“Isn't”love story

植原翠/『浅倉さん、怪異です!』発売

“Isn't”love story

「雪ちゃんお願い! 今年はトリュフを作りたいの!」

 またこの季節か……。

 二月十三日の夕方。学校からの帰り道で、美冬が手を合わせて拝む。彼女を横目に、私はため息をついた。

「なんでさあ、できないのに作ろうとすんの? 買えば?」

「当たり前でしょ、裕人先輩に手作りを食べてほしいから」

 美冬は毎年、バレンタインデーの前になると、私にチョコレート作りを手伝わせる。美冬本人が酷い料理音痴だからだ。

 レシピどおりに作ればいいのに、なぜか余計なことをしたがって毎度失敗するから、小学校五年生から現在の高校二年まで、ずっと私が見守るようになったのだ。

「なにも手作りにこだわらなくても、バイトしてお金貯めて買ったものなら愛情不足ではないでしょ」

 私が正論を述べると、美冬はふくれっ面で言い返してきた。

「裕人先輩に、料理が下手だと思われたくないんだよ」

「実際下手なくせに!」

 美冬がチョコレートを渡したい相手は、毎年変わる。今年は同じ部活の裕人先輩だそうだ。私はその人とは面識がないので、本音を言うとどうでもいい。美冬の移り気な恋愛など、全然興味ないのだ。どうせ今回の裕人先輩も、来年には冷めている。

 そうは言っても、小五の頃に美冬に「作り方、教えようか?」なんて言ってしまった私が悪い。最初こそ親切心だったが、今となっては恒例化した年一の行事として、情で付き合っているだけである。

「で、トリュフ?」

「うん。あれ、どうやって作るの? 材料はなにが必要なの?」

 美冬は過去に作ったものを覚えて練習するでもなく、違うものを作ろうとする。しかも作り方や必要な材料を自分で調べようともせず、私を頼る。この甘えた根性が美冬の悪いところだ。もう何度もこんなやりとりをしてきた私には、分かりきったことだけれど。

「材料、買いに行こっか」

「はーい! 雪ちゃん今年もよろしくね!」

 美冬は悪びれることなく、楽しそうに両手を振り上げた。


 何年か前から薄々感じていたが、美冬はちょっとずる賢いというか計算高いというか、打算的なところがある。話した感じは軽薄そうなのだが、一度隙を見せた私にこうして付け入り、毎年利用する狡猾さがあるのだ。最初は天然なのだと思っていたが、中学辺りから計算ではないかと怪しむようになった。

 小学校から中学までは、市立の学校にエスカレーター式に上がった。高校はたまたまなのか、同じ学校を受験した。こうして七年間美冬を見守り続けた結果、私は彼女の性格が「天然を装った計算」であると導き出したのである。

 そう思いながらも毎年いいように使われている私も、毎年のことになった以上、流れに身を任せている。

 板チョコ五、六枚と、生クリーム。それからコーティング用のココア。帰り道にある店に寄り道して買い揃え、そのまま美冬の家に行く。共働きの美冬の両親も、彼女の兄も、この時間は不在である。

 キッチンに着くなり美冬がふたり分のエプロンを持ってきて、片方を私に差し出してきた。制服の上にエプロンをかけたら、美冬と私は早速、手を洗って作業に入った。

「じゃ、最初にチョコを刻んで」

「分かった」

 美冬が包丁を握る。だが、固いチョコレートに苦戦していろんな角度から刃を立て、指を切りそうな勢いでダンッと大きな音を立てた。私は思わず美冬の手から包丁を取り上げた。

