綿の首輪

植原翠/『おまわりさんと招き猫4』発売

綿の首輪

 誕生日やクリスマスが億劫になったのは、いつからだろう。


「芽衣、誕生日プレゼントなにが欲しい?」

 母のこの問いかけは、毎年私を苦しめる。正確には、年に二回。誕生日とクリスマスだ。

「いらない」

「いらないなんてだめ。お姉ちゃんの分は買ってるのに、芽衣にはないなんておかしいじゃない」

「じゃあ、なんでもいい」

「そういうのがいちばん困るのよ」

「じゃあ、カメラ……」

「もう、またそんな高いものを欲しがって……」

 なら、なんで聞いたの?

 それを言うと母が泣いてしまうので、結局無難に新しい服を買ってもらう。それが、恒例だった。


「お姉ちゃんは、私のプレゼント買わなくていいよ」

 比較的ものを言いやすい相手だった姉には、先に釘を刺した。比較的わかってくれる姉は、素直に受け止めてくれた。

「それじゃ、芽衣も私になにも買わなくていいからね」

 そもそも、おかしいではないか。

 誕生日、クリスマス、それらは家族全員に平等に訪れる。それなのにわざわざプレゼントを買うなんて、結局ただの交換である。

 当日まで隠してびっくりさせようとするのも、もうすぐ二十歳になる私にはとっくに寒い演出だった。そんなのが嬉しいのは、子供の頃だけなのだ。

「だいたい私、部屋にものが増えるの嫌い」

 私はごちゃごちゃに散らかった部屋にため息をつく。

 母からは、趣味から外れた服を。父からは、好きでもないキャラクターのぬいぐるみを。姉からは、使わないマニキュアを。歳を重ねるごとに、部屋にものが増えていく。

 ものを貰って、貰い物だから古くなっても捨てづらくて、こうやって溜まっていく。プレゼントなんて大嫌いだ。

 プレゼントというのは本来、その相手への感謝や祝福をものに乗せて渡すものだと思う。

 しかし私の家では違う。強制的なイベントとして発生し、「なにか買って渡す」という「行動」を求められるのだ。そこには感謝も祝福も殆ど消えていて、単なる習慣になっているのだ。

 自動販売機が「お疲れ様です」と電子音を発するのと同じ。私たち家族のプレゼントは、物体の形をとった記号にすぎない。

「でもさ。お母さんはこういうのが好きなんだよ。世話焼きというか、寂しがり屋なの。付き合ってあげたら? お父さんも空気読んで足並み揃えてるわけだし」

 気遣い屋の姉は、毎年母を困らせないちょうどいいプレゼントを要求している。姉のような器用さのない私には、この家族のプレゼントの習慣が重荷でしかない。母の自己満足でしかない。

「わかってるよ……わかってるから、毎年ちゃんと、喜んで受け取ってるじゃない」

 プレゼントを用意してくれたという事実自体は、ちゃんと嬉しいのだ。ただそれが、暗黙の了解となって、重荷に感じてしまうのだ。

「私も、皆が喜ぶもの一生懸命選んでるし……」

 プレゼントの重圧は、自分が貰うときばかりではない。こちらからあげる場合にも、同様に負荷がかかる。

 母の誕生日、父の誕生日、姉の誕生日、クリスマスは、三人分。姉と父はともかく、母は人にはプレゼントしたがるくせにこちらからなにが欲しいか聞いても「特に欲しいものはない」などと言って自分から要求しない。

 しかしこちらが強制的に受け取らされている以上、渡さないとこちらが忍びない。結果的に、「買わなくちゃ」という強迫観念でプレゼント選びをすることになる。

 プレゼントというのは本来、その相手への感謝や祝福をものに乗せて渡すものだ。私は、そう思っている。だというのに、プレゼント選びをする私は、相手の喜ぶ顔だとかは、面倒くささや煩わしさで埋もれて想像できなくなっていた。

 嬉しいはずの自分の誕生日、家族の誕生日、皆で楽しめるクリスマス、そういうものが億劫に感じるようになったのは、いつからだろう。

 子供の頃は素直に嬉しかったはずだった。家族が温かいことも、プレゼントとして欲しいものが手に入ることも、喜んでいたはずだった。

 しかしいつからか、それらが呪縛のように感じるようになっていた。

 家族がいて、毎年プレゼントがあって、愛されていて。これを重いと文句を言うのは、贅沢なことだともわかっている。でも、これに息苦しさを感じてしまう私は、悪なのだろうか。

「あんたはこのイベントが嫌なのかもしれないけど、お母さんは善意でやってるんだから、悲しませないでよね」

 姉は私の気持ちをわかってはくれる。でも、母を悲しませてヒステリーを起こされるといちばん厄介なのもわかっているから、母の言いなりなのだ。あと、彼女は単純にプレゼントの習慣を楽しんでいる。そういう母似のところがあるから、母に寄り添えるのかもしれない。

