004


 いまの後ろ姿はウリエルだったのだろうか。

 追及したい気持ちに駆られたが、彼女にも何らかの事情があるのだろう。野暮なことをして昔話をなぞるような真似はしたくはない。


 錬磨はかぶりを振って未練を断ち切る。


「そうだ、ウリエルに聞きたいことが山ほどあったんだった!」

『奇遇ですね。私もレンマに言いたいことがたくさんあります』

「む。それならお先にどうぞ」


 地べたに座り込み、錬磨はウリエルに話題を譲る。


『なぜあのような行動をとったのですか? ハッキリ言って、リスクが大きすぎました』

「うぐっ……アレね。まあ、一応俺にも理由があったから聞いてくれ」


 釘を刺され、口から変な声が出た。聞かれると思っていたが、どうも答えづらい。もっとも、ここでしっかり意見を交換しておくことはこれからを見据えれば重要なピースだ。誤魔化してあとあとに響かせるような愚行は避けるべきである。

 頬を搔きながら、錬磨はとつとつとしゃべりだす。


「最初に俺が避けたあと、アイツは倒れたままでいたよな。あれ、明らかに罠だっただろ。そこで『ゴブリンにどれだけの知能があるか』が気がかりになった。人語を解せるレベルだったら、俺らの作戦モロバレだからな」

『だからわざとらしい棒読みをしていたんですか?』

「そういうこと。二枚目の千両役者気分だったんだけどなあ」

『三枚目にもなれない大根役者でしたよ。今後も舞台には立たないほうがいいでしょうね』


 ウリエルが毒を吐く。うぐっと呻き声を漏らしつつ、錬磨は釈明を続ける。


「もしもゴブリンが人語を解せるなら、突進のスピードを緩めたと思う。結局、ゴブリンは変わらずの速度だったから、『人語を解しているわけじゃない』と結論付けた。けど、ウリエルの指示に不安があったのも確かで、だから俺は自分で考えた“不意を衝く”選択肢を採ったワケだ」


 錬磨は肩を竦め自嘲気味に笑った。


『なるほど。そういった理由でしたか』

「長々言ったが、つまり、俺がウリエルを信じきれなかったんだよ。せっかくナビゲートしてくれたのに、ごめんな」


 どう導いてくれるのか、などと大層な物言いをしておきながらこれだ。穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。すでに顔全体で火災が発生中である。

 そんな錬磨の様子はどこ吹く風と、


『構いません。どこの馬の骨とも知れぬ者の発言を鵜呑みにするほうが馬鹿げています。私としてはむしろ、あなたが警戒心の強い人で良かったとさえ思いますよ』


 呆気にとられた錬磨が「はあ」とうなずく。


『ゴブリンと戦えば、九十九パーセントの確率でレンマが勝ちます。しかしそれは、単に身体能力の面での計算です。実際の戦闘では、精神状態が結果を左右することもあります。その知識を有していながら、漫然と指示をしていた私は愚か者です。申し訳ありません』


 姿は見えなくとも、ウリエルが深く頭を下げていることが察せられた。


 口調からも窺えるとおり、ウリエルは勤勉で生真面目な性格だ。きっと、白は白だとハッキリ言えるタイプに違いない。場に合わせて黒とも赤とも言える自分とは正反対で、錬磨はそわそわと胸のあたりがむずがゆくなった。


「俺はウリエルを信じきれなかったし、逆にウリエルは俺を信じすぎた? のかね。ここはお互い様ってことにしとこうぜ」

『わかりました。これからは、よりレンマに合わせたナビゲートを心がけますね』

「俺ももっとウリエルを信じるよ。よろしくな」

『よろしくお願いします』


 事務的で、それでいてはじめより柔らかな声音に錬磨は苦笑する。

 状況的に言えば、今すぐに心からの信頼を捧げるのは難しい。訳のわからない場所に連れ去られ、そこで助けようとしてくれる初対面の──しかも姿を現さない──人物を信頼するのは誰だって困難だ。しかし、この状況下において頼れるのは彼女だけで、何より錬磨はウリエルを信じたいと心底思っていた。そうさせたのは、やはり先ほどの温かさだろう。


 形容しがたい思いに浸っていると、不意に疑問が湧いた。

 ところで、ここは一体全体どこなのだろうか。ウリエルがダンジョンと言ったし、周囲の景色もそれっぽい様相を呈していた。タイルの敷き詰められた路面に、壁はギリシャ建築を思わせる造りで、ダンジョンと言われても違和感がない。


 ゴブリンを倒してアイテムが落ちたのも、非常にそれらしい。魔石やポーションといったアイテムは、創作物でもよく出される代物である。

 良く言えば雰囲気があり、悪く言えばあからさまだ。

 ダンジョンと言われて違和感がない場所とは、すなわち大衆のイメージに沿った景観をしているということにほかならない。

 つまり、そこかしこから人工の臭いがするのである。


「さて、次は俺の番だ。さっき言ったとおり、バンバン質問するからな」

『望むところです』

「じゃあさっそく。ここはダンジョンだって言ってたけど、どこにあるものなんだ?」

『ダンジョンは地球上に存在するものではありません。地球外の惑星でもなければ、宇宙船のなかでも、ましてや異世界でもありません。私たちは、ダンジョンという異空間に滞在しているのです。正確に言えば、異空間に造られた機構ですが……ダンジョンのために造られた異空間なのですから、大差ありませんね』


 涼やかなウリエル。対して錬磨は、あんぐりと口を開けた。


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