明日の私が「ただいま」を言うために
レイノール斉藤
第1話
私(
灰色の雲はもう随分と青空を見せてはくれない。隙間風がボロボロになった鈍色のカーテンを揺らす。
ジリリリリリリリリリリ!!
ベルがけたたましく鳴っている。聞き慣れている筈なのに、今日のはヤケに大きく聞こえた。
渋々体を起こし、ハンガーと一緒に壁に吊るされた制服を見上げる。全体的に茶色のデザインは実用性を最優先していて、はっきり言ってダサい。
といっても着ない訳にもいかないから、渋々袖を通す。全体的に重いし、硬い。しかもサイズは合っている筈なのに、妙に締め付けられる感覚がある。着け方これで本当に合ってるのかな?
着替えが終わった後、ぎこちない動きで机に向かい、一昔前のタブレットを起動する。あちこちにヒビが入っているけど、替えなんか無いのでしょうがない。
今の時代、わざわざ一か所に大多数を集めて授業なんてしない。必要な情報……いや、必要最低限な情報を動画で送り、後は自己責任だ。「見てなかった」なんて言い訳を聞いてくれる人は何処にも居ない。
私も一応全部には目を通したけど、それがどれだけ此の先役に立つかなんて分かりやしない。いや、きっとこの動画を送っている側も分かってやしない。
特に目新しい情報が入っていないのを確認し、私はタブレットを置いて自室を出た。
ジリリリリリリリリリリリ!!
ベルが鳴っている。
「……おはよう」
「あら、早いのね」
リビングに行くと、朝ごはんの支度をしている母はちらりとこちらを見て言って、そのまま暫く私の姿を眺めた後、支度を再開した。こちらに背を向けながら母が聞く。
「シャワー浴びてったら?」
「いや、いい。どうせ汚れるし」
「……そう」
私はそのままリビングのソファに腰を下ろし、テレビを点ける。
『各地の……予報です。昨夜大阪付近に発令された……警報は解除されました。今日は午後から東京で、……が予想されます。付近にお住まいの方は今後の……』
電波の調子が悪くて、音も映像も乱れてる。そうなる前から思っていた事だけど、一体誰に向けて情報を発しているんだろう?意味があると思ってやっているのかな?
それとも、もう他にやる事が無いのか……。
ジリリリリリリリリリリ!!
ベルが鳴っている。
「ほら、できたよ。食べなさい」
呼ばれて行くと、いつもより随分豪勢な朝食が食卓に並べられて、私は思わず聞いてしまう。
「どうしたの?これ」
「今日が初日だもの。お祝いと、景気づけ」
「おおげさだよ。大体こんなに食べれないし」
「いいじゃない。余ったら夜食べれば」
そういうお母さんの笑顔は、いつもより元気が無さそうに見えた。
お母さんは元々は年齢の割に若々しかったけど、去年お父さんが亡くなってから急に老けた気がする。体が細くなって、背中が丸くなって、皺が増えた。栄養が足りてないのかもしれない。
「まあ、いいけど。じゃあいただきます」
「はーい、どんどん食べてね」
私は椅子に座り、油で表面を揚げて、砂糖を塗り込んだ食パンを齧る。程よい噛み応えと口に広がる甘みが、昔の記憶を呼び起こす。小学校に行くのが嫌だと駄々をこねる月曜日に、いつからか決まって食卓に出るようになった。憂鬱な気分もあのパンが食べられると思えば起きられた。
そして、味噌汁に口をつける。パンに味噌汁というのがチグハグな感じだと友人から言われたことがあるけど、やっぱりワカメと豆腐の入った味噌汁を飲まないと一日が始まった気がしない。
ジリリリリリリリリリ!!
ベルが鳴っている。
私を食べている様を嬉しそうに眺めながら、お母さんが聞いてきた。
「そういえば、どこに集まるの?」
「……現地集合。場所は後で連絡が来るって」
お母さんの質問に答えながら、フルーツミックスジュースと牛乳を半々に入れて、チョコ味の栄養粉末をかけてから混ぜる。朝寝坊して時間が無い日はいつもこれだった。今じゃめっきり飲む機会が減ったけど、わざわざ用意してくれたんだ。
「事前に打ち合わせとかしなくて良いの?」
「してもしょうがないよ。結局は現場に行ってみないと」
「……そう、よね。でも気を付けてね」
「わかってるって、ごちそうさま」
「もういいの?」
「うん、後は帰ったら、食べるから」
他にもハンバーグやオムライスとか、昔私が好きだった物が所狭しと並んでいたけれど、今食べる気にはなれなかった。
ジリリリリリリリリリ!!
