第5話 男伊達
一時間ほど後、山車は二天門に達して待機に入っていた。女神輿は浅草寺前を右折し、浅草神社へ向かおうとしている。
征志が山車から降り、男神輿に向って歩いて行くのが見えた。五月は女神輿から外れて浅草寺前の参道で追いつき、声をかけて肩を叩くと、征志が振り向いた。
各町会の神輿が、あちらこちらで波の上にあるかのように、練られ、揺れている。上半身裸の倶利伽羅紋々の男たちが揉んでいる神輿もある。男たちの威勢のいい掛け声は、半分、怒号のように聞こえる。花川戸の男神輿は、今まさに宝蔵門を潜ろうとしていた。
匠が担ぎ棒に取り付いて、担いでいる光景が目に入った。
なかなか頑張っているなあ。茜を神輿に担ぎ上げてやったおかげで、すっかり感激して、夢中になっている様子だ。
宝蔵門から浅草寺本堂前までは、最も熱を入れて神輿が練られる場所だ。町会の者は勿論、地元の親父連中や、担ぎ屋たちが入り込んでくる。それまで周りで取り巻くようにして神輿についてきて、鷹揚に他人に担がせていた者たちが、いいところになって、ここぞとばかり担ぎに飛び込んでくるのだ。
それまでは男たちが担ぎ棒に沿ってぎっしりと並んでいても、体を入れる余裕があった。しかし宝蔵門をくぐる段になると誰も譲らないから、息をするのもきつく感じる。年配の男たちも、年齢も顧みず、前に飛び込んで来る。いい歳をして、と思うが、ここは無礼講、若い者だって遠慮はしない。 気合の入った表情で戦い続ける。
征志は「じゃあ、行ってくるぜ」と五月に声をかけると、人波をかき分け、するすると身のこなし良く匠のすぐ後ろに入り、担ぎ棒に取り付いた。
男と男のぶつかり合いだ。大粒の雨が男たちの上に落ち、皆、ずぶ濡れだった。
町会の半纏を着ていれば、排除されることはないが、渡り者の着る半纏で飛び込んでくる者もいて、場合によっては喧嘩沙汰になる。いつぞや、五月がチンピラと揉み合って、留置場入りさせられたのも、この辺りだと思い返した。からまれるとつい熱くなってしまうのが、江戸っ子の悪い癖だ。
宝蔵門を潜って、神輿はいよいよ境内に入る。ここからが一番いいところ、男たちは、それこそタックルをけしかけるようだ。 匠は男たちに体を当てられると、そのたびに顔をしかめている。
どーん、どーんと、がたいのいい男たちが、体を固めてぶつけてくる感触が、五月にも伝わってきた。土砂降りの雨に打たれながら、全身びしょ濡れで担ぎ棒に取り付き、声をからして掛け声を上げ続けている。
浅草寺の本堂の真ん前まで来た。強引に取り付こうとする男たちにもみくちゃにされるせいで、匠は御堂を見上げることもできない様子だ。御堂の前で前後の圧迫で息が苦しくなったらしく、とうとう神輿から外れてしまった。追い出された格好の匠は、ほうほうの体といった様子で、額を流れ落ちる、雨とも汗ともつかない水を拭きながら歩いている。
神輿は御堂から東に向かい、征志は依然として神輿の真ん中で頑張っていた。流石は征志。あたしが見込んだだけの男だ。
五月は神輿が二天門の方から、浅草神社へ左折して消えて行くのを見送った。
五月は、匠の肩をポンと叩いた。振り返った匠は鉢巻が目にかかり、髪が顔に張り付き、半纏もぐしゃぐしゃに濡れて体にまとわりついている。
「去年とは違うけど、これもまた一興だろ?」
匠は興奮しているのか、周囲の喧騒で聞こえないのか、言葉もない。
急に思い出して、「茜を本当にありがとう」と言って、五月の手を両手で握った。
彼方で、怒号が聞こえた。宝蔵門の内側、五重塔寄りのところで、揉み合いからつかみ合いになっているらしい。神輿の場所の取り合いか、はたまた、担ぎ屋で乱暴狼藉を働いている者がいるのだろうか?
