007


 錬磨は自分が幸せ者だと理解している。

 家庭環境は良好で、経済的な困窮もない。友人関係も上手くいっていて、毎日の学校生活を面白おかしく過ごせている。これを幸せと呼ばずして、何を幸せと呼ぶのだ。


 しかし、あるとき錬磨は自分の裡に居座る感覚に気がついた。


 ──なんか、足りないんだよな。 


 奇妙な感覚は、何をするにも付きまとった。放課後に友人と駄弁っているときも、家族でテレビを見ながら談笑しているときも、一人自室で寝転がっているときでさえも。


 その正体に気がつくのは、もう少し後のことだった。



   ×   ×   ×



 背後の扉が閉まった瞬間、試練の間に漂う空気が一変した。

 壁掛けのランプが一斉に火を灯して挑戦者を歓迎する。一方で冬空の下にいるかのような寒気が肌を刺すが、かえって錬磨は自らの内にある熱を自覚できた。


 ずっと奥底から沸きあがる昂揚。錬磨の口角が無意識に吊り上がる。


『来ます』


 ウリエルの警告が、戦闘開始の合図になった。

 ホブゴブリンが獲物を狩るべく動き出す。一直線に獲物を狙うホブゴブリンに対し、錬磨は体側を向けて壁沿いに走り出した。


「アイツの情報をもっと知りたい。頼める?」

『承知しました』


 ウリエルは端的に答えた。錬磨は並走する相棒にうなずく。


『身体能力で言えば、レンマを多少上回っているかもしれません。それから、ホブゴブリンは獲物を仕留めることよりも狩りの工程を好むきらいがありますから、おそらくはレンマを消耗させるように立ち回ってくるはずです』

「なるほどね。道理でいやらしい顔してるわけだ」


 錬磨を追うホブゴブリンは、ニタニタと品のない笑みを浮かべている。皺くちゃの醜貌に大部分を占める魔女鼻がいかにも小狡そうな印象を抱かせる。


「極力近寄りたくねえな。どうやって戦えばいいかね?」

『接近は避けられませんが、ヒットアンドアウェイスタイルで戦うしかありません。必ず一撃離脱を守ってください。捕まれば容易には逃がしてくれませんよ』

「そんな場面は想像もしたくねえ」


 嫌悪感を隠せず、錬磨はうげっと呻いた。

 ウリエルは錬磨の右肩付近を定位置にして敵の観察を続けていた。


『やはり無手で間違いありませんね』

「となると、ゴブリンと同じで爪と牙に注意だな」

『そのとおりです。それでは、戦闘を開始しましょうか』


 声音が途端に冷気を帯びる。うすら寒いものを背筋に感じつつ、錬磨は自身の昂揚が高まっていくのを感じて喉を鳴らした。


 こうなると、百戦錬磨の軍師を味方にしたようなものだ。それくらい、ウリエルの指示は的確なのである。錬磨は都合十体のゴブリンと戦っているが、最初の戦闘以外は目立った負傷もなく勝利を収めている。結果、ウリエルへの信頼は揺るぎないものとなった。


 ホブゴブリンが次第に速度を増して錬磨に迫る。


『このまま壁沿いを進みましょう』

「目と鼻の先に壁があるんですけど!?」

『そうですね』


 錬磨が絶叫するが、ウリエルはどこ吹く風と澄ました様子だ。

 試練の間は、円形の一階闘技場と、これを取り囲む二階観客席から成っている。真上から見れば二重丸ができあがる構図である。錬磨が走るのは内円なのだが、厄介なことに外壁沿いには剣闘士の入場口が設けられている。


 これが試練の間を半周した錬磨の目の前に現れた壁の正体である。

 迂回すればいいだけなのだが、ウリエルの考えは違っていた。


『私が合図をしたらブレーキを掛けつつ反転してください。いい気になっている愚か者の意表を突きましょう。足に負担は掛かりますが、このまま相対するよりはいい結果になるはずです。上手くいけば、一撃で終わるかもしれません』

「まあ、それはたしかに……」


 錬磨はしぶしぶ提案を了承する。

 走りながら反転したところで、迎撃するには無理がある体勢だ。速度のついたホブゴブリンの突進を闘牛士よろしく流せる自信が錬磨にはなかった。


「失敗したら恨むぞ!」


 文句をつけながらも、錬磨はウリエルの合図を待つ。

 ギリギリまでホブゴブリンを引きつけるペースを維持しながら、錬磨は壁に向かって走っていく。壁への距離が五メートルを切ったところで、錬磨はここが限界だと判断した。


『──いまです』


 錬磨が動くのとほぼ同時、ウリエルが冷静に指示を出す。


『反転後、身を低くしてホブゴブリンの視界から逃げましょう。それから、胸にあるコアを手斧で破壊してください』

「そこまでは無理だぞ!?」


 ウリエルはさらっと言うが、錬磨にはかなりのハードワークだ。

 それでもなんとか体を翻し、不格好ながらも姿勢を下げてベルトの手斧を抜く。


「ギギャッ!?」


 一方のホブゴブリンは、突然反転した錬磨に面食らって反応が遅れた。戦闘初心者でも見逃さないほどの隙だった。


「ここで会ったが百年目! くたばれやっ!」


 錬磨の手斧がホブゴブリンの胸部めがけて振りぬかれる。

 しかし、こと戦いにおいてはモンスターに一日の長がある。手斧が当たる寸前、ホブゴブリンが身をよじってコアへの直撃を回避したのだ。


 ホブゴブリンは、地に転がりながらも即座に身を起こして錬磨を威嚇する。

 錬磨の腕には確かな手応えが残っている。それなりのダメージを与えたはずだが、ホブゴブリンは痛みをおくびにも出さない。


「あー……失敗した? 俺、ビビッて指示より早く動いちゃったんだよね」

『いいえ、レンマ。あなたの失敗ではありません』


 正直に告白する錬磨にウリエルがフォローを入れる。


『確かに、錬磨の動き出しがもう少し遅ければ、ホブゴブリンは成すすべもなく倒れていたでしょう。しかし、私の計算では一コンマ程度の差があっても結果は同じでした』

「というと、つまり?」

『あちらが一枚上手だった。……想定以上に厄介な敵です』


 ウリエルが悔しげに歯噛みする。錬磨の頬が引きつった。

 ホブゴブリンは肋骨を抑えながらも警戒態勢を緩めない。恨みの籠った視線を受けて、錬磨がわずかに後ずさった。


 どうやら錬磨たちは、虎の尾を踏んだらしい。


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俺のナビキャラが最強すぎる件~守護天使に指導されながら、現代ダンジョンに挑みます~ 樋渡乃すみか @HitonoSumika

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