詩 sidelove story

「あれ、今日の朝食は詩が当番なのに」

「たまにはね、皆に任せっきりじゃ申し訳ないから」

「むー、祥子さん安定期だからって、そんなに動いてちゃダメなんですよ?」


 すっかりお腹が大きくなった祥子さん。

 キッチンに立つ姿は完全にママって感じだ。

 

「琴子さんも凪さんも詩もいるんですから、次期社長夫人はゆっくり休んでて下さい」

「あはは、でもさ、愛する人のご飯ぐらい、たまにはね」


 そう語る祥子さんの左手の薬指には、綺麗な指輪が光り輝いている。

 詩、知ってるんだ、たまに祥子さんニマニマしながら指輪眺めてるの。

 

「この子は幸せ者ですね。二人のママに囲まれて、優しい旦那さんもいてくれて」

「凪さんも詩さんもいてくれるからね」

「……そうですね、何かあったらぜひ頼って下さいね」


 結局、俊介さんと琴子さん、祥子さんは婚約届けを提出していない。

 だから幸せと言っていても、祥子さんはシングルマザー的な扱いになっている。

 赤ちゃんの戸籍も向井家に入るんだとか。

 

 でも、高野崎さんはきちんと胎児認知をして、他にもご両親に一筆書いたとか?

 細かいことは詩には分からなかったけど、結婚しなくても子供って産めるみたい。


 苗字は違うけど、夫婦別姓なんて今じゃ珍しくないし。

 幸せならそれで良いんじゃないかな。



「なにか難しいこと考えてますか?」

 

 ハンドルを握る琴子さんから突っ込まれて、ぼんやりしてた頭に喝が入る。


「うえ? あ、いえ、大丈夫です」

「そうですか、今回の商談の資料は? ちゃんと準備してきました?」

「えっと……インフレに伴う弊社社員の賃上げ要求の資料と、それに伴う契約料金の見直し案。要求が通らなかった場合の業務内業変更の草案ですよね、ダイジョブです」

「準備してあるなら何より。分からない事があったら何でも質問してくださいね」


 もちろん、全部作ったのは琴子さんだけど。


 一緒に働くようになってから、琴子さんの凄さが身に染みて理解出来る様になった。

 お客さんが言っている内容を理解するのも早いし、書類作りも超早い。

 それでいて美人で胸もあって礼儀正しくて時間に厳しくて。

 詩じゃ勝てるとこないよ、琴子さんこそ最強の営業マンなんじゃないかな。


「え? そんなことありませんよ? 私なんかじゃ、俊介さんに遠く及びませんから」

「そうなんですか? 高野崎さんの仕事してるとこ見た事なくて、想像できないです」


 詩と高野崎さんが初めて顔合わせしたのは、病院で寝てる所からだったからなぁ。

 その後も何回か暇だったから遊びに行って、それで今に至るけど。

 揶揄うと可愛くって、つい長居しちゃうんだよなぁ。お小遣いも羽振り良かったし。


「本当に、俊介さんは私達の想像以上なんですよ」


 そう言いながら微笑む琴子さんの左手の薬指には、やっぱり輝く指輪があるんだ。

 祥子さんと琴子さん、この二人を虜にしてしまったのだから、相当なんだろうな。

 家にいるとそんな感じ微塵もしないんだけど。単なる良いパパにしか見えないよ。



「それってかなり凄い事だからな」

「家で良いパパでいる事がですか?」


 いつもの居酒屋さん、にぎにぎとした空間は、どんな雑談も許される不思議空間だ。

 遠越さんの分の焼き鳥やサラダを取り分けると、彼はそれを美味しそうに食べながら語る

 

「高野崎さんが選んだ道は、はっきり行って修羅の道だ。今は古河さんのお父さんがいるからいいけどよ、いなくなった後、本当に自分だけで古河水産、グループ全部が付いてくるかって言ったら、そこは何の確約も無い訳だろ? なんて言ったって婚約してないんだからさ」

「そうかもですけど。でも、見た感じダイジョブそうですけどね」

「だから凄いって言ってるんだよ。俺だったらプレッシャーでやられちまうよ」

「遠越係長だって、凄いと思いますけど」


 詩は褒めたつもりなのに、ていって、いきなりチョップされた。

 

「な、なにするんですか」

「ウチの会社、役職名つけるの禁止になったろ」

「……役職で呼ぶと圧が掛かるから、でしたっけ? 良いじゃないですか詩の好きで」

「別に強制じゃないからイイけど。それにしても、詩はどうするんだ?」

「どうするんだって、何がですか?」

「いつまで高野崎さんの家に厄介になってるんだって話。兄貴みたいに寮生活って選択肢もあるんだし、祥子さんだっけ? 奥さんも二、三か月で赤ちゃん生まれるんだから、ずっと居候してちゃダメなんじゃねぇの?」


