第33話 ハッピーエンド
「ずっとここに置いておかれても困るんですよね……言いたくはありませんが、正直場所を取りますので」
ユイの髪の毛を渡し、クローンの作成を依頼した男から苦言を伝えられたのはジークだった。
「いやしかし、今のリッシュ様のお部屋にこれを置くのは……」
微かに額を曇らせ、ジークは引き取りをそれとなく拒否した。
「なぜです? もう課題は達成されて、これを隠しておく必要はなくなったのでしょう?」
男に冷静に言われ、ジークは口をつぐんだ。
断りたい本当の理由を、ジークは男に言えなかった。
「仕方がない……」
大きくため息を吐き、ジークは渋々それをリッシュの部屋に運び入れた。
それは、ユイに生き写しのクローンだった。心臓は鼓動し血がめぐり、まるでただ眠っているだけのような。これがリッシュの用意していた、ユイの器である。
「はあぁぁぁ……」
案の定、ユイのクローンが収められたケースに縋って、リッシュは毎日ため息を吐いていた。
あの海岸で五日間を過ごし、自国である魔界に戻ってきてから約二週間ずっとこの調子だ。もちろん、部屋から一歩も外に出ていない。
海岸で過ごしているうちにすっかりやつれた姿は少しも元に戻らず、それどころかますます線が細くなっていく。
「リッシュ様、いい加減になさいませ」
ジークはそう言い続けるしかなかった。
人間のように食事を必要としない上級魔族は、魔界の空気に触れるだけでも生気の補給となる。だがそれでもリッシュの体が回復しないのは、本人が生きることを拒絶しているからだった。
「そんなことをしていても、なにも変わりません。それに、リッシュ様が王になって現在の仕組みを変えるというのは、あの娘も望んでいたことではありませんか……
「あの世?」
リッシュはジークの台詞にぴくりと反応する。
「ユイさんは龍の瞳に飲まれたんだ……もしあの人の魂が死後の世界にいるのなら、私は冥界に行ってあの人の魂を連れてこれる……だけど、それすらできない」
リッシュの反論する声には、まったく力がこもっていなかった。
「……もう……私は生きていても仕方がない……ジーク、紙とペンを」
嫌な予感がしてジークは眉根を寄せた。
「なにを書くおつもりですか……」
「遺書だよ……」
「なりません。あなたは生きなければ!」
ジークはそう言いつつも、自身の言葉がリッシュに届かないことを悟っていた。
「これも……もう燃やす……そうしたら、私は死の沼に身投げするんだ」
リッシュは胸のあたりをぎゅっと掴んだ。そこにはユイから贈られた貝殻がある。
「あの人の心と一緒に無に帰れるなら、本望だ」
リッシュがそう呟くと同時に、ケースの中のユイのクローンが青黒い炎を上げ始める。
「リッシュ様……」
ジークは顔色を失った。
リッシュは無言でケースにはりつき、その中で炎に包まれていくクローンを虚ろな目で見つめ続ける。
「あーあ、やっぱりか」
どこか明るい男の声が響き、重暗い空気を一変させた。
「まあでも、最悪の事態にはなっていないようだ。間に合って良かった」
金髪碧眼の男はにこりと笑った。
「あなたは……」
ジークは突如扉の前に現れた男を凝視する。だが、その隣に立つ人影にジークはさらに目を見開いた。
人影は我慢できないといったようにリッシュに向かって駆けていく。
無言で立ち尽くすジークの横を、黒くて真っ直ぐな髪が通り過ぎていった。
「なにをやっているんだ、お前は!」
部屋中に響くような声にびくりと体を震わせたのはリッシュだった。
「……ユイさん?」
ぼんやりとケースから顔をあげたリッシュの目の前にいたのは、間違いなくユイだった。
ユイは怒ったような
その脳裏には、潮風に吹かれていたリッシュの横顔が浮かんでいる。
思わず触れたくなるような美しさが、そこにはあった。だが目の前のリッシュの顔にあるのは、はっきりとした死の香りだった。
ユイはそれをまじまじと見つめ、屈み込むと両手でリッシュの頬を挟んだ。
「こんな顔をして……情けないったらない!」
「どうしてここに……あっ!」
リッシュは頬に添えられたユイの手に触れつつ、慌てたようにケースの中を見た。
「ああっ! しまった、燃やすんじゃなかった!」
リッシュが叫ぶも時すでに遅しで、ケースの中には燃え尽きた灰しか残っていなかった。
「うーん、やはり保険を用意しておいて正解だったようだね」
二人の様を見ていたカイルは、笑顔のままそう言った。
「保険とは?」
ジークは突然現れた娘の存在にほっと胸をなでおろすも、カイルに冷たい視線を向ける。
「これはいったいどういうことですか?」
リッシュは呆けた表情でユイに向かって問う。
「この身体は、ミミのものだ」
光のないリッシュの瞳をじっと見つめ、ユイは言った。
「一時的に借りている……お前の事が心配すぎて、私はあの世に行けない。お前が王になるまで私が見守ってやるから、しっかりしろ!」
「なるほど……ミミさんに体を借りているんですね」
合点がいったリッシュは涙の跡をぐいっと拭った。
「では、永遠にとはいかないんですね」
