005


 天上神殿の一室。部屋の中央には、純白のキトンを身に纏う一人の天使が佇んでいた。

 白亜の壁面に映し出された〈天眼の水鏡〉による観測映像を見つつ、彼女──ウリエルは眉根を寄せて唸る。黄金と炎を混ぜた色合いの髪が陽炎のごとく揺らめいた。


 錬磨の問いをどう誤魔化すか。それが目下の問題である。


 そもそもダンジョンは主が己の無聊を慰めるために創りだしたのであって、大義などないに等しい。その事実が発覚すれば主の面目は丸つぶれだ。それだけは避けなければならない。


 この窮地を乗り切ってみせる、とウリエルは息を巻く。

 まずは錬磨の興味を惹くことが重要だ。対象の興味をほかへ反らせるミスディレクションは魔術師の常套テクニックである。

 錬磨は日本の高校生だ。となれば、よりファンタジーな話題に興味を持つだろう。


「ダンジョンは主が地球を救済するべく、生物を次の位階へと導くために創った機構です。モンスターを倒してエーテルを取り込むことで、生物は理外の力を行使できるようになります」

『なんか知らんけどすげー!』


 錬磨は興奮気味に腰を浮かせ、しかし何かに気づいたように首を傾げた。


『……けど、それがどう地球の救済にかかわってくんの?』

「たとえば、何もないところで火を熾すことができたらどうなるでしょうか。もし、水を生み出すことができたら? 風や電気を起こすことができたなら──、それは素晴らしいことだと思いませんか?」

『そうだな? すごくファンタジーでいいと思うぞ?』


 言葉尻に疑問符をつける錬磨。


 ──少し迂遠だったかもしれませんね。


 錬磨は日本の高校生だ。クールジャパンで生きてきた彼にとって、ウリエルの説明はファンタジー面にばかり目がいっていしまうのかもしれない。ちょっとした誤算だ。


 ウリエルはこほんと咳ばらいし、


「レンマ。いまの地球にはどんな問題があるでしょう?」

『どんな問題って……そうだな。たとえば、よくニュースで言うのは地球温暖化とか、食糧問題とか、あとは電気を作るためのエネルギーが足りなくなる……とか?』

「そうですね。では、最後に出たエネルギー問題を軸に考えてみましょうか」


 現在の地球は、いずれ来るエネルギー資源の枯渇という壁にぶつかっている。

 十八世紀のイギリスで蒸気機関が開発されてからというもの、地球は時代の変遷とともに石炭や石油といった化石燃料を膨大に消費してきた。その結果、二酸化炭素の排出が加速的に進み、地球温暖化などの問題にまで発展している。

 こうした化石燃料の枯渇不安や二酸化炭素の大量排出をエネルギー問題と呼ぶ。


「化石資源が枯渇していきますが、現状ではこれらの大量消費にほとんど歯止めを掛けられていない状態です。栄華を求める途上国は工業化を進めますし、発展しきった大国では再生可能エネルギーですべてを賄うことなどできませんからね」

『風力発電とか太陽光発電の発電量って、日本でもたしか全体の二割もないんだっけ。現社の資料集に載ってたな』

「そのとおりです。そんな現代で、何もないところから火を生み出せたり、水を生み出せたりすると、どんなメリットがあるでしょうか」

『!』


 あえて語調を強めると、錬磨もウリエルの意図するところに気づいたらしい。ハッと目を見開き、錬磨は会心の笑みで答えを口にする。


『資源を消費しなくて済む!』

「もっとも、人が理外の力を行使したとて生産できるエネルギーはたかが知れていますけれどね。しかし、魔石からエーテルを抽出する技術を確立し、変換の術式を書けるようになれば、エネルギー問題は解消に向かうでしょう。ちなみに、モンスターからは食料もドロップしますから、食糧問題にも効果があると思います」

『……ダンジョンってすげーな』


 理解が追いつかないのか、錬磨は口を開けて呆けている。


 エネルギー問題や食糧問題は人々の生活に身近なものだ。ダンジョンが問題解決の糸口になると言っても、一介の高校生にとってはあまりにスケールの大きな話である。かえって現実味が薄れてしまうらしい。それでモチベーションが下がっては困る。


 やる気を出させるためにも、ウリエルは一計を案じた。


「理外の力とは、いわゆる魔法や魔術に近しいものなんですよ。先ほどのようにモンスターを倒していけば、レンマも使えるようになるかもしれません」

『マジで!? ダンジョンってすげー!』


 錬磨が驚愕して目を見開いた。ウリエルはひとまずほっと胸をなでおろす。

 誘い文句に偽りはない。神代の人類は自らに蓄積されたエーテルを用いて魔法を行使していた。神代の終焉とともに魔法の時代は終わりを告げたが、ダンジョンでは魔法に代わる能力を習得できる。