 赤ちゃんが生まれた後も、別に一緒にいていいって皆言ってくれるけど。

 遠越さんの意見こそが、普通の意見なんだろうな。

 高野崎さんの新居、大きい家だから夜泣きとかも聞こえてこなそうだし。

 甘い言葉につられてずっと住み着きたくなっちゃう所なんだけど。


 ハイボールをちょっと飲んでから、遠越さんをマジマジと見つめる。

 

「なんだよ」

「いえ、別に、結構真面目なんだなって思いまして」

「そりゃそうだろ、俺だってもう役職付きなんだし」

「役職なかったら不真面目なんですか」

「そういう意味じゃねぇけど。って、話し逸らすなよな」

「じゃあ話し逸らさないから、聞いてもらえます?」

「おうよ、なんでもバッチこいだ」


 もう一口ハイボールを口に運んで、近くにある焼き鳥を食べて、サラダももぐもぐ。

 あ、アスパラガスの天ぷらもあるし、遠くにチーズもあるから欲しいなぁ。


「詩」

「冗談です、じゃあ真面目な話」

「おう」

「詩と結婚してくれませんか?」


 にぎにぎとした空間で、遠越さんは詩を半眼で見た後、生ジョッキを飲み始める。

 次に焼き鳥を手にしたから、なんとなく奪って食べてやった。


「お前、俺の焼き鳥」

「食べたいですか? じゃあ口移しで食べさせてあげますよ」

「雛じゃねぇんだから」

「雛って誰ですか、私の知らない女ですか」

「鳥だよ鳥、食べやすいように咀嚼すんだろ」

「して欲しいんですか、じゃあちょっと待ってくださいね」


 もぐもぐしたら、遠越さん大袈裟にため息つきながら俯いたりなんかして。

  

「だー、分かった分かった、もう突っ込まねぇよ。いつまでも高野崎さん家にお世話になってればいいだろ。あの人たちなら絶対に怒ったり追い出したりしないだろうし。なんてったって金持ちだからな」

「お金ない時でも一緒でしたけど」

「あの人にお金ない時なんかないだろ。ウチの会社の本社部長代理だったんだぞ?」

「……それって、月収いくら位なんですか?」

「月収は分からねぇけど、年収は一千万確実に超えてるだろ」

「え、凄い、お金持ちじゃないですか」

「その分税金凄いけどな……なんだよ、急にお酌するとか」

「え? だって、遠越さんもいずれそうなるんですよね?」

「……まぁ、そうなりたいもんだけどな。っていうか、さ」

「はい」


 テーブルに頬杖ついて、どこか違う場所を見ている遠越さん。

 しばらくの間の後、頬を赤くしながらつつつって詩を見る。


「さっきのって、マジ?」

「さっきのって、咀嚼ですか?」

「違う、その前だ」

「その前って……なんでしたっけ?」

「……もういいよ、別に」


 また視線をずらして、お酒飲み始めちゃうんだから。

 そんな所が遠越さんの可愛いところであり、詩が大好きなところでもある。


 高野崎さんの家から出る時がいつになるのか、それを決めるのは遠越さん次第なのに。

 もっと祥子さんや琴子さんみたいに、詩もアタックしてもいいんだけど。

 

 でも、色々と失敗してきた詩には、そんなこと出来ないから。

 いつまでも待つことしか出来ない……だって、挑戦して失敗するのって、怖いじゃん。

 

 琴子さんと遠越さんの関係が心配で、居候に入社まで決めちゃったけど。 

 そんなの口にしたら、間違いなく重い女って思われる。

 詩のイメージと違うってなりそうで、ちょっと怖い。

 

「詩ってさ」

「うん」

「詩って、たまにふさぎ込むけど、悩みとかあんなら相談しろよ?」

「……え、ふさぎ込んだりするかな。詩、元気だよ?」

「無理すんなって、ずっと見てんだから、分かるぞ」


 見てないようで見てる、遠越さんはいつもそうだ。

 いきなり言われてびっくりするんだから、準備出来なくて困る。

 今だってお酒飲んでるかと思ったら急に相談に乗れとか。


「ずっと見てるんなら、ずっと見てればいいじゃん」

「……詩?」

「視線逸らさないでよ、ずっと詩だけを見てよ、詩だって、結構勇気だしてる時だってあるんだから……全部分かるんなら、全部気付けよ……遠越さんのばか」

「詩、お前」


 あ、ダメだ、詩の重い部分出ちゃってる。

 視線逸らしてるのどっちだよ、詩だって見れてないじゃんか。


 でもね、怖くて見れない、本音って傷つける言葉が多いから。

 皆みたいにしたくても、詩には出来ない事が多いんだよ。

 

