第34話 未来
時は少し遡る。
「桜花、やっぱりいなくなっちゃったな」
ミミはぼんやりとした口調で、前を歩くユウの背中に話しかけた。
二人は人気のない林道を歩いている。
「あぁ……そういう話だったろ……龍の瞳を国に納めるまでは護るって」
ユウは真っすぐに前を見ながら言った。
海のある街を出て政府に龍の瞳を届け終わり、二人はユウの故郷の村に戻る途中だった。
村までは距離がある上、徒歩での移動なので到着するまであと三日はかかる。
「その……ユウの中の人も、もういない感じなの?」
少し言いにくそうにミミは聞いた。
「うん、多分……元々そんなに存在感があったわけじゃないから、よくわからないんだ……それを確かめたくても、おれにはどうしたらいいかわからないし」
ユウの答えにミミは少し暗い表情でため息を吐いた。
「そっかあ、そんな感じなのかあ……でもここに桜花がいないってのがその証拠なのかもな。もしまだその人がユウの中にいたら、桜花は絶対にユウから離れたりしないもんな」
「そうだな……ミミ、お前までいなくなるなよ」
ぼそりと呟くようにユウは言う。
「うん……それがユイとの約束だから」
ミミは俯きながら、ユイのことを思い出す。その丸くて大きい瞳に、うっすらと涙が滲んだ。
「ユイが龍の瞳になっちゃうなんて……」
「そのことなんだけどね、ちょっと協力してくれないかな?」
「うわあ!」
突然目の前に現れた金髪碧眼の男に驚き、ミミは叫び声をあげた。
「ミミ?」
ユウはそれに気づいて足を止め、慌ててミミを振り返った。
「悪いがあまり時間がなくて、詳しく説明できないんだがね」
カイルは少し早口でミミに言った。
「あれ? あんた誰だっけ、えぇっと……」
「カイルさん!」
ユウが背後からその名を叫ぶ。
「あぁ、ユウ久しぶり」
カイルは後ろを振り返り、にこりとユウに微笑みかけた。
「どうしてここに?」
「いや、ちょっとミミさんに協力して欲しいことがあってね」
カイルの答えにユウは嫌な予感を覚え、眉根を寄せた。だがカイルはそれをまったく気にせずミミに向き直る。
「あぁ、カイルってリィが連れてきた神様だったっけ……で、おいらに協力して欲しいことってなんだ?」
ミミは無邪気にカイルに問う。
「君の体を貸してほしい。まあ、間に合えばその必要はないんだが……期間は、百年あれば十分だと思う」
「はあ?」
ミミとユウは同時に素っ頓狂な声をあげた。
「体を貸すって……カイルさんいったい何に使うのさ」
「いや、借りるのは私じゃなくてユイだよ。ほら、そこにいるだろう?」
「えっ?」
ミミとユウはカイルの指差す方向を見るが、そこにはただ茂みがあるだけだ。
「あ、そうか、ユイは魂の状態だから君達には見えないんだった」
カイルはハッとした表情で言った。
「少しの間だけ、君達に私の目を貸そう」
カイルはそう言うと、ミミとユウの額に長い人差し指でこつんと触れた。
その瞬間、ミミとユウの視界が変わる。
「なんだこりゃ……って、ユイ!」
ミミがその姿を見つけ、叫び声をあげた。
『ミミ……』
久しぶりに見るユイの顔にはハッキリと焦りの色が見えた。
「姉ちゃん……」
ユウはそんなユイの顔をじっと見つめる。
「心配なんだろ、あいつのことが」
ユイによく似た瞳を細め、ユウは言った。
その言葉を聞いたユイは、すまなさそうな表情になる。
「カイルさん、ユイにおいらの体を貸すのって、もしかしてリィのところに行く為?」
ミミが事情を察してカイルに言った。
「そうなんだ……まあ、行く時だけで済むかどうかはわからないんだけどね……どうだろう、協力してもらえるかな?」
「あ……でもおいらが行ったら、ユウが一人になっちゃう」
それに気づいたミミがユウを振り返った。
ユウは少しの間真顔で黙り込み、やがて微笑を浮かべて口を開いた。
「行ってくれ、ミミ……おれは大丈夫だから」
「ユウ……」
心配そうな視線を向けるミミに、ユウはにこりと笑った。
「心配すんなよ、おれはあいつと違ってしっかりしてるからさ!」
「あぁ、まあ確かにな」
海岸で最後に見たリッシュのやつれた姿を思い出し、ミミは納得した。
『すまない、ユウ』
「おれは大丈夫だから! それより姉ちゃんが傍にいてやらなきゃ、あいつはダメなんだ……立っていられないんだよ……だから、行ってくれミミ」
「ユウ、君は大人だ。安心していいよ、君の新しい相手はすぐ傍まで来ている」
ユウはハッとした。
カイルの言葉が途切れた途端、視界が元に戻りその場にいたのはユウ一人だけだった。
「行ったのか……早いな……」
虚空を見つめるユウがポツリと呟いた。
柔らかく吹く風が、ざわざわとあたりの葉を揺らして通り過ぎていく。
立ち尽くすユウの脳裏に様々な思い出が浮かんでは消えた。
「誰か、助けて!」
そこに若い娘の声が割って入り、ユウは思い出に浸るのをやめた。
前方を見ると、ユウと同じ年頃の娘が男二人に追われてこちらに向かってくるのが見えた。
「なんだ?」
娘は訝しるユウを見てホッしたような表情を浮かべ、その背に隠れた。
「助けてください、追われてるんです!」
息を切らしながら、娘は言う。黒髪に黒い瞳だ。長く伸ばした髪を頭の高い位置で一つにまとめている。
娘の華奢な体をそっと庇いながら、ユウは男二人と対峙した。
「おい、なんだ兄ちゃん、その娘を庇おうってのか?」
男の一人がどすの効いた声で問う。
