『東雲寺にて』



「おや、あたしとしたことが、御線香を忘れてしまったようだわ」

 東雲寺とううんじの参道で、胡蝶が憂い気に目を伏せた。


 今日は月に一度の月参りの日。花街から出られない妓女たちも、この日だけは全員で揃いの紺色襦裙を身にまとい、こうしてお参りにやってくる。

「困ったわねえ」

「胡蝶様、あちらで購って参りましょう」

 吉兆楼三姫の筆頭、杏々しんしんが言うと、その背後からちょこん、と赤い着物姿がのぞいた。

ふう、あそこにある香油堂で御線香をいただいてきておくれ」

「あい、杏々姐さん、ただいま」

 おかっぱ頭を揺らすと、少女はぱたぱたと走っていった。



「ここで御線香を買うんだな」

 青嵐は香油堂の前に立っていた。


 寺院の香油堂に人はいない。香油銭箱に代金を入れ、詰んである御線香を取っていくのだ。

 祖国と同じその仕組みを懐かしく思いつつ、青嵐が香油台へ近付いたとき――横からきた軽い衝撃に青嵐はおっと、とよろめいた。


 見れば、赤い着物姿の少女が地面に倒れている。青嵐とぶつかったようだ。


「お、おい、大丈夫か」

「あい、すみません」


 青嵐は思わず手を差しのべる。少女はその手を取って立ち上がった。

 その拍子に何かがころり、と少女から落ちて地面に転がる。


(竹の皮??)

 チマキや饅頭を包む竹の皮。内乱で国を追われてからは久しく見ないが、最近は香織が『おにぎり』という食べ物を包むのに使うのをよく見かける。


「ありがとうござんす」

 少女はぺこりとおかっぱ頭を下げると、香油銭箱にお金を入れて御線香を手に取った。竹の皮を落としたことに気付いていないようだ。


 おそらくきれいに洗ってあるのだろう。くるくると丁寧に丸められたそれは、少女の着物と同じく赤い糸で丁寧に結んである。

 ただの竹の皮だが、少女にとって大切なものであることは伝わってきた。


「おい」

 青嵐が声をかけると、少女が振り向いた。おかっぱが肩先で揺れて、黒髪が陽光に艶めく。

 少女は驚いた顔をしていた。くるりとした丸い黒目がちな瞳を見開いて、花びらのような唇は半分ぽかん、と開いている。青嵐と目が合うと、化粧気のない白い頬が桃色に染まった。


 まるで白い芙蓉の花が薄紅に染まるような可憐さに、青嵐はカッと顔が熱くなる。


「わっちに、何か」

「こ、これ落としただろ!」


 青嵐はぶっきらぼうに手を突き出す。

 少女は驚いて少し後じさったが、青嵐の手の中の物を見てパッと顔を輝かせた。


「あい、これはわっちのでござんす」

 白い手が伸びてきて、ゆっくりと大事そうに丸まった竹の皮を取る。

「ありがとうござんす」

 芙蓉の花のように少女の顔がふうわりほころんだ。


「べ、べつに」

 青嵐が口をもごもごさせたとき、遠くから呼び声がした。


 参道に女性ばかりが大勢、こちらを見ている。揃いの清楚な紺色襦裙を着た女性たちは皆、一様に美しい。特に先頭にいる女性は遠目に見てもハッとするような美女だった。


「あい、ただいま」

 呼び声に応えると、少女はぺこりとおかっぱ頭を下げて小走りに行ってしまった。

 紺色の女性たちの群れに迎えられた赤い着物姿は、可憐な一輪の花のようだ。

 女性たちは少女と一緒に、遠くから揃って会釈をしてきた。

 青嵐も慌てて頭を下げる。

 皆で揃って参道を往く姿は気品があり、すれ違う人々も振り返っている。

 

ふう、って名前なのか」

 そう呼ばれていた。あの少女にぴったりの名だと思った。


 どこかの貴族の家の女性たちだろうか。たとえば耀藍の家の近所だったりするのだろうか。

 だとしたら、耀藍の使いで蔡家に行けば、また会えるのだろうか――。


「って何を考えているんだ俺は!!」

 ぶるぶると頭を振り、雑念を払う。

 気を取り直して香油銭箱にお金を入れ、線香を取る。

 そう、今日は大切な用事で東雲寺ここへ来たのだから。


「香織が作る料理の書物が出るって話だからな」

 食堂にくるお客さんから聞いたのだ。

 詳しいことはよくわからないが、出版される書物というのは、たくさん売れることが大事なことらしい。


 だから青嵐はこうして神に祈りに来たのだった。


 香織の作る料理は美味しい。

 それだけでなく、食べる人々をお腹の底から元気にしてくれる力がある。

 少し変わっているが素朴な香織の料理は、特に見た目が華やかなわけでもないのだが、不思議と元気になる。生きる力が、湧いてくる。


 青嵐もそうだった。


 国を追われ、家族の行方もわからず、難民が肩を寄せ合って暮らす幌で心がすさんでいった。あまりの空腹に死んだ方がマシだと思った。耐えかねて屋台で盗みを働き折檻されていたところを、香織が助けてくれた。


 そして、夕飯を食べさせてくれた。

 あの時のご飯ほど美味しいものを、青嵐は知らない。

 あのご飯のおかげで、青嵐はすさんでいた心も疲れていた体も癒されたのだ。


「だから香織の作る料理のこと、もっと広まったらいい」


 書物を多くの人が手に取れば、香織の料理の評判はもっと広がるだろう。

 書堂ほんやに並んだら、すぐに買いにいこうと青嵐は思っている。


 御線香を握りしめて参拝へ向かうと――あの紺色襦裙の美しい女性たちの姿はなかった。

 あの赤い着物姿も。

「またいつかどこかで、会えるかな」

 少しがっかりしている気持ちを振り切るように、青嵐は参道を進んだ。





「御線香をありがとう、ふう。とても助かったわ」

 胡蝶が微笑む。吉兆楼の一団は礼拝堂に入っていた。

 月に一度、外の参拝所ではなく、神官のいる礼拝堂で祈りを捧げるのが恒例だ。

 胡蝶が神官に挨拶をしている間、ふと杏々が芙の手に目を留めた。


「あら? 芙、それはなあに?」

「これは、わっちの御守りでござんす。杏々姐さんを救ってくれた白米のかたまりが包んであった竹の皮でござんす」

「ああ! あの時の」


 以前、まだ無理な減量をしていた頃、花街の道で倒れたことがあった。

 そのとき、芙がどこかから持ってきてくれた白米を固めた食べ物。それは竹の皮に包んであったのだ。


「まだ持っていたの、それ」

「あい。杏々姐さんを救ってくれた、大切な御守りでござんす。落としてしまったのを、拾ってくれた方がありんした」


 芙は大事そうに懐に手をあて、頬を染めた。


「ははあ、芙ったら。そういえばさっき、香油堂の近くになかなか美形な少年がいたわねえ」

 さらに頬を赤くする芙を見て、杏々は優しく微笑んだ。

「あたしを助けてくれた物が芙にも良いことを運んでくれたなら、うれしいよ」


――あたしたちは、籠から出られない鳥だけれど。

 いつか、あんな人が自分を迎えに来てくれたら。そう願って日々稽古に励むことは、幼い禿かむろにとって良いことだと杏々は思う。


「あの彼に、またどこかで会えるといいね」

 それが実際には叶わないとわかっていても、希望を持つことが妓女たちを輝かせることを杏々は知っている。

「あい。いつか、またどこかで」

 すべてをちゃんとわかっているふうも、大きく頷き、はにかんだ。





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読者様へ



いつも読んでくださってありがとうございますm(__)m

書籍化記念SS第二弾、いかがでしたでしょうか。


今回は意外な二人の邂逅を書いてみました。

お楽しみいただけたらうれしいです。


そして! 青嵐も気にしていたように、香織の温かい料理のお話がたくさんの人をほっこりさせてくれることを願いつつ!




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 下巻の予約もAmazonなどで始まっているようですm(__)m


※藤小豆先生の表紙イラストが下巻も尊すぎて……!! 

 書影が届きましたらぜひぜひ公開させていただきますのでお楽しみに!!



年末年始の忙しいとき、香織と香織を取り巻く人々の物語で少しでもホッとしていただけたら、作者としてこんなにうれしいことはありません(*´艸`*)


下巻の書き下ろしは耀藍のあわてぶりにちょっとププっとできるシーンもあり、ちょっと甘々糖度高めなシーンもあり、年末年始、お家時間に楽しんでいただけると思います(#^^#)


それでは引き続き『転生厨師の彩食記 ~異世界おそうざい食堂へようこそ!~』をどうぞよろしくお願いします!








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【メディアワークス文庫様より書籍11/25発売】異世界おそうざい食堂へようこそ! 桂真琴@11/25転生厨師の彩食記発売 @katura-makoto

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