「魔法や魔術と表現しましたが、厳密にはスキルと呼ばれる能力です。身体能力を向上させる強化系や空間に障壁を作り出す補助系、火球などで攻撃する魔法系、武器を用いた攻撃を拡張する武技系……様々な系統のスキルがありますが、いずれも強力なものばかりです。ダンジョンを攻略する上では、最低限一つは習得しておきたいところですね」

『……そんで、どうやったらそのスキルをもらえんの?』


 錬磨の喉がごくりと鳴る。掴みは上々だ。

 ウリエルは薄い唇を開くと、オペラ座のプリマドンナさながらの美しい声色で、自身にインプットされた情報を読み上げていく。


「稀にドロップする〈英雄の断片〉というアイテムを使うことで習得できます。モンスターを倒していけばおのずと手に入るわけですね」


 ダンジョンでは、モンスターの討伐時に一定確率でアイテムがドロップする。

 各アイテムにドロップ率が設定されており、また同種のアイテムでも品質等によってランクが分けられている。ちなみに脅威度の高いモンスターほど高ランクのアイテムを落とすような設計だ。


「スキルの習得にはそれなりにエーテルを消費しますから、モンスターとの戦闘は一石二鳥でしょう」

『またモンスターと戦うってことか……』

『──っ』


 錬磨の声が消え入るようにしぼみ、ウリエルは忸怩たる思いで臍を噛んだ。

 平和な日常に生きてきた錬磨が異形との戦いを恐れるのは無理からぬことだ。

 事実、先の戦闘で錬磨はあわや殺される寸前にまで陥っている。死に物狂いで襲いくるゴブリンに与えられた苦痛と恐怖は想像に難くない。


 ダンジョンから帰還するには、最奥にあるボスフロアを攻略する必要がある。モンスターとの戦闘は避けられないのだから、いまは錬磨の精神状態を少しでも前向きに持っていかなければならなかった。

 モチベーションを上げるためにスキルの話をしたが、逆効果だったのだろうか。


 自らの不覚を悟ったウリエルは次なる策を講じるべく、


「大丈夫ですよ。私が完璧にナビゲートしますから、あなたが不安に思うことは一切ありません」

『……モンスター倒してスキル覚えて、強敵に挑戦するってことだよな』

「はい? そのとおりですが……」

『テンション、上がってきたぁあああっ!!』

「レ、レンマ? あの、どうしたんですか?」

『つかさ、ウリエルも俺のスキルなんだよな。何のアイテムも使ってないし、よくある固有スキルとかそういう類のもんなんだろ? ウリエルはダンジョンの知識もいっぱい持ってるみたいだし、百人力だよな!』


 今度はウリエルがぽかんとする番だった。


『さっきの戦闘もマジやばかったな! まるで漫画とかアニメの世界に入り込んだみたいだ! くそ痛かったけど、命のやり取りしてるって思うとすっげえ興奮する! マジでヤバかったな、な?』

「や、やば……?」


 矢継ぎ早にまくしたてる錬磨に圧倒されるウリエル。紅蓮の瞳をパチパチとしばたたかせながら、ウリエルはオウム返しのように錬磨の言葉を繰り返すしかなかった。


『ヤバいってのは、すげえってこと! 何がやべえってさ──』


 錬磨はなおも勢いを止めず、水を得た魚のごとく舌を回し続ける。


 ──私はスキルではないのですが……。


 ウリエルは神の依頼で錬磨を助けているのであって、実際には錬磨の固有スキルなどではない。固有スキルが存在するのは事実だが、生憎と錬磨は固有スキルを持たない人間だ。お世辞にもダンジョンに潜る素養があるとは言えないのである。


 もっとも、それを否定して「じゃあ何なの?」と聞かれても困る。神からもバレないように上手くやってとお達しがあった都合、ウリエルは錬磨の勘違いに便乗することにした。


 ──それにしても、レンマは何もかもが予想外のヒトですね。


 突然脳内に話しかけられてもこれに順応し、戦闘では指示に従わずに独断行動をし、それがトラウマになったかと心配すればむしろ興奮したと言ってのける。

 これは、ある意味ちゃらんぽらんな神に仕えるよりも大変かもしれない。


「やばいのは、あなたです……」


 ウリエルのぼやきは、錬磨の耳に届かない。


 これからの行く末を案じつつ、しかし不思議と予感めいたものを感じながらウリエルはため息を吐く。なんだか、長い付き合いになりそうだ──と。

 

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