鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #7

『良かろう。で、勝負の方法は?』

『かけっこだ』


 勝負の方法を聞かされた時には、まったく驚いたものだった。まさかこの期に及んでかけっこ、つまり競走など、完全に予期していなかったからだ。


『単純な性能比べかつ、互いの機能を損なわないとすれば、やはり走るのが最適だろうが。それとも、壊し合いをやるか? ワタシだって、壊れかけになるのは勘弁だ』


 フリージア氏の発言に、私はうなずく。たしかに直接殴り合うという行為を除けば、かけっこがやはり最善だった。しかし――


「この騒ぎ、そして他グループからの冷たい視線。これらは予期してたんですか?」

「……ちと想定外だ」


 現在私たちを取り囲むのは、加熱したギャラリーと零下にまで凍えた簡易テントの控室だ。

 さもありなん。私たち生き人形がエントリーしたせいで、他グループは大きく割りを食っているのだ。冷たい視線にも、相応の理がある。むしろ、私たちの方が悪いまであった。そんなことを、フリージア氏と話していると。


「あらやだ。隅っこでコソコソ、談合かしら?」

「生き人形同士だからって、敵と馴れ馴れしくしないでほしいわね」


 これみよがしな言葉が続々と耳に入ってきた。コソコソと遠巻きから投げかけてくるのがあまりにも腹立たしく、ここで開戦の火蓋を切ってやろうかとさえ思いかけた。

 しかしそんなことをすれば対抗戦の品位に傷がつく。乱闘騒ぎだけは、絶対に避けねばならなかった。それゆえに、居心地最悪の空間は続くのだが。


「一年女子の部、始まります。第一走者は、所定の位置へ」


 そんな空気に割って入ったのは、上級生が担当する対抗戦の運営委員だった。私はようやく胸をなでおろし、スタート地点へと向かう。当然、フリージア氏も同じくだった。


『グループ対抗リレー、その第一走者にワタシは出る。だからアンタも、そこにエントリーするんだ。仕掛け無しで一区間走って、その優劣で結果を定める。どうだ、公平極まりないだろう?』


 過日の、胸を張った彼女を思い出す。実際、公平さについてはヴェロニカ氏も太鼓判を押していた。つまるところ、純粋な性能勝負というわけだ。


「あーあ。生き人形が二体じゃ、勝負あったようなものよねえ」

「そうやって言うものじゃないのです。どのグループだって、俊足を揃えてはいるのです。残りのメンバー次第では、やってやれないこともないのですよ」

「それでも勝つのはわたくしどもデラミーですわ。ブレデリックの平民は引っ込んでなさい」

「お生憎様。わたしも、これでも貴族の端くれなのですよ。その言葉、そっくり返して差し上げますわ、高貴なるお貴族の方々」


 レースに参加する面々の間で、聞くに堪えない舌戦が始まる。それにつられて、応援の歓声もいよいよヒートアップしていた。このままでは、乱闘の一つや二つは起きそうだ。そう思っていた瞬間。


「セット!」


 運営委員の声が響いた。私たちは慌ててスタートの構えを取る。世界が違おうとも、ヒトがいる限りその構えはやはり同一だった。少し離れた場所に、銅鑼どらのような楽器と打ち手がいる。あれが鳴った時が、スタートだ。そしてそれは、即座に鳴り響いた。


 ジャアアアン!


 耳をつんざきそうな轟音とともに、私たちは駆け出した。コースは簡単、グラウンドから中庭を経て校外へと飛び出し、そのまま周囲を一周して再びグラウンドに入り、そして第二走者へとバトンを渡す。駅伝とリレーの、中間のような競技だ。

 コースは歩いておおよそ十五分の距離である。生き人形の足なら、三分ほどで一周だろうか。一般学生でも足の速い方なら四分かそこらで走れるだろうから、おそらくまだまだ理不尽な差ではないはずだ。


「だから、最初から飛ばす」


 私は、事前に決めていた作戦を決行した。天気は快晴、少々温かすぎるくらいだが、おおむね走りに影響するような気候ではない。風も弱く、地面もしっかり乾いていた。

 私に問題があるとすれば前世由来のスタミナだし、勝負にアヤがあるとすれば向こうの実力が未知数なことだ。だからこそ私は、先んじて加速を掛けたのだ。後ろを顧みることなく、ひたすら前へと身体を動かす。こういう時、機械の身体というものは便利だった。


「ハッ……ハッ……」


 呼吸を整えながら、私は丘を駆け上がる。背後からの足音は少し遠い。フリージア氏もだ。不気味である。私の足を、測っているのか。あるいは、足を溜めて追い込みに来るのか。ともかく、私は必死に走る。もう一つの山場が、ここからもう少し先にあるのだ。


 ぐんっ。


 私が足で、乾いた大地を踏み付ける。すると、反発が筋肉へとやってくる。足に負担がかからないようにしつつも、速度を落としてはならない。前世ではとてもできなかった、競走という行為。正直今ですら、無いはずの心臓が張り裂けそうだった。


「くうっ!」


 丘を越え、平坦な道へと入りながら私は吠えた。観客がいる? 関係ない。今は私が一位、私が主役なのだ。誰一人にとて、文句は言わせない。


「……っ」


 とはいえ、飛ばしたツケはやはり絶大だった。どんなに足を動かそうとも、徐々にペースは落ちていく。そして私の耳は捉えていた。ゆっくりとだが、背後から足音が迫っている。しかも軽やかに。


「っ!」


 私は足に力を込めた。まだだ。まだ追いつかれる訳にはいかない。この後の急坂とその下り、ざっくり前世の感覚で百メートル先にある山場が、二人の勝負を分けるのだ。すでに丘を越えた時点で中間点は過ぎた。後はその起伏まで、足を溜めつつ、トップを維持する。それが使命だと、私は自身に言い聞かせた。


 タッタッタッ……


 しかし足音は、無情にも迫ってきていた。しかもキツいのは、機械の耳であるがゆえに鋭いことだ。近付いていることは分かるのだが、その距離がつかめない。普段ならともかく、今は必死に走っている。必要以上に、近く聴こえてくるのだ。集中している分、余計に。


「くうっ……」


 もう一段ギアを上げろと、心が訴えてくる。しかし私は、思考で要求をはねのける。ペースを上げるのはもう一歩先、急坂に入ってからだ。そこに行くまでは、たとえ抜かれても……


「ふう。やっとこさ追い付いた」

「――っ!」


 背後からの声を、私の耳が拾う。今回ばかりは、その位置は正確だった。私の後方、三歩から五歩といったところか。真後ろに付かれたのは……


「一旦風よけ。あとはゴール前までペースを合わせて、最後に抜き去る。衆目の前で、鮮やかに決めて見せようか」

「~~~っ!」


 生前ならすでに汗を大量に流していそうな顔を、後方へと向ける。そこには、まだ数キロは走れそうなほどに涼しげな顔をした彼女がいた。

 二人の勝負は、ここからが始まりだった。

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