ボクのマリ 後編

 ある日、マリを撫でていると、お腹が緩やかにカーブしていることに気づいた。

 マリのお腹は温かくて、かわいいが、いつもより膨らんでいるような気がする。

 ボクは真っ青になった。

 もしかしたらマリは何か病気なのかもしれない。以前神社に参拝していた老人が、少しずつ腹がでっぱっていき、死んだのを覚えていた。

 怖くなって、とにかく病院だ、とマリを抱えて駆け出した。突然撫でることをやめた抗議で、マリに引っかかれることもかまわずに。

 病院にはいろいろな動物がいた。受付の女はまたお前か、みたいな顔をしていた。

 こんどはキャリーに入れてきてください、と女に言われた。キャリーはマリが嫌がるのだ。マリが嫌がることはやりたくない。

 そんなことを言ったら、女は眉間にしわを寄せてこんこんと説明しだした。長かったが、どうやらキャリーに入れたほうがマリのためになるらしい。今度はマリが気に入るものを用意しよう、とボクは心に決めた。

 診察室に案内された。先生にマリの異変を伝える。先生はマリをべたべたと触る。あまり触られたくないが、マリのためだとボクは我慢した。

 いろいろと機械を使ってマリを診た後、先生は一枚の白黒の写真を見せてくれた。

 なんだかよくわからない写真をみせて先生は言う。

「おめでたですね」

 はあ、とボクは返した。写真のなにがおめでたいのかよくわからない。

 呆けたボクを見て、先生は咳ばらいをした。看護師はそれじゃたぶん伝わらないですよ、と耳打ちしている。全部聞こえているのだが。

「マリちゃんのお腹に、赤ちゃんがいるんですよ」

 ほー、と聞いたボクははっ、とする。

 赤ちゃん?

 マリは診察台の上で毛づくろいをしていた。

 マリのお腹に赤ちゃんが?

 処理が追い付かないボクに

「育てる気はありますか?」

 と、先生は質問する。ボクは首を縦に振った。

 マリの赤ちゃんを育てない理由はない。どこの馬の骨がマリに手を出したのだと思うと怒り心頭だが。

 神社には何匹か猫がいることもある。きっとそのうちの一匹に違いない。

 その猫はどうにかすることにした。

 しかし今は、当然マリのことが重要だった。お腹に赤ちゃんがいるなんてきっと大変だろう。マリは大丈夫なのだろうか。

 ボクの頭の中は混乱していた。

 その日は先生に必要なもののメモを貰い、マリと一緒におうちに帰った。

 そわそわとするボクに、マリはいつも以上にかまってくれたので、とりあえずボクは幸せだった。

 それでも、ボクの興奮は冷めやらず、夜は布団に入っても眠ることはできなかった。マリはいつも通り、一緒の布団の一番真ん中でよく眠っていた。

 次の日、ボクはマリに起こされ、頬の肉球と爪の痕を触りながら、マリのための出産場所を作った。木製で大きすぎず小さすぎない丈夫な箱に、マリのために買ったけれどまったく使わってくれなかったベッドを入れる。

 作業中、ボクの背中にいたマリは、作られた出産場所をふんふんとにおいをかいで確認していた。気に入ったのかはわからないが壊されることはなかった。だけど入ることもなかった。残念。

 そのあとは、神社の境内に猫をつかまえるための罠を張っておいた。

 そうしたら罠はだめだと地域のひとに怒られたので、直接つかまえることで落ち着いた。

 どれがマリのお腹の中の仔の父親なのかはわからないが、とりあえずオスはぜんぶ保健所に届けた。

 しばらくしてなんとか保護団体という人たちがきたので、猫はぜんぶその人たちに渡した。

 神社に猫がこなくなったので、これでマリも安心できると思う。

 猫がいなくなったころ、マリがそわそわと落ち着きのない行動をとるようになった。

 病院の先生は、二カ月以内に産まれる、と言っていた。

 そのとおりだった。

 マリは床に爪を立てたり、ボクをひっかいたり、お腹をたくさん毛づくろいしたり、暗い場所をうろうろとしたりと先生が言っていたような動きをしていた。

 ボクはマリに作った出産場所に、マリが普段使うものやおもちゃを置いたりした。だけどマリはボクが作った出産場所ではなく、開けたばかりの段ボールの中にいた。とても残念だった。僕にはマリが満足できる場所を作れなかったことに落ち込んだ。

 でも落ち込んでいる暇はない。お産が始まったマリをボクは応援した。先生が絶対手を出すなと言っていた。出すくらいならそのまま連れてくればいいらしい。

 とにかくボクはマリのそばにいてやることしかできなかった。

 お腹の中のものを出すのはきっと苦しいだろうな。マリの苦しみはボクが変わってやりたいけれど、それはどうにもままならなかった。

 マリは順調に仔共を産んだ。先生がメモをしてくれた注意点も大丈夫だった。

 五匹の仔共と五個の胎盤が出て、マリのお腹は出産前より平らになっていた。

 仔猫は何もかもがちいさくて、マリと同じ生き物には見えなかった。毛が短く、地肌が丸見えで、なんだか奇妙な風体のそれらの中に、マリに似たものは一匹もいなかった。

 頑張ったマリをいたわろうとすると、マリは仔猫に鼻を近づけた。

 仔共の胎盤をなめて取るのだと、先生が言っていた。そう思っていたボクの目の前で、マリはくわりと牙を見せる。

 あ、と思った瞬間にはマリの歯は仔猫の皮膚を破っていた。

 手を伸ばしたが、その前にマリは二匹目を咥えていた。

 マリを段ボールから抱き上げると、バタバタと暴れて仔猫と胎盤が蹴散らされる。咥えていた仔共がぼとりと床に落ちた。

 マリを、病院から買ったキャリーに入れる。仔猫は段ボールごと病院に持って、病院へ向かった。

 受付の女が、またお前か、という顔をしたが、慌てたボクと段ボールの中の仔猫を見てすぐに診察室に通してくれた。

 その日の診察室はあわただしかった。

 いつもはのっぺりした顔の先生がいろいろなところにしわを寄せて仔猫をいじっていた。

 マリを診てほしかったが、迫力がすごくてボクは黙っていた。

 しばらくして先生は暗い顔でボクのところに来た。

 マリは初めての出産に混乱してしまったらしい。とのことを言っていた。

 マリの容体は安定しているようで、ボクは安心した。

 マリの赤ちゃんはきっとかわいいと思っていたが、マリは望んでいなかったようだ。喜んで育てるつもりだったが、残念だ。

 その日は眠ってしまったマリとともに帰宅した。先生は容体を見るためにまた来て、と言っていた。

 帰ると、マリはボクにご飯の催促をしてきた。食欲があるようで、ボクは胸をなでおろした。

 いつも通りご飯を食べて、一緒の布団に入った。マリはいつものように、一番真ん中で丸くなる。

 よかった。マリになにごともなくて。

 マリがいてくれるだけで、ボクは十分だ。

 マリを撫でながら、ボクも瞼を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ボクのマリ 染谷市太郎 @someyaititarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説