「危ない! 毎年毎年びっくりさせられるよ。なんでそんなに下手なの!」

「しょうがないじゃん、固いんだもん!」

「毎年やってるのにいつ見ても全然成長しないし! こうやって手を丸くして、チョコを押さえて、こう」

 私は美冬をどかして自分がまな板の前に立ち、トントンとチョコレートを刻んだ。美冬は横でおおっと歓声を上げた。

「さっすが、雪ちゃん上手だね」

「美冬が極端に下手なんだよ。あんたに包丁持たせるの怖いから、これはもう私がやるよ。美冬は生クリームを鍋で温めてて」

「はーい」

 美冬には別の仕事を与えて、チョコレートを刻む仕事は私が受け持つ。鍋に生クリームを注いでいる美冬を、私は横目で観察した。

「中火ね」

「了解ー」

「今年の相手は誰だっけ。裕人先輩だっけ?」

 世間話程度に、事前に聞いていた名前を出す。美冬は楽しげに目を細めた。

「うん、部活でも人気なんだよ。優しくてかっこいいから」

「ふうん」

 自分から話を振ったくせに、私はすぐに興味が薄れた。美冬と部活が違う私は、その先輩のことは知らない。顔も知らない男など、どうでもよかった。

「雪ちゃんは、今年も誰にも作らないの?」

 美冬がこちらに目を向けてくる。

「私と違ってお菓子作り上手なのに、毎年誰にも作ってないよね。好きな人とか、チョコレートあげたい人とか、いないの?」

「いないよ、そんなの」

 バレンタインデーは嫌いだ。

 私にはチョコレートをあげたい人なんかいない。だから大事な行事でもなんでもない。それどころか、バレンタインデーなんかがあるせいで、美冬の好きな人なんていう知りもしない人のために、こうして毎年チョコレート作りをさせられる。

 チョコレートを刻み終えて、私はそれをふたつのボウルに分けた。片方がトリュフの中身のガナッシュ用で、もう片方がコーティング用だ。

「雪ちゃん、サバサバしてるし冷たいとこあるから、恋愛向きじゃないよね」

 美冬がニヤニヤしてくる。私はギロリと彼女を睨んだ。

「あんたねえ、私にトリュフ作りを手伝わせてる自覚ある? ここまでやらされて、なんで悪口言われなきゃならないの」

「悪口なんて言ってないよ。恋愛向きじゃないだけで、他のことには向いてるならいいじゃん」

 美冬はニーッといたずらっぽく笑った。

 性格が悪いと言えばそれまでだが、美冬はこういうところがある。本来低いであろう立場から、意地悪を言ってくる。といっても、悪意があるわけではない様子なので、こちらも本気で憎めない。多分、小悪魔系というやつだ。

「私が恋愛向きじゃないのは認めるよ。その点、美冬は完璧恋愛体質だよね。毎年、チョコレートあげる人、変わるもんね」

 私が包丁を洗いながら言うと、美冬は人差し指を頬につけるあざとい仕草で返してきた。

「まあね。恋はたくさんした方がかわいくなれる気がするから」

「そのあざとさに騙されてる男たちがかわいそうになるよ」

 生クリームが温まるのを待つ間に、まな板にオーブンシートを敷いた。ガナッシュを作るときに並べるためだ。

 美冬が生クリームを覗き込む。

「これ、いつまで温めるの?」

「沸騰直前まで」

 彼女の質問にこたえてから、今度は私が美冬に問いかけた。

「チョコレートあげたい相手が一年ごとに変わるってことは、その人への想いが一年以内に切れてるんだよね。付き合ってはいないの?」

「うーん、あげただけで終わることもあるし、そのままお付き合いに繋がる場合もあるけど、そうなったとしても、翌年までには別れてるの」

「その程度の想いなんだ」

「その程度でも、恋は恋だもん」

 生クリームがぷつぷつと泡を吐き出しはじめた。ここで、火を止める。刻んだガナッシュ用のチョコレートを鍋に投入しつつ、私は思った。

「その程度の想い」で、ちょうどいい。この計算高い小悪魔が本気の熱量の恋をしたら、多分面倒なことになる。相手の人も翻弄されてばかりになって不憫な目に遭うだろう。

 だが、きっといつか、美冬がそんな沸騰するほどの恋をする日が来るような気がする。それを思うとなんとも気分が悪い。私はここ数年、バレンタインデーの前日が来るたびに、そんな想像をしていた。

 彼女が本気で恋をして、本気の交際をしたら、どんなに取り繕っても腐った性根が露呈していく。そして美冬が本気で選んだ相手は、彼女のそんなところも含めて包み込む。美冬はきっと、その人には私も知らない美冬の姿を見せるのだろう。美冬の腹黒さを分かっていて、分かっている上で何年も付き合う私からすれば、この架空の男の存在は面白くないことこの上なかった。もしかしたらその男こそ、今年の人かもしれない。毎年、そこまで考える。

