鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #8

 後半の山場たる急坂――前世流にいうなれば心臓破りの坂か――に差し掛かる数十歩手前ほどで、ついに私たちの勝負は振り出しへと戻された。


「一旦風よけ。あとはゴール前までペースを合わせて、最後に抜き去る。衆目の前で、鮮やかに決めて見せようか」


 かたや、あと数キロは走れそうなほどに涼しい顔をしたフリージア氏。


「くっ……!」


 かたや、この一周にすべてを賭けたばかりに疲弊の色は隠し切れぬ私。普通に見れば、勝利の栄光がどちらに輝くかは一目瞭然だろう。


「さすが……」


 思わず口から言葉が漏れる。そう、さすがだと言わざるをえない。

 この学園外周を巡る競走のためにすべてを計算し尽くし、いかにして私に敗北を認めさせるかを検討した作戦の構築。

 私が先行逃げ切りにすべてを注いだように、彼女もまた追い込み差し切りに向けて計算し尽くしていたのだ。

 しかし。だからこそ。


「負けないっ……!」


 心臓破りの坂へと向けて、私は一息に漕ぎ出した。常人なら歩幅を狭めるところで己に強いて、ぐんと強く駆け出していく。機械の身体は私に応え、斜度のある坂を登っていく。しかし。


「そうだ。足掻け。その足掻きに勝ってこそ、ワタシは己を奪われた溜飲を下げる」

「やっぱり恨んでるじゃないですか……っ!」


 振り切れない。ペースの上げ下げに、まったくと言っていいほど動じていない。均等な足音で、追従してくる。


「恨み? 違うな。死んだ以上は仕方がない。両親が生き人形を作るのもさもありなん。だがそれはそれとして、己を名乗る人間がいることへの哀しさというものはある」

「たしかに、それはっ……!」


 恨みではなく、哀しみ。彼女の主張は確かに理解できた。私だって、返せるものであれば彼女に身体を返したい。それが、本来あるべき姿なのだから。だけど。


「哀しみを晴らし、自らを越える。そしてワタシは――」


 彼女がなにかを言いかける。しかし、その後の言葉は語られない。その目的こそが、勝利の報酬なのか?


「ワタシ、は?」

「勝つ。ワタシの身体を奪ったアンタに。ブレデリック院での競争に。ひいては、この世の不条理に」


 声が背中からビシビシと叩いてくる。私を突き上げてくる。そうか。フリージア氏、にとって、二度目の人生は闘争なのか。だったら。


「ダメです」


 私は切り捨てる。息せき切った走りの中で、そこだけははっきりと告げる。そんな戦いだけの人生で、なにが楽しいのか。私には分からない。

 私にとっての人生とは、病魔との戦いだけだった。だけど今は、友人がいる。先輩がいる。見知らぬ私に、愛と鍛錬を注いでくれた両親がいる。少なくとも、狭い中での戦いだけではなくなった。だから。


「私が勝ったら、長期休暇に二人でアイアン領に行きましょう。貴女にも愛を注いでくれたあろうあのお二方に、この数奇な縁をご報告に上がるのです」


 私に身体をくれた貴女を、そんな戦いだけでは生かしたくない。そんな思い一つで、私は足に力を入れた。折りよく訪れた下りと相まって、ぐんぐんと加速していく。


「ま――」

「待ちません」


 背後から聞こえた声を切り捨て、私はさらにアクセルを踏む。この胸が張り裂けたって構わない。彼女の思惑を切り捨てるには、打ち破るには。もはやこの手しか思いつかなかった。


「あ、あ、あ!」


 走る。走る。一心に走る。もうなにも考えない。あの日フリージア氏の前から逃げ出したように、ただただ走ることだけを脳裏に浮かべる。下りが終わり、平坦が見える。そこでも私は落とさない。先ほど飛び出した校門をくぐり、校内へと舞い戻る。