 私だってわかっている。母は家族を大切に思っているから、プレゼントという形で繋がりを保とうとするのだと。


 母のプレゼントは、綿の首輪のようだった。

 プレゼントは、家族という枠組みに人間を繋いでおくための首輪である。しかし気持ちの伴わない形だけの「プレゼント」は、こちらが拒否すれば呆気なく壊れる習慣でもある。しかしそうなったら、腐れた絆を構築してきた母はきっと嘆く。「私は家族を想っていたのに」と。

 だから、綿の首輪だ。

 家族同士を繋げる首輪だが、綿でできているから簡単に引きちぎれてしまう。それでいて、綿だから温かいのもわかっていて、ひと思いにむしり取ることに躊躇する。

 首輪の綿がちぎれるときは、母が泣く日になる。

「芽衣のためにと思っていたのに」と。

 プレゼントは嬉しいもののはずなのに、気が重い。どうして私はこんなにも、自分の家族に馴染めないのだろう。


 そして、一年でもっとも億劫な日がやってきた。

「お誕生日おめでとう、芽衣」

 特別な日は、夕食が少しだけ豪華になる。

 この日も、ハンバーグときれいに盛り付けられたサラダ、揚げ物のオードブルと、品数がいつもより多くて見た目も華やかだった。

「ありがとう!」

 にっこり笑うのがマナー。ただ、毎年捕らわれていると年々すり減っていく。

「お父さんとお姉ちゃんも、もうすぐお仕事から帰ってくるわ」

 母はとびきり張り切っていた。

 きらきらした食卓を眺める私に、母がピンクの紙袋を差し出す。

「毎年来る誕生日の中でも、二十歳は特別だから。芽衣のために、服もバッグもアクセサリーも買ったのよ。芽衣のためにね、並んで買ったの」

 紙袋は、駅前にできたかわいいブランドショップのものだった。

「芽衣のためにね、若い子が行くようなお店に入ったの。恥ずかしかったわ」

 プレゼント用の包装紙が中から覗いていて、赤いリボンがくるくるしているのが見える。

「芽衣のためのプレゼントは、毎回悩まされるわ。なにが欲しいかわからないんだもの」

 芽衣のために、と繰り返す母の声で、胸の中にドロドロした黒いものが込み上げてくる。

 綿の首輪に、喉を締め付けられる。

 母から渡された紙袋からは、自分では選ばないような服やバッグ、アクセサリーがたくさん出てきた。懸命に選んでくれたことはわかるけれど、私が本当に欲しいものなんてきっとわかっていない、私のことなんか全然見ていないのだろうと、複雑な気持ちになる。

 綿の首輪は、温かい。家族を想う母の気持ちに包まれているからだ。

 でも、私が苦しいと思った時点で、首輪はやっぱり拘束具なのだ。

「……あのね、お母さん」

 綿の首輪の引きちぎってはいけない。

 だから、慎重に言葉を選んだ。

「私ね、短大出たら、上京したいと思ってるの」

「えっ!?」

 目を丸くした母の顔に、胸がグサリと痛む。

 これだけでも申し訳なくなってくるが、本音を言ったらこんなものでは済まなかった。

「どうして? 芽衣がひとり暮らしなんて、お母さん心配よ」

「大丈夫だよ。料理も洗濯も掃除もできるよ。節約するのも得意だし」

「結婚するまでうちにいてもいいのよ?」

「大丈夫だって。私、都会に憧れてたんだ。都会の会社に勤めたいの」

 これは、建前だけれど。

 母を傷つけずにこの呪縛から逃れるには、そうするしかない。

「心配しないで。ひとりでも大丈夫だよ」

 首輪をそっと外して、そこに置いていくように。

 私はできるだけゆっくり、そっと、固まる母に伝えた。

 母は、しばらく絶句していた。世話焼きで寂しがり屋な私のお母さんは、娘が自分の元を離れていくときを、まだ覚悟していなかったのかもしれない。

 やがて母は、寂しげに目を伏せた。

「……そっか、お母さんの気持ち、芽衣には重かったかな」

 その言葉に、今度は私が絶句した。

 慎重に伏せて伝えたつもりだったのに、私が苦痛を感じていたのがバレたのだろうか。数秒言葉を詰まらせていた私だったが、すぐに早口な言い訳をした。

「いや、そういうんじゃなくて。嬉しいよ、プレゼントは嬉しいの。でも、その、私も自立したくて」

 母を傷つけたくないのか、自分が悪者になりたくないのか。

 この境界は、自分でも曖昧だった。そんな自分が、みるみる嫌いになる。

 ごめんなさい。親不孝な娘で、本当にごめんなさい。

 噎せそうになる私に、母は急に明るく笑いかけた。

「芽衣は悪くないの。そっか、じゃあお母さん、応援するね」

 一瞬見せたメランコリックな顔はどこへやら、いつものお節介な母に戻っている。

「でも芽衣の独断で決めちゃだめよ。お父さんにも、お姉ちゃんにも相談しましょう」

「それは、うん」

「家を決めるときはお母さんも内見についていく。家具を選ぶときも一緒よ」

「それは……ひとりで平気だよ」

 重くて煩わしい母には、私はまた小さなため息をついた。

 私も、毎年プレゼントを贈る習慣が心から憎かったわけではない。ただ、いつの間にかそれが重圧になって、息苦しかった。母は私を苦しめたかったわけではない。それも、わかっている。でも。