 バレンタインデーなんか、嫌いだ。

 手のかかる美冬をずっと見守ってきた私から、見知らぬ男が美冬を奪う。その見知らぬ男に向けて、チョコレート作りをしなければならない。

 私は生クリームの海に溶けていくチョコレートを眺めて言った。

「裕人先輩とやらも、もうすぐ卒業しちゃうもんね」

 長続きしないであろう相手のために、なぜか私がチョコレート作りをしている。美冬は壁に背中をつけて宙を仰いだ。

「卒業かあ。私たちも、来年にはそんな時期なんだね」

「そうだよ。美冬は進路は決まってるの?」

 美冬の長続きしない恋愛話よりは実りのある話題になる。美冬は眉間を押さえて唸った。

「親からね、地元の大学薦められてるの。上京も考えたんだけど、話し合った結果、ね」

「そうなんだ。私は上京を心に決めてる。行きたい学校があるんだ」

 私があっさりと言うと、美冬は目を丸くした。

「えっ、じゃあ離れ離れになっちゃうじゃん! 私も同じ学校についていこうかな!」

「家族と話し合って地元に決めたんでしょ」

 窘めた私に、美冬が笑う。

「小学校卒業しても、中学校卒業しても、私は雪ちゃんだけは卒業できてない。だから多分、高校卒業しても雪ちゃんにバレンタインチョコ作りで来てもらわなきゃならないから」

「いや、いつかは卒業してもらわないと困るよ」

 私は美冬の冗談半分の台詞に苦笑した。鍋の中で溶けたチョコレートを、泡立て器でかき混ぜる。いつの間にやら作業は私がやっていて、美冬は横で見ているだけになっていた。私はとろとろになっていくチョコレートを、ひたすら混ぜていた。美冬が甲高い声でぼやく。

「でも、そっかあ。雪ちゃんがここを離れちゃうんなら、雪ちゃんとチョコレート作りできるのは、来年で最後になっちゃうんだね」

「私がいなくなったら、チョコレート作りも美冬がひとりでできるようにならないといけないんだからね。どうしても失敗するんなら、素直に市販のチョコレートを買うんだよ」

 私はお節介にもそう言って、鍋の中のチョコレートがなめらかなペースト状になるまで泡立て器を動かし続けた。

「……そう、だねえ」

 美冬が急に、声を小さくした。

「あのさ、雪ちゃん。私、嘘ついてる」

 強かな美冬のことだ。嘘くらいいくつもありそうである。私は黙ってチョコレートを混ぜて、続きを待った。

 美冬はひと呼吸置いて、言った。

「私が手作りにこだわる理由。『手作りを食べてほしいから』って言ったけど、本当は、そうじゃないんだ」

「ふうん」

「手作りするのが楽しいからなの。雪ちゃんが来てくれて、一緒にいてくれるから」

 その言葉に、私は思わず手を止めた。鍋から美冬に目線を動かすと、彼女は壁にもたれてはにかんでいた。

「チョコレート、あげる目的じゃなくて、作る目的で作ってるんだよ。毎年」

 美冬が強かなのは知っていた。

 甘えた素振りを見せておいて、腹の中ではなにを考えているのか分からない。美冬はそういう女である。そこまで分かっていた私でも、美冬のこの本心は見抜けていなかった。

「……そんなこと言って、私を便利に使ってるだけのくせに」

 確かめるように問いかけたら、美冬は苦笑いして鍋を一瞥した。

「本当に手作り食べさせたかったら、友達の手なんか借りずに自力で作るでしょ」

 美冬が小首を傾げて笑う。

「さっき私、雪ちゃんのこと、サバサバしてるし冷たいとこあるって言ったでしょ。でも私の性格分かっていながら、こうやって毎年チョコレート作りを教えてくれる雪ちゃんのこと、私は分かってる。私が分かっていれば充分だと思う」

 ああ、そうか。やっぱり、美冬は計算高い。

 レシピどおりに作らないのも、毎年違うものを作りたがって材料すら揃えておかないのも、包丁の使い方を学習しないのも、チョコレートをあげたい相手に、大して本気にならないのも。

 全部、わざとだ。

 絶句する私の横で、美冬は続けた。

「決めた。来年、最後の年は、雪ちゃんにあげるために作るよ。だから来年も手伝ってね」

「なにそれ、私にくれるチョコレートなのに私が手伝うの?」

 吹き出した私には、美冬はまた、小悪魔の笑顔を覗かせた。

「それが目的だからね」

 バレンタインデーは嫌いだ。

 悪魔のような君の吐息が、間近で聞こえるから。バレンタインデーは、嫌いだ。

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