「来た! 暴虐令嬢が首位だ! 単独で来た!」

「え!? 生き人形の争いでそんなに差がつくのか!?」

「いや、ウチのお嬢もそこまで来ている! 踏ん張ってくだせえ!」


 敷地内に飛び込んだ途端に、様々な声が入り乱れる。応援の声。けなす声。私を貶めるあの二つ名。だけど関係ない。今は私とあの人、二人の争いなのだ。他の介入する余地はない。


「っ!」


 グラウンドが迫り、私は足を必死に動かした。一時遠ざかったはずの足音が、執念深く距離を縮めて来ている。そんな恐れが、私を突き動かす。だけど。ああ、だけど。


「関係ない」


 私はつぶやく。そう。関係ない。グラウンドの一点、中継地点に、次の走者が見える。今は彼女に、バトンを渡す。それだけを考えれば良い。駆けて。駆けて駆けて駆けて。


「ハイッ!」

「んっ!」


 そしてその時は訪れる。相手が一杯に伸ばした腕に、私はバトンを静かに置いた。次の瞬間には腕からバトンは消え、風が吹き抜けていく。二番手の走者が、走り出したのだ。

 私は勢いのままに中継点を走り抜け、徐々にスピードを落とす。するとその横に、フリージア氏が滑り込んで来た。おそらく十秒、いや五秒もない。その程度の差まで、彼女は詰めて来ていたのだ。


「アンタの勝ちだ。おめでとう」


 そう言って彼女は、私の肩を軽く叩いた。


 ***


 結局リレーそのものは、どちらのグループも敗北に終わった。デラミー側のとあるグループが地道に差を詰め、最後には独走でゴールテープを切ったのだ。事前の小競り合いでも言われていた通り、いずれのグループも俊足揃い。生き人形が最初に飛ばした程度ではどうにもならなかった。

 とはいえ、私たちの間では別の結果が出たのだが。


「と、まあ。そんなこんなで、そちらの要望で私のサロン研究所に来たわけなのだが」

「感謝する。いかんせん、衆目の場では話しにくい」


 昼休みもたけなわな時間にもかかわらず、あいも変わらずほの暗いヴェロニカ氏のサロン。

 主人たるヴェロニカ氏、先ほどまで勝負の相手だったフリージア氏、そして私の三人がこの場には揃っていた。ちなみに、レイラ嬢は自身のグループへと舞い戻っている。表立っての応援とはいかぬ都合が、彼女にもあるらしい。寂しくはあるが、仕方のないことだった。


「さて。先の勝負はマリーネ君の勝利という形で無事に終わったわけだが」

「異議はない。ワタシはこの結果を厳粛に受け止めている」

「良かろう。では、フリージア君こと『かつてのマリーネ・アイアン』君。君は一体、『今のマリーネ・アイアン君』になにを伝えたいのかね? 君がアイアン家に名乗り出ることなく市井しせいに潜み、回りくどい手段を、試練という形を取ってまでしてマリーネ君に伝えたかったこと。それは、一体?」


 ヴェロニカ氏の目が、爛々と光っている。帳面を片手に、問い詰めんとしている。私は思わず間に入った。これでは、語れるものも語れなくなってしまう。そんな危惧からだった。目を見つめ、呼吸を合わせる。


「先輩。少し冷静に」

「おお。済まない。あくまで君と彼女の話だったね。私は、かたわらの石に徹しよう……」


 幸いなことに、ヴェロニカ氏は即座に引いてくれた。私は先輩を遮る形で、フリージア氏と目を合わせた。そして、以前の対面を思い出す。目の前の人と、ヴェロニカ氏のやり取りを思い出す。


、果たしてもらう。どういう理屈にせよ、背負った名前に応じた責務を果たしてもらう。『本物』を打ち負かした以上、それが成り代わった者の責務だ』

『彼女に背負えるものなら良いが。無理難題を背負わせるのは論外だぞ』

『そうしたくないからこそ、勝負にて器を問うのだ。マリーネ・アイアンを背負う覚悟をな』


 そうして過去を反芻はんすうし、私は改めて自分の言葉で尋ねた。


「マリーネ・アイアンさん。教えて下さい。私がマリーネ・アイアンとして果たすべき責務を。私は、私の名前と心に賭けて。必ずやその責務を果たします」

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