第2話  初出社?

 身だしなみを整えて、スーツに着替える。

 カバンの中に、先輩が置いていった名刺。その会社の周辺の地図をプリントアウトした紙。

 スマホがあればこんな物は必要がないが……駅からそれほど離れてもいないから迷うことはないと思う。

 しかし、何かあった時には面倒なことにもなりそうなので用意しておいた。


「行ってきます」


 最寄り駅まで、徒歩で十五分。先輩の会社は、以前の会社と反対方向。

 出社時間も一時間早い。いつもより早い時刻ということもあって、制服を着る学生もかなり乗車する。


 ここまでの満員電車は久しぶりだったが……二駅過ぎた所で、視線の先に妙な感じがした。

 それが何なのか、理解するまでそれほど時間はかからなかった。

 電車は次の駅で停まり、俺はその場所に進んでいく。

 電車が動き、俺は男の後ろまで辿り着く。


「次の駅で降りろ。いいな」


 俺は一人の男を羽交い締めにすると、男が暴れだす。離せだの、無礼だの、異質な光景に周囲にいた乗客は俺たちから離れていく。

 しかし、多くの目が集まったことで、何が起こっていたのかを理解した人が手を貸してくれた。

 男を取り押さえ、涙を流し怯えている女子生徒はその場に蹲った。

 誰かが呼んでくれた、駅員さんは女子生徒を介抱し、無線で連絡を取っている。


 次の駅に停まり、逃げようともがくがそんなことをさせるつもりはないし、できる状況でない。

 手伝ってくれている大学生風の男が三人。蹴られようとも、反撃をすることもなく、ベルトを掴んで離さない。

 電車が停まり、扉の前に駅員が待機していた。


「怖いかもしれないが、君も来てくれるよね?」


 女子生徒は俺の後ろをついてくるのだけど。正直なところあんなことがあったのに、来たくはないよな。

 付き添いの女性駅員さんが、落ち着かせるように声をかけている。捕まえている男がうるさいから内容は全く聞こえてこない。


「おっさん。暴れるなって」


 その言葉に、彼らからすれば……俺も同じおっさんになるのだろうか?

 いやでも、俺に向けられたものじゃないし。いつの間にか、大学生からすれば一回り歳の離れているんだな。

 そんな事を考えながら、駅員さんに言われるがままついていく。

 警察官も来てからというもの、事情聴取に何度も聞かれ……気がつけば、三時間が経っていた。


「被害届なんて、初めてやった」


「でも、おのおっさんにも感謝だよな」


「示談金いくら貰えっかな」


 俺はようやく開放されて、背伸びをしているとそんな声が聞こえてきた。

 今の子達って色々と考えているんだな。被害届とか……俺にはそんなことは聞かれなかったんだけど?

 てか……やっぱり俺はおっさんなのか?


『一体どういうつもりなのよ!』


 駅にある公衆電話から、先輩のいる会社に電話をすると開口一番がこれだった。

 俺は受話器を持ち替えて、指の腹で耳を撫でる。

 怒った時の声量も変わらず……というか、今日は散々な日だな。

 痴漢から女子生徒を守ったつもりが、取り調べに三時間。善良な一般市民にこの扱いはどうなんだ?

 初出社でこの事実をどう説明すれば相手に理解してもらえるのだろう。


「説明しますので少し落ち着いてください」


『まあいいわ、お昼は食べたの?』


 何がどう、まあいいになるんだ?

 今終わったばかりで、ご飯どころじゃないのだけど。


「まだです。というか、まずこっちの話を聞いてください」


『言い訳はご飯を食べながらじっくり聞いてあげる。私もこれから駅に向かうから覚悟しない』


 そう言って電話を切られた。

 受話器を戻すと、ため息しか出てこなかった。

 気落ちしたまま電車に乗り、改札口で殺気のようなものを感じる。あれはかなりヤバイやつだ。

 いま来たばかりの所を悟られないように、壁際に移動して鞄で顔を隠しつつ……外へと向かう。

 狙うのは、先輩が俺に気づかずここで待っていた……だ。


「おい!」


 先輩から少し離れた位置から、外に出ることもなく、声を投げかけられた。

 今日で何度目かわからないため息を漏らし、顔を隠していた鞄を下ろす。


「おはようございます、先輩」


「すぐそこに、旨いパスタがあるんだ。行こうか」


 言葉だけなら普通なのだが……何故、指を鳴らしながら近づいてくるのですか?

 目を見開き、口角が上がりすぎて白い歯が見えている。

 近づく先輩に対して、俺は腹を鞄でガードする。

 ヒュッと耳元で音がする。


「いいい、行きましょう」


「ああ」


 お店に入り、十二時を過ぎていないこともあって

 先輩からも取り調べ、もとい尋問が始まる。俺を睨みながら頬杖を付き、テーブルを人差し指で叩いている。

 ここは、いつものように容姿を褒めて有耶無耶にできるような感じではないな。

 とりあえず頭を下げて謝るべきだろう。


「先輩、今日は遅れてすみません」


「それはいい。連絡が取れないようにしてしまった私にも責任がある」


 先輩は胸ポケットから俺のスマホを取り出し、俺の前に置いた。


「私の方こそすまなかった。それで何があったのだ?」


 俺は今日の出来事を、事細かく説明する。中途半端な説明では、疑われる可能性があったからだ。

 昨日とは違い、真面目に話を聞いてくれるのだが……なぜか、苛立っているようにも見える。

 なんでだろうと思ったが、先輩も女性で、大学生の頃からもしかするともっと以前からこういうことに巻き込まれていたのかもしれない。


「すみません、先輩。無神経にべらべらと話してしまって」


「はァ? いやいや、何を言っているんだ?」


「すみません。先輩はすごく美人だから、同じような目にあっていたかと思うと、本当に無神経でした」


 俺は深々と頭を下げる。

 だけど、先輩からは何も言っては来なかった。


「あの……先輩、何やっているんですか?」


「みみみてて、わかるだだろう。暑いんた」


 頭を下げていたのに、俺ように用意されていたお冷が取られる。何をしているのかと顔をあげれば自分のお冷も使って、両頬に当てていた。

 実に滑稽極まりない。むしろこんなものを見させられて、笑わない俺に感謝してもらいたいものだ。

 暑いというのなら別にいいけど……まあ、あんな話を聞いて怒っていないだけマシか。


「事情はわかった。今日のことは不問にするわ」


 頼んでいたものが運ばれ、互いのものを食べ合ったりして、何事もなく済んだ。


「ふー、食べた食べた。私の会社はすぐそこなんだが……何か欲しい物があるのなら、コンビニにでもよるか?」


「先輩、俺。今日は、断りに来たんです」


「ちょっとまて……いやいや、どうした? どういうことなんだ?」

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