けてくる。

「一緒、一緒!」

「お食事、いきましょ!」

 彼女たちは手を掴んで──いや、霊だからそれはできなかったのだけれど、私を引っ張るようにこっちこっちと急がせる。かわいらしい。

 私は三人と一緒にご飯を食べた。これが幻影なのか、本当に作られたものなのかはよく分からないけれど、美味しかった、と思う。

 食事が終わって、帰る直前。

「……ありがとう、優しいお客様」

「いえ、こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」

「もしよかったら来年も、一緒にこうして過ごしませんか」

「……私でよければ」

「ここの秘密を知っているのは、もうあなただけですよ、お客様」

 寂しそうに笑う彼。

「なら、もし私に家族が出来たら、一緒に連れてきます」

「……ふふ、本当に優しい方ですね」

 では、と彼は扉を開いてくれる。

「また来年、ここで会いましょう」



 目を開くと、見慣れた天井があった。暖かい布団の中である。

 さっきまで屋敷にいたはずだったが、彼の不思議な力でここまで飛ばしてくれたのだろうか。優しい人だから、そうなのかもしれない。

 ベッドから降りると、日めくりカレンダーが視界に入った。もう朝だから、今日は11月1日──ん?

 カレンダーは、前日が10月30日だと示している。朝の日課で、これをめくるのが一日の始まりだと言っても過言ではないのに、昨日だけめくるのを忘れるなんて有り得ないし、ハロウィンという大切な日にめくり忘れにも気づかないなど以ての外だ。

「……ループ?」

 ぼんやり呟いた私の頭は、理解を拒否していた。

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迷い人の集う館 水神鈴衣菜 @riina

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