第6話 先輩との夜
今日は視察が目的で、誰かとの面談はないのだけど……電車に乗り、新幹線に乗り換え先輩のテンションは低いままだった。
皆と旅行にでかけた時は学生だったこともありそれなりに騒いでいた。今はあそこまでのテンションでなくても、色々と話をすることは多いと思うのだけどな。
「先輩、もしかして寝不足とかだったりします?」
「ああ、そうでもなくない」
どういうことなんだよ。
ややこしい、それになんか棘のある言い方だな。昨日怒っていたし、謝る理由がわからないけどここは俺が謝ればいいのか?
とはいえ、なんで謝ると聞かれれば返答に困る。
「どうぞ」
持ってきたお菓子の封を開け、差し出すがフンと鼻息を漏らしそっぽを向く。
これで少しは機嫌が治ればと思っていたが、これはかなり困った……どうすれば機嫌が戻る? いつものようにおだてれば解決しそうではあるが……今日に限って失敗するかもと思ってしまう。
「お前は……」
「は、はい」
「いや、なんでもない」
電車の中という閉鎖的な空間の中、居心地の悪い時間だけが流れる。会話もないまま時間が過ぎていき、目的地に到着する。
先輩は俺を見ることもなくスタスタと進んでいき、俺はその後を追いかけるだけだった。
いくつかの施設を訪問し、先輩はその時だけ普段どおりに近い状態に変わる。だけど、俺に話しかけることは一切なかった。
* * *
今日泊まるホテルに着き、フロントでチェックインを済ませるまでは特に問題はなかった。
何が問題なのかというと……シングル二部屋ではなく、一部屋にシングルベットが二つ。
どう考えてもこれは何かがおかしい。
『初めての出張だけど、社長と仲良くね』
部長はそんなこと言っていたけど、そういう状況じゃない。やっと一人になって一息つけると思っていたら、先輩と同じ部屋ってどうなっている?
部長はこういうことになっていることを知っていて、あんなことを言っていたのか?
もしそうだとしたら、人間関係のトラブルを避けるため、絶対にありえないだろう。
「ふぅ。今日はすまなかった」
「ああ、いえ。俺は全然」
先輩はベッドに倒れ込み、仰向けになっているが……なんというか、刺激が強い。
奥に在るものが見えそうで見えない、少し短めのタイトスカート。
俺はできるだけ見ないように視線をそらしながら、窓際に行き荷物を下ろす。
「そ、その……なんで同じ部屋なんですか?」
「お前とだったからな……」
どういう意味なんだろう。よく知る間柄とは言え、先輩は女性で……普通であれば別々になるはず。
例えば俺たちが特別な関係であれば……って、何を考えているんだ俺は!
この状況ということもあって、余計な考えを持ってしまう自分が恥ずかしい。
「悪い、少し一人にさせてもらえるか?」
「分かりました。何かあったら連絡をください」
スマホと財布を持っていることを確認して、軽く頭を下げて部屋から出ていく。
これからどうするかな……明日もあるし、先輩が元気になってくれるといいんだけど。
一体何がどうなっているんだ?
* * *
「後もう少しで夏休みだね」
「そうだね。楽しみだね」
友達に同意するかのような言葉だが、良子の表情からして嬉しさというものが感じられない。それもそのはず窓の外をぼーっと眺め、何度もため息を漏らしていた。良子の友達である立花 明日香は「重症だね」とつぶやきその声ですら良子に届いてはいない。
達也は社会人で、良子は高校生。通勤通学という接点が無くなれば朝のひと時は訪れない。
怖いと思っていたはず朝の電車は、達也が居たことで恐怖よりも、期待のほうが大きくなっていた。憂鬱だった朝は、待ち遠しくなり出会う度に気持ちが高鳴った。
しかし、今日は達也が出張ということもあり一人で電車に乗る。居ないはず、居ないと分かっているのだが、スーツ姿の人物を見てしまう。
たった一日。学校までの電車の中という僅かな時間……それでも、居ないと言うだけで寂しさを感じていた。
「おーい。どしたー?」
明日香に頭を揺すぶられ、ようやく意識が戻る。
「え、あ、ごめん。聞いてなかった」
「ぼーっとしてまたあのおじ……お兄さんのことでも考えていたの?」
良子は両手で顔を隠し、何度も首を横に振る。
友人として、応援するべきかどうか頭を悩ませる。
良い人と言われても、相手が大人だからそういうふうに見せることぐらいあってもおかしくない。相手を油断させ、たらし込むなんてよくある話だ。
「でも、まあ……よく考えて行動したほうがいいよ。アンタが良くても、向こうからすれば犯罪だからね」
「そ、そんなことわかってるよ。そういうことはほら、ちゃんと付き合ってからだよね」
その返事に返す言葉もなく、窓から見える遠く、遠くの空を眺めていた。
良子は知っているのかと……合意のもとでもダメはものはダメってこと。その言葉を口にしても、通じるかどうかわからない。だから、今は現実から逃避することにしていた。
* * *
「あ、あの……先輩?」
一向に電話が鳴らないため、俺は一度ホテルに戻ってきた。
部屋には明かりが一切ついておらず、スマホのライトを頼りに中へ進んでいく。
先輩はすでに寝ており、開いているベッドの上には無造作に置かれた……スーツと下着。
これをどうすればいい。スーツはともかく下着を俺が触るのは色々とまずい。
時刻は二十三時。
俺だってそろそろ寝たいが、これを放置して寝られる勇気はない。そうだ、トングのようなものがあれば……って、そんな物があるはずもないし結局間接的にでも触れていることに変わりはない。
考えろ、考えるんだ俺。
この状況でも打開策はあるはず。あるはずなんだが……俺の視線は寝ている先輩と下着を交互に見てしまう。
考えるな、そういうことは理性の崩壊につながる。
俺はゆっくり移動する。
できるだけ息を殺して部屋の中を進んでいく。ガタッと音が聞こえ、思わず声が漏れそうになる。
ご、ゴミ箱か……な、なんでこんなところに置いているんだ?
壁においてあるカバンを取り、部屋の外へと向かおうとするが……
「う、うーん」
先輩の声にびっくりして俺は見てはいけないものを完全に見てしまう。
布団を抱きかかえるようにして寝返りを……したのだけど……ライトを向けなければ、何も見えなかったのにと後悔する。
先輩の下着がなぜそこにあるのか、いくら先輩でも服をそのままにしておくのだろうかと。先輩は……おれを?
一歩、また一歩と、先輩に……歩み寄ってしまう。
鼓動は高鳴り、欲望が大きくなる。
ち、ちがう、そうじゃない。そんな事あるはずがない。
そうだ。先輩は疲れてそのまま寝てしまった。そうに違いない。
頭を少し振って、部屋から逃げ出す。
ドアにもたれかかりそのままズルズルと座り込む。今目を閉じればアレが見えてしまう。
子供の頃以来におれは体育座りをしていた。男の悲しい性に立ち向かうべく、目を見開いたまま大きく何度も深呼吸をして収まるのをただ待っていた。
30を過ぎた俺に、モテ期という都市伝説は来なかった 松原 透 @erensiawind
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