006


 緑の矮躯が視界いっぱいに迫る。

 踏み込んだ左足を軸にし、体を右に半回転させてこれを躱す。回転の勢いを殺すことなく、ゴブリンの首根っこを掴んで地に叩きつけた。


 それだけでゴブリンは「ブギュッ」と呻いて動かなくなる。

 しかし、死んだわけではない。疑似生命体であるモンスターは、攻撃による体力の消耗はあれども、コアを破壊されるまでは決して終わらないのである。


「これで十体目っと」


 携えた手斧を振りかざし、錬磨は感慨なくゴブリンのコアを砕いた。

 遺骸は途端に黒い粒子と化して虚空に溶けた。一部が拠り所を求めるように中空をさまよったのち錬磨の胸に浸透していく。


「何度見ても怪しい光景だ」


 錬磨は眉間にしわを寄せた渋面でつぶやく。

 最初こそ感無量の思いだったが、幾度と似たような戦闘を繰り返すうちに感動が薄れてしまった。なにせ、ゴブリンはどの個体も飛びかかってくるだけで工夫がないのだ。


 手斧をベルトに提げ、錬磨は手首を揉みながら戦利品を拾い上げる。

 指先ほどの極小魔石と、そこらの枝に石を括りつけただけにしか見えない手斧。どちらもゴブリンから得られるドロップアイテムだ。


「チッ。しけとるなー」


 舌打ちすると、背後で温かな気配が膨らんだ。


『盗賊のような物言いをしないでください。あなたの品位を落としかねませんよ』

「品とは無縁だからね。つか、全然目当てのモンが落ちなくねー?」

『仕方ありませんよ。ゴブリンは低ランクのモンスターですから、〈英雄の断片〉がドロップすることはほとんどないでしょう』

「ま、そういうもんか。しゃあなしだな」


 錬磨は無造作に魔石をポケットに突っ込む。手斧はベルトに引っかけた。

 立ち上がって先へ進み始めると、後ろからふわふわした光球が追いかけてくる。ウリエルに「どこに話せばいいかわからん」と愚痴った結果がこのふわふわだ。


 ──アレはなんだったのかね。


 錬磨の脳裏に焼き付いて離れない、まるで天使のような神秘性を持った後ろ姿。

 ウリエルに尋ねても「さあ」とはぐらかされるばかりで、結局あれは自分の幻覚だったのではないかと疑い始めたほどだ。しかし、あれが幻覚なら誰がポーションの蓋を開けただという話になってくる。


 もっとも、話したがらないウリエルから無理に聞き出すのも野暮ったい。

 いずれまた姿を現すこともあるだろう。そのときには、きっちり顔を合わせて礼を言わなければなるまい。自分でも面倒だが、錬磨は意外と義理堅い性格なのだ。


 考えながら歩いていると、ウリエルが錬磨の前に飛び出した。


『レンマ。そろそろ試練の間が近くなってきましたよ』

「おー。結構進んだんだな」


 最初の戦闘から早二時間が経過しようとしている。


 ダンジョンには蟻の巣のような幾多の通路が存在するのだが、どのルートを辿っても最終的に試練の間へと繋がる構造となっている。試練の間とはいわゆるボス部屋のことで、ダンジョンから帰還するためのポータルはさらにその奥にある。


 つまり、現世へ帰還するには、ボスを攻略しなければならないのだ。


「結局、スキルなしでボス戦か~」

『大丈夫です。スキルがなくとも、錬磨は十分以上に戦えていますから』

「そうかねえ。俺的には、もっとスマートに戦えたらいいなと思うんだけど」

『スキルがないからこそ頭を使うのですよ。それこそスマートなのではないですか?』


 ウリエルがふよふよと上下する。どうやら励ましてくれているらしい。


「そうかなあ?」

『そうですよ。今思えば、最初の戦闘でも機転を利かせた戦い方をしていましたから』

「そうかもしれないなあ」


 スキルの習得が叶わないと知れば、錬磨の士気低下につながりかねない。ウリエルはそこを気にしているのだろう。


 残念ながら、錬磨は生粋のゲーマーである。ゆえに周回型ソシャゲの悪辣さも知っているので、これしきのことではめげない。ドロップ率に負けないメンタルはソシャゲーマーの基本なのだ。


 ──慰めでも、褒めてもらえるのは悪くないな。


 せっかくの機会だし、今のうちに褒めてもらっとこう。いつの間にか負け犬根性が沁みついた男の本音である。そんな錬磨の下心を知らないウリエルは、錬磨の周囲を浮遊しながら激励の言葉を浴びせていく。