「そうだ。だからお前が王になるまで、ということだ」
「もう一度、頼みますから!」
目の前のユイの瞳をじっと見つめ、リッシュは呟叫んだ。その頬には血がしっかりと通い、瞳は希望に光り輝いている。
「もう一度、器をつくってもらえるよう頼みますから……何度断られても、絶対に作ってもらいますから……ずっと、私の傍にいてください! お願いします!」
「いや、しかし、そういうわけには」
言い淀むユイに、影のようにそっと近づいたのはジークだった。
「失礼ながら、なぜイエスと言って頂けないのでしょうか?」
ユイは立ち上がりジークを振り返った。
「あなたは?」
「私の名はジーク。リッシュ様の教育係です」
「ジーク……あぁ、あなたが私をリィの標的に選んだ人か!」
ユイは叫び、じっとジークのブルーグレーの瞳を見つめた。
「だって、リィは王様になるんだろう? 王様の隣にいていいのは、いいとこの姫さんと決まっている。そうでなければならないだろう? ほら、しきたりとかなにやら色々あるじゃないか」
「ふむ、なるほど……それは一理あります」
ジークは顎に手を当てて考えこんだ。
「ジーク!」
リッシュは必死の形相で叫ぶ。それを手で制し、ジークは口を開いた。
「では、あなたの教育を我が一族の者が担当致しましょう。幸い母は現役を引退しておりまして、暇を持て余していますから」
「え? いや……私は」
視線を逸らすユイに近づき、ジークはその耳元に囁く。
「あなたはリッシュ様の心を奪った……そして、あなたはリッシュ様に心を渡した……それが全てです」
「ジーク、近いよ! 離れてよ!」
リッシュは子供のように頬を膨らませる。それをちらりと見、ユイは俯いた。
「リィには婚約者が……ルイザがいるじゃないか」
「そんなのは、私が王になれば……」
「その件につきましては、ルイザ様の方から既に破棄されております」
ジークの硬くて冷たい声音がリッシュの言葉を遮った。
「え?」
ユイとリッシュは同時に声をあげる。
「リッシュ様にはご報告したはずです。もっとも、とても
「あれ?」
ジークの皮肉にリッシュは引きつった笑みを浮かべる。
「これで、もう障害はありませんね? いえ、この先どんな障害が起きようとも、私が必ず握り潰しますが」
ジークはにこりともせずにユイに言った。
「い、いや、ミミに聞いてみないと……」
ジークのその様に微かな恐怖心を抱きながら、ユイはたじたじとなった。
「ミミさんからはもう承諾を得ているよ? 聞いているよね、ミミさんから?」
カイルの余計な助け舟に、ユイは気まずそうな
「確かに、ミミは気にするなって言ってたけど」
『おいらは
ミミからは、事前にそこまで言われていた。それを思い出したユイは耳まで赤くなった。
「わ、私は……そ、そこまで覚悟ができていない」
「まあ、無理もないかな……ユイはカクノヒメだったから、恋愛経験が乏しいもんね。いきなり結婚は荷が重いかも」
押し黙ってしまったユイを見たカイルは、苦笑いを浮かべる。
「カイル!」
「まあまあ、慌てなくてもいいじゃないか。ゆっくりと愛を育むのもありだよ。それでなくても、彼女はこの世界に慣れていないのだからね」
カイルは急ぐリッシュを優しく宥める。加えてジークも頷き口を開いた。
「そうですよ。色々したいことがあるのは察しますが、相手の立場を思いやるのも大切なことです」
ジークとカイルの二人から諌められ、リッシュは複雑な表情を浮かべた。
「でも、たしかにそうだよね」
リッシュは小さくため息を吐くと、気を取り直したように笑う。そして、すっとユイに近づいてその黒い瞳をずいっと覗き込んだ。
ユイにとっては見慣れない、赤い瞳。おまけに頭にはねじれた角まである。だが、湧き出る甘い感情は変わらなかった。
ユイは観念したように小さく息を吐いた。
「大変申し訳ありませんが、口づけまでは許して欲しいです」
「こ、ここで言う事かそれはっ!」
ユイは赤い顔でリッシュを睨みつける。
「それは、承諾とみなします」
にっこりと笑ってリッシュはユイを抱きしめた。
「では、早速母に連絡を」
くるりと踵を返し、ジークは呟く。
「あぁ、いいねぇ恋ってのは! じゃあね、末永くお幸せに!」
カイルは笑って姿を消した。
「誰も見ていなければ、いいですよね?」
リッシュはジークとカイルの気配が消えたのを察し、ユイな耳元で囁く。耳にかかるあたたかい吐息に全身の血が沸き立つようだった。
「ちょっ……」
ユイが答えを紡ぐ前に、リッシュは己の唇でユイの唇を塞ぐ。
『素直じゃないなあ、ユイは……こんなに喜んでるのにさ』
身体を明け渡したミミは、甘美な感情が全身を巡るのを感じていた。
あれほどやつれていたリッシュの姿も、いつの間にか元に戻っている。
『すごいなあ……恋の力ってのはこうやって巡っていくんだなあ……』
ミミは明るい桃色をうっとりと眺めながら、にやにやと笑っていたのだった。
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