ベルが鳴っている。
***
残りの準備を終え、玄関前で靴を履く。その間お母さんは玄関前に置かれた、お父さんの写真が入った写真立てを見て、独り言のように呟く。
「お父さんが行く時ね、光ったら『パパ行かないでー』って泣きながらお父さんの足にしがみついてたのよ」
「もう!そんな恥ずかしい事覚えてないでよ」
「ふふっ、まさか私が見送る側になるなんてねぇ」
「……」
ジリリリリリリリリリリ!!
ベルが鳴っている。
「じゃあ、行ってくるから」
「光!」
「……何?」
ドアノブに手をかけようとした手を、お母さんの腕が掴んで止める。思わずといった感じで動いてしまった手を慌てて戻し、お母さんは言った。
「今日は、行かなくていいんじゃない?」
「……」
「ほら、今日なんか顔色悪いし、別に光一人ぐらい行かなくても何とかなるでしょ?行くのは明日からにしてさ、今日は二人で一緒にゆったりしよう!」
必死にいつも通りの心配性な母を演じながら、取り繕うように捲し立てる。
「お母さん……」
ジリリリリリリリリリリ!!!
ベルの音が一際大きくなった。
後ろ髪を引いてくる何かを振り払うように首を振り、私は笑顔で言った。
「ありがとう、でも、やっぱ行かなきゃ」
「光……」
「大丈夫!ちゃんと朝までには帰ってくるから。お母さんはいつ家に帰れる?」
「帰る前に連絡くれれば、都合つけるよ。夜もご馳走作らなきゃね」
「ご馳走はもういいってば!」
お母さんは、そんな私の笑顔を目に焼き付けるようにしばらく見つめてから、大きく溜息を吐いて言った。
「……分かった。行ってきなさい。気を付けてね」
「うん!」
そして、どちらかともなく抱擁を交わす。肉の無くなった母の体は、それでも暖かく安心できた。懐かしい匂いがした。
すぐに体を離し、そして今度こそドアを開けて出ようとした時、またお母さんの慌てた声が聞こえた。
「ちょ、ちょっと光!一番大事な物忘れてるじゃない!」
「え?あっ!」
振り返った母の両手に握られていたのは
「ほら、六十九式軽機関銃!」
付けっぱなしだったテレビの中の人が一際大きな声で叫んだせいで、玄関までその声が聞こえてきた。
『大変です!
曇り一色だった空から一瞬閃光が射し、轟音と共に部屋の中を赤く照らし出す。今ので崩れかけていた屋根が吹き飛んだ。却って崩落の危険が無くなって良かったかもしれないけど。
「ありがとう。お母さん」
私は赤ん坊を扱うように大事に六十九式軽機関銃を受け取る。銃身には安全祈願のお守りが結び付けられていた。
「こんな骨董品でも、お父さんの命を何度も救ってくれたんだから、大事にしないとね」
「……うん、そうだね」
こんな銃が一体奴らにどれだけ通用するのか。そんなのは今問題じゃない。何より今お母さんの前でそんな弱気な事を言えない。
その時、胸に付けた通信機から緊急連絡が飛び込んできた。
『北野隊員!こちら第百二連隊!北野隊員!聞こえるか!?』
「はい!聞こえています!感度良好です!」
――こうして私は今日から戦場へ向かう。
『北野隊員!こっちはもう持ちそうにない!今どこにいる!?』
――自分の為じゃない。ましてや人類とか世界を救うなんて大層な目的でもない。
「現在自宅です!準備完了しています!」
『了解!前線の座標を送る!そこに到着次第戦闘を開始せよ!貴君の働きと幸運を祈っている!通信終了!』
――理由はただ一つ。自分の帰りを待ってくれる人に、もう一度「ただいま」を言うために。
戦って、勝って、生きて、生きて、生き延びて……もう一度
「
「鍵は郵便受けの蓋に貼っておくからねー!」
母の見送りを背に、爆音が高く砂塵を舞い上げ、赤黒く染まった空を一筋の光が斜めに切り裂いていく!
後に『
(※続きません)
明日の私が「ただいま」を言うために レイノール斉藤 @raynord_saitou
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