匠は半分興味深げに、半分恐々と喧嘩を見ている。
「まさに『火事とけんかは江戸の華』を実践しているな。この時代にこういう手合いも珍しかろうね」
「これが祭りさ」
周りにいた警官達が寄って行く。乱闘に及んでいる者たちが、しょっぴかれるようだ。
男神輿が浅草神社と浅草寺の間を通る頃になって、雨は漸く小降りになってきた。
浅草寺本堂裏の広場に集合した各町会の神輿は、宮司様から御祓いを受けた。
お互いの労をねぎらい、晴れ晴れした安らかな表情で再び神輿を担いで、それぞれの町会に戻って行く。
夕方になって、花川戸の神輿は花川戸町会事務所に戻ってきた。
千一郎が音頭を取り、三本締めで打ち上げた。皆めいめいに、駐車場に張られたテントの中や雨の上がった路地にしゃがみ込んで、ビールを飲み始める。
夕方になり、五月は馬道通りの居酒屋に向かった。通りに沿った大きな窓の席に、佐保子、匠、葉月と二人の子供が座っている。 五月たちの行きつけの気軽な飲み屋だ。合流するとお疲れさま、と声をかけられ、今日の晴れ姿を口々に讃えられた。
「五月、格好いいったらなかったわ。あたしのお姉ちゃんよって、触れて回りたかった」
葉月に続き、匠も感想を述べた。
「完全に絵になってたぜ。そのまま絵葉書になるよ」
「どしゃぶりになっちゃったね。三社のときは、なぜか雨になるんだ」
五月は窓越しに馬道通りを見ながら言った。
雨上がりの三社の夕方もまた、いいものだ。夕陽がほんのり明るい紫色に空を染める中、雨の匂いが清々しい空気を感じさせる。
交通規制は既に解除され、新仲見世通りの入口で、信号待ちをしている人々が見える。
通りの向こうを、短い白の股引に法被姿の若い姐さんが、首に掛けた手拭いを両手で持ちながら、弾みをつけて横丁に駆け込んで行った。
あらよっと、掛け声をかけていく感じだ。
匠の横顔を見ると、その姐さんに目が釘付けになっていた。
「匠さん、今の女の子、見てただろ。いい生足してたじゃん」
匠は「そうかな」とすっとぼけて見せたが、思い直したように意見を述べた。
「今の姐さん、この浅草の三社が終わった夕暮れに摩訶不思議に溶け込んでいたろう。両手で手拭いを首に巻いて、夕暮れに風呂屋へ行こうかってな感じでさ。まるで信号の立つ現代の交差点から、江戸の昔にタイムスリップしたかって、錯覚したよ」
「それに、」匠は自分に頷くように続けた。
「今日どこかでもう一度見かけた気がしたんだ。そう言えば、茜が神輿の上にあげられた時、女衆の中で微笑んでいたんだよ。何だか江戸時代からひょっこり抜け出てきたみたいな様子でね」
ふと見ると、先ほど姐さんが入って行った横町から入れ替えに征志が出てきて、信号待ちの人の中に立っているのが見えた。通りの向こう側からこちらの店を見ている。誘い合わせてこの店へ来るよう言っておいたのだが、少し眉の辺りを腫らせているところを見ると、神輿を担いでいる最中、どこかでやりあったか?
「来た、来た」
「いい男だよね。五月にぴったりかもよ」
葉月にそう言われると、満更でもなかった。
「あたしにも遅咲きの春が来るってか」
五月は照れくささを誤魔化して、からからと笑い声を立てた。
了
花川戸 松浦泉 @matsuuraizumi
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