 ぎゅーっと目を瞑って、持ってたハイボールのグラスを握り締める。

 どうしようかな、お酒のせいにしちゃおうかな。

 何かいいましたか? っていつもみたいに逃げちゃおかな。

 そうしたら、また明日から変わらない毎日が続くから。

 そうだよね、それが一番いい、だって、詩は弱い子だから。


「詩」

「え、なになに、どした?」

「お前、俺と一緒に住むか?」


 突然の言葉に、すこーんと頭の何かが持ってかれちゃった。

 俯いたまま視線を横にして、グラスを持った指だけがもじもじと動く。


「……どして?」

「ちょうどよ、俺もイイ歳だし、実家を出ようと思っててさ。でも一人暮らしってしたことなくてさ。詩みたいな子がいたら料理とか作ってくれそうだし、それに」


 俯いてたままの詩の顔を、ひょいと持ち上げる。

 キリっとした瞳に、最近は剃り残しのない顎、昔はやんちゃな雰囲気が残ってたのに。


「詩と一緒なら、毎日楽しそうだしな」

「そ、かな」

「おお、間違いねぇ、保証するよ」

「じゃ、じゃあ、ちょっとぐらい、考えても、い、いいかな?」

「なんだよ考えるだけか? っていうか、本音いうとよ」


 めっちゃ顔近かったから、ドキドキしっぱなしの詩がいる。

 キスなんてもう何人ともしたことあるのに、なんでかな。

 

「詩が他の男の家にいるの、なんかムカつく」

「……え」

「高野崎さんだから、絶対何もないって思えるんだけどよ。でも、もう俺だって一人ぐらいしっかりと養えるぐらいには稼いでるつもりだ。だからよ、詩」


 ずっと逃げてた、常に傍観者だった。 

 当事者になるのが怖かったから、遠回りばかりしてた、でも。


「俺と、一緒に住まないか?」


 いつかは詩も当事者になる時が来るんだ。

 どんなに遠回りしても、どんなに時間を掛けても。

 ずっと待っててくれる人は、待ち続けてくれる。追いかけてくれる。

 

「……………………わ、わかった」

「……マジか」

「マジ」

「冗談とか通用しないぞ?」

「冗談じゃない。でも、詩に料理とか、朝起こすのとか、き、期待しないでね」


 他にも出来ない事が多いんだから。

 一生懸命祥子さんと琴子さんから学んだけど。

 それだっていざ一人になって出来るかどうか。


「――――ヨッシャッ! 早速一ノ瀬の奴に連絡しねぇとだな! あ、もうお義兄ちゃんか!」

「まだお義兄ちゃんは早いと思うけど」


 詩と一緒に住めるってだけで、こんなに笑顔になってくれるんだ。

 もっと早く動けば良かったかな……でも、遠回りしたからこそ、かな。

 

「でも、詩と一緒って事は、江原所長とも家族になるんだよ?」

「あ、う、いや、それはそれだろ」

「あー、いま詩と江原さん、天秤にかけたでしょ」

「かけてねぇし、かけたとしても一撃で詩の勝ちだ」


 自分にワガママに、どこまでも正直に生きる。

 詩に必要なものは、全部高野崎さんたちから教わった様な気がする。

 負けないように幸せにならないと、そうじゃなきゃダメだよね。



「詩ちゃん、何かあったらすぐに連絡してね。課長権限で速攻で潰すから」

「ちょ、怖いこと言わないで下さいよ」


 詩が高野崎さんの家から引っ越しする日。

 みんなが総出でお見送りしてくれて、なんか詩もう泣きそう。


「遠越君、頑張れよ」

「言われなくてもっすよ。詩はしっかりと俺が守りますから」

「はは、何とも頼もしいな。僕に助手席でぶーたれてた時とは大違いだ」

「ちょ、それはいま話題にしちゃダメですって」


 そういえば、事故の原因って遠越さんが何か文句言ってたからだっけ?

 やっぱり、ちょっとぐらいは琴子さんの事が好きだったのかな。

 

 でも。


「え、あ、おい、詩」

「いいんです、詩、遠越さんに守ってもらうんだから」


 ぎゅっと掴んだこの腕は、もう誰にも渡さない。

 一生大事にするから、一生大事にして下さいね。

 

「それじゃ、みなさん、詩、行ってまいります!」

「いつでも遊びに来てね!」

「詩ねーね! またねー!」

「またねー!」


 詩の同棲生活は、これからだから!

 負けないぐらい幸せになってやるぞー!





――

すいません、完結にしてたんですけど、どうしても詩ちゃんの話、書きたくなってしまって。

これで本当に完結です……多分、完結です。ありがとうございました。

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そうだ、日本国憲法を無視しよう。――離婚した僕と同棲を始める二人の女性、娘がママと呼ぶ二人と結婚するまでのお話―― 書峰颯@『幼馴染』コミカライズ進行中! @sokin

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