紅林翔のとある一日

霞(@tera1012)

第1話

紅林翔くればやししょうのとある一日①


11:00 目覚める。ため息をつく。

11:30 歯を磨く。鏡に映った顔にげんなりする。

    座椅子にぼんやり座っている。

13:30 ふらりと自宅を出る。

14:30 いつの間にか見慣れた空き地にいる。べそをかく。妖精に会う。





 秘密ひみつ場所ばしょには、先客せんきゃくがいた。でも、真帆まほは、引き返すわけにはいかなかった。そうっと、はしっこのベンチにすわる。


「……おじょうちゃん」


 公園こうえんのまんなかにうずくまっていた人影ひとかげから、声がした。


「は、はい! こんにちは!」


 あやしい人には、元気にあいさつ。学校で習ったことを実践じっせんする。


「……こんにちは。ここ、あんまり女の子が一人でいていい場所じゃないよ。帰りな」


 黒いダボッとした上着のフードごしに、男の人の顔がのぞいた。

 こわい、と思ったけれど、真帆はだまってかぶりをった。


 しばらく、真帆とおじさんは、無言むごんで見つめあう。


「なんだあ、サボり? その髪型かみがたと、体の感じ……バレエかな」

「……」

「当たりかあ。どしたの、レッスンいやになっちゃった? 行きたくない?」


 おじさんの声は、不思議ふしぎやさしかった。じわり、なみだがにじむ。真帆は、こくりとうなずいた。


「そうかあ。トウシューズ、もういてるの」

「うん」

「何が嫌になったの、コンクールの練習?」

「……うん」

「そうか、なにおどるの」

「フロリナ王女」

「すごいじゃん」

「……うん」

「いやになること、あるよな」

「……うん。……おじさん、バレエ知ってるの」

「おじっ……。うん、まあ、昔知り合いがね」

「おじさんは、踊ってないの」

「うーん……分かった、いいもの見せてやる。まいったと思ったら、レッスン、行きなよ」

「ええ……」

約束やくそくだぞ」


 おじさんは立ち上がる。地面にシートのような物をくと、帽子ぼうしをかぶりなおした。

 タン、タン、と、大きく手を振り、足を交互こうごみ出す。

 変なステップ。真帆が思っていると、突然おじさんは地面に頭をつけて逆立さかだちをする。そのまま、ぐるん、ぐるんと両手で体を回すと、地面から手をはなした。


 頭だけの支えで、おじさんの体が回っている。

 ぐるん、ぐるん。くしゃりと丸まったり、あしを広げたり。おじさんはひたすら、回っている。

 突然、広がっていた脚がきゅっと垂直すいちょくばされた。

 おじさんの体は、ぎゅるぎゅると回る。早すぎて、おじさんの顔も分からない。電気ドリルみたいだ。


 それからきゅっと音がするくらい突然、おじさんは卍のかたちで静止せいしした。


 はあ、はあ。おじさんの息遣いきづかいだけが、公園にひびく。


「……すごい」


 われに返った真帆は、思い切り拍手はくしゅした。途端とたんにおじさんはどさりと地面にたおれこむ。


「やっぱ、楽しい」


 ぼそりとしたつぶやき。


「すごかった?」

「うん!」

「参った、って思った?」

「……うん」

「ダンスにはさ、一回できるようになったら忘れないことと、続けてないとあっという間に消えてっちゃうものがあるんだ。どうしてもやめようと思うまでは、続けた方が、いいと思う。……レッスン、行きなよ」


 真帆ののどに、ぐうっと熱いものがこみ上げる。


「ほんとはね、バレエ、嫌になったんじゃないの。でも、王子様先生に、さわられるのが、嫌なの……」


 仰向あおむけでしゃべっていたおじさんが、突然とつぜん起き上がった。


「……君、お名前は」

「真帆」

「まほちゃん。先生は、男の人なの」

「うんと、王子様先生は、男の人。発表会で、王子様をやるの。特別にパ・ドゥ・ドゥウを教えてあげるって言われて、でも、鏡のないお部屋に連れていかれて……」

「……まほちゃん、今日は、レッスンに行かなくていい」


おじさんは、今までと違う、大人の人のしゃべり方をした。


「スマホ、持ってる?」

「うん」

「お母さんに電話して。今、おじさんに言ったこと、お母さんに話すんだ」

「でも……」


 レッスンに行きたくない、と言ったら、ママに根性なし、と叱られた。それから、真帆はこっそりこの場所で、レッスンが終わる時間まで、じっと座って過ごしていたのだ。


「大丈夫。お母さんは、君を怒らない。絶対に。絶対にだ」



 ママは、怒らなかった。どこにいるの、と聞かれて答えてしばらくしたら、ガシャン、という音が聞こえてきて、自転車を倒したまま、ママが道から走って来て、真帆を抱きしめた。


「ごめん、ごめんね」


 ママは聞いたことがない声をしていて、真帆の胸はぎゅうっとなる。ママの足の、左右で違う玄関サンダルを見つめていたら、だんだん安心して、真帆は赤ちゃんのように、大声で泣いてしまった。


 しばらくして、公園からママに手を引かれて出て行くとき、思い出して振り返ると、そこには、もう誰もいなかった。


 ありがとう、ダンスの妖精ようせいさん。真帆は、胸の中でつぶやいた。





紅林翔のとある一日②


18:00 コンビニ弁当を買って帰る。

19:00 風呂に入る。明日から、基本の筋トレからやり直す、セットリストを見直す、と決める。


 世界大会には出られなかったけど、俺のダンス人生は終わってない。

 風呂の中で、一人で天井に向かって気炎を上げる。

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