「いや、そうするかどうか迷ってるところだ……なんだ、仲間割れか? おまえ達、アヤカシだろ? しかも同族だ」
「えっ?」
娘と男二人は同時に声をあげた。
「獣のアヤカシには慣れてるから、気配を変えてもわかるんだよ。で、なんで仲間割れなんてしてるんだ?」
ユウの言葉に、男二人は困ったような表情を浮かべて娘を見た。明らかに娘の指示を待っている雰囲気だ。
娘は観念したかのように大きくため息を吐き、男の方にスタスタと歩き出した。
「よく見抜きましたね……さすが、私が惚れただけのことはあります」
きらきらと輝く瞳を細め、娘は嬉しそうにユウに言った。
「は? 何言ってんだ? おれはそんな簡単に誑かされないよ」
「誑かすだなんてとんでもない、母の命の恩人にそんなことしませんよ」
娘はにこにこと笑顔を浮かべながら言った。
「命の恩人?」
ユウは娘の言葉に首を傾げる。
「この子達は私の弟です。私が頼んで、芝居に協力してもらいました。私達姉弟は人質にとられ、母はあの妖魔の言う事を聞くしかありませんでした……あの古寺での事、覚えていませんか?」
「古寺って、ヨクと闘った時の……じゃあお前達は狸か」
ユウはその時に対峙した大きな狸のアヤカシを思い出した。
「そっか、あれ母ちゃんだったのか……そこまではわからなかったなあ」
「はい、私達は拘束されたままその光景を見ていました。母が殺されてしまう、と私達は怯えていたんです。でも、あなたはそうしなかった。土の精霊を使った檻で母を閉じ込めて、命を奪わなかった」
「まあ……そりゃ無駄に命は奪いたくないよ」
ユウはその時の感情を思い出す。
「良いアヤカシが知り合いにいるし……」
「それって、ずっとあなたと一緒にいた土竜のことですよね?」
娘は表情を一変させた。明らかに不服そうな表情だ。
「え、あぁ、そうだけど……なんでそんな顔するの?」
「だってずるいじゃないですか! 私だってあなたの傍にいたいのに!」
「え?」
叫ぶ娘の剣幕にユウはたじろいだ。
「いや、傍にいたいって言われても……」
「そういえば姿が見当たりませんね、どこに行ったんですか? はっ、まさか私を警戒してどこかに潜んでいるとか……」
娘は緊張した面持ちであたりをキョロキョロと見回した。
「いや、あいつはもういないよ」
「えっ?」
ユウの言葉に娘はきょとんとする。
「いないって……なぜですか?」
「えっと、ちょっと事情があってさ、色々と」
ユウは誤魔化すかのように愛想笑いを浮かべた。
「……でも、戻って来るんですよね?」
ゆらりと娘から妖気が漂う。その様にユウはギョッとした。
「ちょっと、なんでミミに闘争心剥き出しにするわけ?」
「ミミっていうんですか、あの女! 私の名はアズキです! アズキって呼んでください、ユウさん!」
アズキと名乗った狸のアヤカシは拳を握りしめ、きりりとユウを睨みつける。
「いや、そんなに睨まれても困るんだけど」
「ちなみに私の体毛がアズキ色だから、アズキって言うんですよ」
少し落ち着きを取り戻し、アズキは言った。
「あぁ、そうなんだ……まあそれはわかったけど、ミミは戻ってくるかこないかわからないんだ」
「えっ……戻ってこないかもしれないんですか?」
アズキはぽっと頬を赤く染めた。
「えっ……だからわからないって……」
「戻ってこないかもしれないんですよね! それってユウさんの隣が空くってことじゃないですか、ヤッタァ!」
「良かったな姉ちゃん!」
バンザイするアズキに、弟だという男二人がにこにこと微笑んだ。
「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけどさ……帰んなよ、おっ母さんのとこにさ」
「えっ……なんでですか?」
アズキは不服そうに唇を尖らせる。
「なんで、って……だって心配してるでしょ? 大事な娘が帰ってこないってさ」
「その心配はいりません! 母からは『一度心に決めた殿方には食らいついて離すな』と言われていますから」
「なんだって……」
ユウは額に手を当てて天を仰いだ。
「とにかく、私はユウさんについていきますから!」
アズキは張り切って言い、にこにこと笑った。
「いや、困るよ」
反対にユウは渋面を作って慌てる。
「どうしてですか? あっ……もしかして、お嫁さんが村で待ってるからとか?」
アズキは真っ青になって問を口にした。
「嫁? そんなもんいないよ!」
ユウはそう言った後で、しまったと後悔した。
「そうだって言えば良かった……」
「なあんだ、いないならなにも問題ないですね! さっ、行きましょ!」
ブツブツとこぼすユウを尻目に、アズキはにこにこと笑ってユウの三歩後ろについた。
「おい……」
ユウは後ろを振り返り、困ったようにアズキを見た。
「なんですか?」
ただひたすらに嬉しそうな笑顔を浮かべるアズキに、ユウは一瞬ミミの姿を重ねた。
明るくて屈託がない、まるで妹のように思ってきたミミ。
ユウは怒る気を失い、深いため息を吐いた。
「もう、勝手にしてくれ……」
そう言うと、前を向いて足を踏み出した。
「はいっ!」
にこにこと笑ってユウの後を歩くアズキの背を、二人の弟は満面に穏やかな笑みを浮かべて見送っていたのだった。
カクノヒメ 鹿嶋 雲丹 @uni888
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