第3話

「ラルラはどうした?」

「いえ、それが……」


 監督官に尋ねられて妖精のマルラはちょっと困った顔になる。


「どうした?」

「あの~、仕事をしたくない、と……」

「ラルラの担当はなんだった?」

「はい。人間の補佐です」

「ああ、なるほど」


 妖精にも色々な役割がある。

 その中で人間相手の担当にはたまにあることだ。


「仕方ない、これを」


 監督官はマルラに水晶玉を一つ渡すと、


「ラルラに今日は一日これを見ながら休むように、そう伝えなさい」

「分かりました」


 妖精のマルラは預かった水晶玉を手にラルラを探す。

 

 ラルラは水辺に生えたふきの葉っぱの下で膝を抱えて隠れていた。

 丸い葉っぱの切れ目から、薄い透き通る羽がチラチラ動いているのが見えた。


「ラルラ」

「何よマルラ! 今日は何があっても行かないから! 監督官にもそう言っておいて!」


 振り返らずに背中を向けたまますねたようにそう言う。


「ううん、監督官は行けとはおっしゃってないから。それよりこれ」


 マルラはふわっと飛んでラルラの隣に腰を下ろし、


「はい」


 と、預かった水晶玉をラルラに渡した。


「何、これ」

「監督官からよ。今日は一日これを見て休みなさいっって」

「監督官から?」


 ラルラは受け取った水晶玉を不思議そうに見る。


「じゃあね、私は自分の担当があるから行くわよ」

「うん、わかった……」

 

 ラルラはそれだけ言うと振り返らずに背中でマルラを送る。


「マルラだって分かってるよね、人間なんてやりがいがないったら」


 ぶつくさ言いながら、それでも言われた通りに水晶玉を覗く。


 そこには若い一人の男が映っていた。


「私の担当の人間じゃない」


 ラルラは不愉快そうにそう言う。

 

 ラルラは毎日毎日、ずっとこの人間の補佐をしてきた。

 人間がつらい生き方にならぬよう、そっと寄り添い、色々と手助けするのが妖精の仕事だ。


 雨が降っても風が吹いても暑い日も寒い日も、ずっと寄り添って補佐してきたというのに、人間は妖精の存在に全く気がついてくれない。

 

 たとえば昨日もこうだった。

 この男が家を出る時にスマホを忘れそうになっていた。


「ほら、大事なの忘れてるよ、ほら、ほらって」


 ラルラは一生懸命に風を送ったり、服の袖を引っ掛けたりして男がスマホの方を振り返るように、カバンの中に入っていないのに気がつくようにとがんばったのだが、とうとう気づいてくれずに忘れたまま出かけてしまった。

 そしてその挙げ句、昨日一日スマホがないことで不自由し、自分がいかについていないか、守ってくれる存在がないかをぶつくさ文句ばかり言っていた。


「どれだけ私が色々と手を尽くしたと思ってるのよ、本当に」


 人間はいつもこんな感じだ。

 

 例えば、うっかりつまづいて転んだ時、手をついたところに尖った物が落ちていてケガをしないようにと気配りしても、転んだことにだけ文句を言い、ケガをしなかったことをありがたがってはくれなかったりする。

 ラルラの担当の人間は、特にその傾向が大きく、ラルラはすっかり疲れてしまったのだ。


「なにさ! たかだかスマホを忘れたぐらいで、まるで自分がこの世で一番不幸な人間のように文句ばっかり! もう私疲れた!」


 そう愚痴を言いながら、それでもやっぱり気になって、水晶玉で男の行方を追ってしまう。


 男は今日はしっかりスマホを持って仕事に行ったようだが、ラルラが付いていないからか、ヘマばっかりしてしまっている。


「あ、あ、だから、ほら、そこ、足元気をつけて! ほらあ!」


 いつもだったらラルラが少しズボンを引っ張り、なんとか水たまりにはまらないようにしてやっているのに、今日はずぼっとはまってしまった。


「だから言ったのに……」


 この男は俗に言う「鈍くさい」人間だとラルラにも分かっていた。


「だからこそ、妖精は力いっぱい助けてあげないといけないんだよ、人間は弱い存在なんだからね」


 監督官に言われていた言葉だけど、それでも、それでも、それがずっと続いていると、どうしようもない気持ちにもなってくるというものだ。

 それでとうとう、今日は仕事をしたくない、とこんなことになっている。


 それでも、今日は手助けせずにじっと見つめているからだろうか、この男はこの男なりに必死に一種懸命生きているのだということがひしひしと伝わってきた。不器用なりに、なんとかうまくいかせようとがんばっているのだ。


「だからこそ、文句が、愚痴が出るのよね」


 そうなのだ、うまくやりたいという気持ちが強すぎて、それでついついぶつぶつ言ってしまうのだ。


「だけど、他人に八つ当たりしたりはしない。一人で抱えこんじゃってさ、本当、損な性分よね」


 いつもは自分も必死でそばについているからか、そんなことをすっかり忘れてしまっていた。


「しょうがないわね、明日はまたそばに付いてあげるわよ」


 と、自分も損な性分の妖精は、一日中じっと水晶玉を見つめ続け、一日の最後にはそうつぶやいていた。

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「とある妖精の一日」3編(第33回) 小椋夏己 @oguranatuki

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