第03回 日本のゲーム文化
原作を担当した漫画『はんなり
■世間では、子供がゲームばかりに時間を費やすと、批判がございます。昭和の時代、ゲームセンターにインベーダーゲームが登場してから、任天堂のファミリーコンピューター、SONYのPlayStationと、次から次へと。しかし、日本人はもともとゲーム大好き。
■平安時代末期の治天の君・
■この場合の双六の賽というのは、サイコロのこと。双六というと、現代の人生ゲームやモノポリーのような、サイコロを振って出た目の数に応じて駒を進めるゲームを思い浮かべますが、そうではありません。そちらは絵双六と呼ばれる盤上遊戯(ボードゲーム)です。
■ここで言う双六は盤双六、現在のバックギャモンに近いゲームです。運の要素と戦略の要素のバランスが良く、運だけでも戦略だけでも勝てず、比較的スピーディに決着がつくため賭博に使われ、飛鳥時代に伝来し持統天皇の御代には早くも禁止令が出るほど大流行します。
■日本では博打は良くないという意識がありますが、これはどうも盤双六が大流行しすぎて、お役人が仕事そっちのけで熱中した影響のようで。なにしろ聖武天皇の遺愛品を収めた正倉院の御物にも盤双六がありますし、源氏物語常夏の帖に、近江の君が侍女と興じる場面がございます。
■2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』では、松田翔太さん演じる後白河法皇が盤双六に興じるシーンがたびたび登場し、作品の重要な表現になっておりました。江戸時代に廃れるまで、盤双六はボードゲームの王者として、長らく愛好されます。
■一方、囲碁は論語の
■三国志で知られる
■日本には遣唐使の
■鎌倉時代には中国同様に武人にも愛好され、戦国時代になると合戦のシミュレーションになると、武田信玄ら戦国大名にますます愛好されるようになります。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など天下人も、
■現在も囲碁のタイトルに本因坊がありますが、もともとは寺院内の僧侶が住む建物を僧坊と呼び、算砂が暮らした寂光寺の僧坊の名が本因坊だったのですね。算砂は江戸幕府に召抱えられ、囲碁の家元である本因坊家の始祖として、一世名人と呼ばれることになります。
■囲碁も将棋も江戸時代は家元制度となり、囲碁は本因坊家・安井家・井上家・林家の四家で、将棋は大橋家・大橋分家・伊藤家の三家で、代々世襲されます。各家元の中で最も強い者が名人を称します。昭和の時代に実力制が導入されるまで、世襲の家元制度は続きます。
■江戸時代には囲碁将棋は庶民にも愛好され、あちこちに碁会所ができ、広く普及しました。現在、ビデオゲームはeスポーツと呼ばれ、世界中で愛好されて、専業のプロが多数いますが、江戸時代には既にプロゲーマーが存在していたんですね。珍しい存在ではなかったのです。
■なにしろ、昭和の時代には囲碁や将棋で金銭を賭けて生活する、
■SM小説の帝王であった
■プロゲーマーやユーチューバーといった職業を、将来性がないと不安視する人もいます。しかし、京都の花札メーカーは今や世界的なゲーム会社として、人気の就職先です。囲碁将棋がプロの職業になったのと同じことが令和の世でも繰り返されているのかもしれませんよ?
江戸文化風俗コラム『夏炉冬扇』 篁千夏 @chinatsu_takamura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。江戸文化風俗コラム『夏炉冬扇』の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます