鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #9
王都の一角に建つ一大コロッセオ。そこでは本年のデラミー校・ブレデリック院の対抗戦、その最終競技の火蓋が切って落とされようとしていた。しかし私は気が乗らず、友もおらず、ただただ虚脱したままに場を見つめていた。
これより行われるのは、前世でいうホッケーに似たような競技だった。互いに十五人ずつをグラウンドへ送り出し、スティックと完全防備でぶつかり合いながらゴールを目指す。ぶつかり合うという言葉がある以上、パンチや蹴りでなければ物理攻撃さえもが許される。ある種無法に近い競技であった。
「先輩方ー! やっちゃってくださいー!」
「ブレデリックの雑草なんてのしちまえー!」
「お貴族が汚い言葉を使っても似合わんぞ!」
「罵声ってのはこうやるんだよ! デラミーの――!」
「こら! そこの生徒! 過度の罵倒は禁止だ!」
半ば罵声にも似た、いや、時として本気の罵声が声援として飛び交うスタンドで、私はうつろな目をしていた。グループの面々が声援を促しに来るのだが、それさえも正直耳に入っていなかった。はっきり言えば、私は義務感だけでこのコロッセオに足を運んでいた。その理由は――
『まずは一つ詫びねばならない。先刻頂いたアイアン領へのお誘いだが、受けることはできない』
二日前。フリージア氏こと元・マリーネアイアン氏は、そう言って赤髪とともに頭を下げた。
『なぜですか?』
私は返す。それが彼女の本心でないことは、もはや表情を見ずとも伝わってきていた。苦渋の決断であることが、ひしひしと伝わってくる。なればこそ、私は問わねばならなかった。
『アンタがいるにもかかわらず、ワタシが顔見せを行う。それ自体が無用な混乱を引き起こす可能性があることが一つ』
『そんなもの、秘密裏に行えば』
私は反論する。しかし彼女は、首を横に振った。真剣な目をして、己の意志を並べ立てる。
『そうはいかない。貴族の社会には、どこにだって目があり耳がある。いくら人払いをしたって、それを信用できるほどお人好しじゃいられないんだ』
『でも……』
『アンタが好意から言っていることは十分に分かる。だけどね』
そこでフリージア氏は一拍置いた。私には、なんとなく分かってしまった。今からの言葉は、マリーネ・アイアンとして発せられる。
『今はアンタが。どこの誰とも分からぬ魂が、マリーネ・アイアンなんだ。その事実を、揺るがしてはいけない』
『っ!』
声の覇気、目の力。まとう気風。そのすべてが、私の安っぽい思惑を打ち砕くには十分だった。私は単に、彼女を両親と会わせたいだけだった。なのにフリージア氏は、その後のことまで考えている。これだけで私は、器の差を実感させられてしまった。
『ま、しょげることではないね。実際話を持ちかけられた時には嬉しさもあった。驚きと嬉しさ、そしてアンタの欲のなさ。それが勝利を導いた』
気を落としかける私の肩を叩いて、彼女は言う。その言葉だけで、私は救われた心持ちだった。無為にはなっていないことが分かっただけでも、私にとっては一つの勝利だった。
『で、もう一つ、か』
彼女はつぶやくように、次の理由へと手をかけた。私は息を飲む。一つ目の理由だけでも十分なのに、何が彼女をそうさせるのか。私は彼女に、しっかりと目を合わせた。しかし彼女は、ためらいがちに息を吐く。そしてヴェロニカ氏に告げる。
『済まないが、その帳面、魔導機器、すべて一切を一度止めて欲しい』
『……良かろう』
一瞬耳を疑うような表情を見せたヴェロニカ氏。しかし、フリージア氏の目を見た直後、即座に要求を飲んだ。一体全体、彼女の目に何を見たのだろう。しかも先輩はそそくさと席を外し、この場を二人だけの空間に変えてしまった。私は表情を固くする。何が始まるのか、まったく予想がつかなかった。
『彼女には、礼を言わなければならないね』
私を正面に見据えて、彼女は口を開いた。こうして真正面から見ると、彼女もまた、美しい造形をしていた。唇は小さく、目元はぱっちりとしている。赤い髪と目が、美しく揺らぐ炎を思わせていた。
『どうした?』
『いえ……』
問われて、私は首を振る。まさか見とれていたなどとは、とても告げられなかった。
『じゃあ良いか。いよいよ本当のところを話そう。実はな……』
『実は』
私は目に力を入れる。一言一句たりとて聞き漏らさまいと、耳をそばだてる。すると彼女の息遣いさえもが耳に入り、私をざわつかせた。
『ワタシは、殺された可能性がある』
『!?』
私は目を丸くした。そんな馬鹿な。
『いや。両親からは事故と聞かされて、貴女だって』
『不慮の事故とは、たしかに言った。馬車にひかれたからな。だが直前、背中を押されていたとしたら?』
『……』
私は言葉を返せない。アイアン領都はそこそこの街だ。王都ほどではないとはいえ、人だかりはできる。その中で彼女をそっと押し出し、上手く逃げおおせる。やってやれないことはないのかと、私は考えを改めた。
『おそらく父……いや、アイアン伯爵とて、その可能性を捨ててはいないだろう。だからこそ、ワタシを蘇らせようと試みた。結果は、なんともよく分からないことになったけどね』
『……』
苦笑いのような、怒りのような。複雑な表情を見せる彼女に、私は何も言えなかった。しかし次の瞬間には、表情は決意によって満たされていた。
『だからアンタに、マリーネ・アイアンに解決を託す。ワタシを殺した犯人に、鉄槌を下してくれ』
そう言って彼女は、再び私に頭を下げたのだった。
***
「……」
私の視界では、激戦が繰り広げられていた。エースナンバーと思しき番号を付けたかの公爵令息が、ブレデリックの妨害をはねのけてゴールを叩き込んでいた。
しかし私には、何一つとして響かなかった。思い出すのは、二日前の記憶ばかり。より明確に言えば、私は途方に暮れていた。
「すでに他領に逃げている可能性さえもあるような相手を、どうやって……」
その場ではフリージア嬢の熱意にほだされてしまったものの、懸念は次から次へと溢れ出る。
どこから手を付ければ、犯人の手がかりが得られるのか。取っ掛かりからして、不明瞭だった。
私は戦場を視界から外して考え込む。しかし塞ぎ込んだところで、答えはより暗闇へと潜んでいくばかりだ。苛立ちから、私はウィッグへと手を伸ばす。そこに一つ、声がかかった。
「こちらにいたんですね。グループの方にいらっしゃらないので、探してしまいました」
「あ……」
長い黒髪。銀色の瞳。自然でありながら、パッチリとしたメイク。レイラ・ダーリング嬢その人だった。ここ二日ほどはシャットアウトしてしまい、語らいさえも行っていなかった。
「グループ仲間と、一緒に応援すればよろしかったのに」
「一人で、見たかったもので」
見られたくない姿を見られたこと。邪険にしてしまっていたことへの罪悪感。そんな思いが私の口調を尖らせていく。しかしレイラ嬢は、優しく私に告げた。
「そういう時も、ありますよね」
髪の動きに合わせて、ほのかな香りが鼻腔をなぞる。思わず顔を上げてしまえば、両頬に温かい手が寄せられた。
「大丈夫ですよ」
確信を持った目で、彼女は言う。私の目にも、思わず力が入った。彼女の目は、あいも変わらず銀色のきらめきを見せていた。
「何があっても、あなたなら必ず切り抜けられます。それがいかなる試練であっても、『鋼鉄令嬢』なら、きっと」
「……」
私は、無言で彼女を見る。疑いのない視線が、私に突き刺さった。こんな愛すべき友人がいるというのに、私は。私は。
「ありがとう」
私は間合いを取り、一礼した。それが本当の謝意だと思った。同時に決断する。フリージア氏より託された件は、一旦脇に置く。いずれにしても、長期休暇にならねばアイアン領に帰ることさえできないのだ。そう決めると、心にも活力が戻ってきた。
「ふふ。その目です。エメラルドに輝くその瞳。ここ二日ほどは話しかけることもためらいましたが、もう大丈夫そうですね」
「一応、は」
きっぱりとは言い切れぬまま、私はコロッセオの大地へと目を落とす。その視線の先では、かの令息が決定打となるゴールを叩き込んでいた。
第一部『入学編』・完
鋼鉄令嬢~その令嬢は機械の身体で青春を謳歌する~【第一部・完】 南雲麗 @nagumo_rei
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