死んだ魚のような顔で
高黄森哉
顔
俺は幸運だ。なんたって、会社の同僚、浅見麗子の心を射止めたのだから。彼女は、マドンナで、だから、同僚には羨ましがられた。あたりまえだ。こんな顔をした俺が、彼女を射止めたのだから、人から羨ましがられる権利はあるはずだ。
というのも、俺の顔は彼女のそれとは対照的で、ひどく歪んでいる。皺くちゃで、かつ、死んだ魚の顔をしている(この表現は実際に、学生時代、投げかけられたものだ)。どうしようもなく、ブ男で、一時期思いつめて、整形外科を尋ねたが、医者に匙を投げられる始末である。
こんな男が、彼女を射止めたのである! こんなに美しい麗子さんに、彼氏が居なくて良かった(今まではいたそうな、それも何人も)。
「ねえ、麗子ちゃん。今日は、お昼は食堂にしようよ」
「うん」
いまいち、興味を感じない、冷えた返事を彼女はした。俺は、その返事を聞くたびに、ん? 俺のこと好きじゃないんじゃないかな、と勘繰ってしまう。事務的に、俺と付き合っているのではないだろうか、と。しかし、半ば狂人的に、彼女の周囲や彼女自身を調べたことがあるが、利用されていたり、はたまた、からかわれている、そういうことはないらしい。
じゃあ、なぜ、恋人に向けて、このような、凍った返事をするのか。それは、彼女の同級生の証言によると、生まれつき、だそうだ。生まれつき、この反応らしい。それは、ご飯を食べているときも崩れなかった。凍った秋刀魚の顔で、俺を見つめている。それにしても美しい真顔だ、まるで日本刀みたいだ。俺は彼女の笑い顔を見たいと思った。
「鯛は鯛でも、幸せになる鯛はなーんだ(答えはめでたい)」
困るのは、こう言った冗談の時である。彼女は、絶対に笑ってくれない。チルト加工の表情筋をほぐすのは、俺の一つのテーマである。また、彼女と興味を持ったきっかけだ。
少し恥ずかしいのだが、実際のところ、彼女に惹かれたのは容姿だけではない。その浮世離れした態度が美しいと思うのだ。それを崩したいなんて、俺は破壊願望を持っているのだろうか。その衝動は、冒涜ということばでも知られている。例えば、ゴッホのヒマワリに、トマトケチャップをかけるような興奮である。俺は、この人に、己のトマトケチャップをかけたい。
「たい麻」
彼女は、眉をピクリとも動かさず、答えた。俺は、彼女の意外なユーモアに、大笑いした。彼女が、それにつられる、ということはなかったが、おおむね楽しいお昼休みを過ごせた(ということにしておこう)。ちょっと、味気ないが。丁度、食堂の秋刀魚の塩加減ように。
彼女と並んで歩くと、その氷像のような美麗さから、自分の存在が許せなくなる。どうして、こんな醜い男が、こんな透明な人の隣で歩けているのか不思議だ。今まさに、生命の神秘や、存在の奇蹟を体感している。
不思議だ。とはいうものの、俺は、彼女を良く知っているわけで、だから、その理由もなんとなく理解できる。おどろいたことに、彼女は偏見や先入観がないのである。彼女にとって、俺とイケメンは、結局のところ同じ人である。この立場は、徹底していて、ゴキブリとかぶと虫は、同じ虫。バイオリンとピアノは、音の出る楽器。ハマチとエンガワは、刺身。と言った具合だった。これらは、彼女の感情の動きが少ない原因であろう。壊れているとは思う。しかし、やはりその常人離れした思考に、美があるのではないか。
事実、こういった、常識はずれの平坦な感性、そこを原因とする表情の一定さは、彼女の美に、大いに影響を与えていると思うのだ。言っておくが、これは、精神論ではない。俺が言いたいのは、表情豊かな人間はブスである、ということだ。笑えばほうれい線がチンパンジー、怒れば眉間の皺がマリアナ開口、泣けば目じりがよじれ、無理に楽しめば心はぐしゃぐしゃに折り目が付くのである。
彼女との日々は矢継ぎ早に過ぎ、俺は、そろそろ彼女に飽きていた。『美人は三日で飽き、ブスに明日はない』という有名な慣用句があるが、その通りで、俺は笑わない、自分を特別視してくれない彼女に、嫌気がさしていた。考えれば、こんなに美人なのに彼氏がいなかったのは、そういう味気なさが理由だったのかもしれない。
俺は、趣向を変え、彼女の美を活かすことで、その関係を持続させることにした。すなわち性交である。今までは、余りの余りある美しさから、美術の教科書で見た彫刻類絵画類を連想し、それが成功する前に、いちもつが萎えてしまっていたが、今日は薬を使っているから、大成功、間違いない。そういうことで、しばらく、ピストンをしているのだが恐ろしく楽しくない。いまいち、気分が盛り上がってこない。今まさに、俺は、
彼女はマグロだったのだ。それも、冷凍の、マグロ。
死んだ魚のような顔で 高黄森哉 @kamikawa2001
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