「大丈夫。私、もうお母さんが思ってるほど子供じゃないよ」

 もう、解放されたかったのだ。


 *


 その、翌年のことだ。

「はあ、寒かった……。今日はなに食べよう」

 会社から帰った私は、部屋でマフラーを解いて床に放り捨てた。

 あれからちょうど一年。ひとり暮らしをはじめてから、最初の誕生日だった。

 短大卒業後、私は宣言どおり上京した。母も宣言どおり内見についてきたし、家具選びにも参加した。でも、そこまでだ。

 このアパートの一室は、完全に私だけのスペースである。そこにはなんの縛りもない。ルーティンワークのように課せられるプレゼントの呪縛もない。

 誕生日が特別でないただの平日で、誰からもなにもされない……。これがなんだかすごく、開放的に感じた。

 普段どおりの食事を作ってさっさとお風呂に入って寝ようとしたのだが、インターホンの音でその計画が遮られた。

「はーい」

「どうも、〇〇運輸です」

 ドア越しの声に、首を傾げた。通販を利用した覚えはない。

 少し考えて思い当たったのは、綿の首輪だった。

 ドアを開けると、配達員がダンボールを抱えて立っていた。

「こんばんは。萩原芽衣さんですか?」

「はい」

「萩原真由子さんからのお荷物です。判子かサインをお願いします」

 箱に記されてしたのは、やはり母の名前だった。ひと抱えもある大きなダンボールを、配達員は重たそうに持ち上げていた。

 少しだけ、気持ちが重くなる。

 遠くに逃げて自分は逃れた気になっていたが、もしかして私はまだ、首輪を繋がれたままなのか。

 少々鬱陶しい気分になったが、送ってくれたという善意に対しては感謝はある。

 箱はずっしりと重い。私は箱を部屋の中に持ち込むなり、ガムテープを引き剥がした。

 そして箱の中に入っていたものを見て、拍子抜けした。

 シャンプーや洗剤、タオル、レトルト食品。母のプレゼントらしからぬ、実用的なものばかりだ。

 それらの上には、小さなカードが一枚乗っている。

『芽衣へ。ひとり暮らしには慣れましたか。支援物資を送ります。お母さんより』

 なるほど。プレゼントという体裁ではなく、ひとり暮らしの支援物資として贈ってきたか。頑なにプレゼントを贈ろうとする母の行動に、私は思わず吹き出した。

 それから、今度は涙が出た。

 こんなにもプレゼントを贈ることを大切にしている母の気持ちを、私は踏みにじってしまったのだ。

「もしもし、お母さん。プレ、じゃなくて、支援物資、届いたよ。ありがとう」

 涙が止まってから、私は母に電話をした。母は電話の向こうで嬉しそうに笑っていた。

「そう、よかった。お誕生日おめでとう。芽衣」

 やはり私に、綿の首輪を引きちぎることはできなかった。そっと外して置いていくことも、多分できなかったのだと思う。

「お姉ちゃんも、結婚するからもうすぐ家からいなくなっちゃうのよ。寂しいけど、嬉しいことよね」

 母はちょっとため息をまじえて言った。

 母自身も気づいてくれたのかもしれない。距離をはかり間違えると、ただの依存になること。愛情だとしても、その押し売りは私をうんざりさせていたこと。

「今度、お母さんの誕生日にお礼を贈るよ。なにか欲しいものはある?」

「毎年言ってるけど、お母さんは特に欲しいものはないのよ」

 母は例年と同じ口調で言った。

「私は娘たちや夫に、『いてくれてありがとう』のお礼をしたかっただけだから。いてくれることが当たり前じゃないんだってことを忘れたくなかっただけ。お返しが欲しくてプレゼントしてるんじゃないの」

 習慣になって、押し付けになって、母の自己満足になっている。そこに気持ちなんか篭っていない。私は勝手にそう感じていた。

 だけれど、母は毎年、プレゼントの本来の目的を忘れていたわけではなかったようで。

 この気持ちを受け取れていなかったのは、私の方だったようで。

「でも、そうね。強いて言うなら」

 母は冗談でも言うみたいに、笑いながら言った。

「たまには実家に帰ってきてほしいかな」

 綿の首輪は拘束具だ。私を柔らかく締め付けて、肺から酸素を奪う。

 それなのに、温かいマフラーにもなるから、ちぎって捨てることはできない。この首輪の温もりを知っていると、どんなに気に入らなくても手放せなくなる。

「わかった。お土産をたくさん買っていくよ」

「こっちでも、芽衣の好きなものたくさん用意して待ってるわ」

 そのときは、母の気持ちを受けとめられなかったことを謝ろうと思う。

 冬の窓辺が風でカタカタ鳴っている。私はダンボールの中のカードを、大切に見つめていた。

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