『先ほどの戦闘も見事でしたよ。しっかりと相手の動きを見極めていました。ですから、ボスモンスター相手でも、錬磨ならきっと上手く戦えるはずです』

「ぐふふ。もしかすると、そうかもしれないな。ぐふふふふ」

『レンマ? なぜ民に重税を課すことと村一番の佳人を痛めつけることが趣味の暗君のような笑い方をするのですか』

「逆になんでそんなに的確な例えができんだよ。いい気分が覚めちゃったよ」


 背筋にうすら寒いものを感じて、錬磨は自らを抱くように腕を回す。


「つかな、しょげてないから安心しろよ。それと、どんだけ褒められても缶コーヒーしか出ねえぞ」

『むしろなぜ持っているんですか』

「さっきゴブリンの顔面にぶつけたヤツだよ。勿体ないから回収しといた」

『…………そうですか』

「引くなよ! 他に水分補給できるアテもないんだから、しゃあないだろ!」


 いくらそういうことに無頓着な錬磨だって、ゴブリンの顔面に触れたかもしれない飲み口に口をつけるのは嫌だ。そんな間接キスはちっとも望んじゃいないが、一生の命と一時の涙を天秤に掛けた結果、背に腹は代えられないと結論が出た。


 そんなこんなで、すでに泣きたい気持ちの錬磨だ。


 デパートでおもちゃを強請る子供のように五体投地してやりたいところだが、悲しいかな錬磨の保護者はふわふわと浮かぶ光球である。いいとこ『あぶないからこっちにおいでー』と呼び掛けられるのが関の山だろう。


 錬磨は鼻づらにグッとしわを寄せて遺憾の意を表明しておく。


『なんですかその顔は』

「いえ、なんでも……クーデレ系ヒロインってクールな面が溶ける一瞬の火力が半端ねえけど、溶かすまでは冬場の冷房より冷えるなぁって思っただけです……」

『……? よくわかりませんが、着きましたよ。この扉の向こうが試練の間です』

「アッ、はい」


 意気消沈する錬磨をよそに、ウリエルがえっちらおっちら飛んでいく。

 向かう先には、高さ十メートルはあろう重厚な扉が鎮座していた。殺風景な鼠色の石壁に嵌め込まれた赤い双璧。青い炎のランタンで照らされた峻厳な出で立ちは、錬磨の喉を鳴らすだけの迫力を示していた。


「早いとこボス倒してコーラで乾杯したい気分だ」

『十分前は緑茶と言っていましたが?』

「いまはアメリカンな気分なの! 頭の中で開戦前の壮大なBGMが流れてんの!」

『レンマなりの精神統一法ということですか。覚えておきますね』

「おのれは学習中のAIか! なんでも覚えようとせんでいい!」


 首を傾げるように光球が揺れる。精いっぱいの強がりもウリエルには敵わない。先手ボケを取ったはずが、いつの間にか後手ツッコミに回されている。


 ウリエルは博識なくせに天然なのだ。どこまでも不思議なヤツである。

 錬磨はふっと息を吐き、


「とりあえず、ボスの情報を教えてもらえる?」

『そうですね……少し待っていてください』


 光球が点滅状態に移行する。ウリエルが時間を要するときの形態だ。ゲームのローディング画面を彷彿させるその姿に、錬磨は不思議な愛着を覚え始めている。

 眺めること数秒、光球が元の点灯状態に戻る。


『ここのボスは、ホブゴブリンというモンスターです。概してゴブリンよりも大きく、また武器を用いるのが特徴ですね。もっとも、最初のダンジョンですから無手の個体だと思われます』

「俺の相棒が世界一のチートスキルな気がするぜ……」

『ちーと? よくわかりませんが、喜んでいい言葉なのでしょうか……』

「安心しろって。Web小説界隈じゃ最上級の褒め言葉だから!」


 カシュッとプルタブを引き上げ、錬磨はコーヒー缶を一気に傾ける。

 すっかり冷めた苦味が、今や遠い現世を錬磨の脳裏に思い起こさせる。


 現実世界はいまごろ夕飯時だろうか。未だ興奮は尽きないが、そろそろ帰りたくなる時間帯だ。望郷や郷愁と呼ぶには若すぎる物寂しさが胸の奥に湧きだした。

 それらも苦味と同時に飲み下し、錬磨は「よしっ」と自らを鼓舞する。


「ウリエル。今回もナビゲート頼んだぞ」

『お任せください。主命に誓って、あなたを勝利に導きましょう』

「大仰だなあ。でもま、それくらい気合入れたほうがいいのは間違いねえか」


 錬磨が触れると、扉の刻印が脈を打つように青く発光した。

 ゴウゴウと音を立てながら扉が開き、試練の間の全貌が明らかになる。


 直径三十メートルほどの円形の舞台。それを取り囲むように配置された無人の観客席。ローマ帝国時代のコロッセオを彷彿させる舞台の上、赤々とした炎に照らされ、酷薄な笑みを滲ませた異形が挑戦者を待っている。

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