最終話 ノアの箱舟に乗って
────お見合いが終わると、ふたりだけの時間を迎えてゆく。
お見合いの相手を三択で決めなくてはいけない夜、神宮寺さんから届いた動画をパソコンで秘かに見ていたのを思い出す。
小さな車の中には彼と自分しかいない。そっと手を伸ばせば届く距離だ。
夢と希望あふれる山里はおわら温泉から三時間ほどのところにある。楽しい時間ほど過ぎゆくのは早く感じてしまう。
話したいことは沢山あったはずなのに、言葉が追いつかないのは何故だろうか。気を落ち着けてようやく絞り出すよう口を開く。
「神宮寺さんが運命の相手で良かった。本当に……。」
「僕もだよ。最初にお見合い相手の写真を見てビックリ。この日を待っていた」
嬉しい返事が戻ってくる。
車窓からは広大な人造湖が豊かな自然に囲まれ、秋ならではの紅葉が見えてくる。眼下には岩を積み上げたロックフィル式ダムが広がり、夕暮れの湖に架かる「夢のかけはし」は山岳風景とダム湖に奥ゆかしく溶け込んでいた。思わず、彼の顔を見ながらつぶやいてしまう。
「本当にいじわるなんだから……。」
釣書の写真を見なかったのが悪いのは分かっている。ただ、憎らしい男にひと言だけ伝えたかった。
こんないじらしい気持ちとなるのは初めてだ。恋することに時間など関係はないと思っている。初めての出会いは、お見合いではない。ずっと忘れずに、花ひらくのを心の奥底で温めていたのかもしれない。
「また会えるのを楽しみにしていたよ」
男の優しさに身を委ねていく。
「ありがとう。星空の向こうに夢と希望があるような気がして、この時がくるのをずっと待っていたの」
「今夜はここに泊まろう」
「えっ、……。」
神宮寺さんの言葉には一瞬驚いてしまう。なにぶん恋にも恥ずかしがり屋のお茶漬けちゃんである。これまで一度も外泊なんてしたことがない。
でも、彼と一緒にいたかった。傍にいられるだけでぬくもりすら感じられる。男の背中にすがりつきたくなる。これが本当の恋というものだろうか。
「夜明け前に是非見せたいものが待っているから。このまま一緒にいて欲しい」
黙ったままうなづいていた。
湖畔の宿で時が訪れるのを待つ。木枯しが吹く夜が更けると満天の星がふたりを温かく包んでくれる気がする。寒さなど何処かに飛んで行ってしまったようだ。
夢のかけはしにふたりで駆け上がると、見上げる夜空からは星が静寂な湖面に降りそそいでゆく。キラキラと輝いてなんとも幻想的な風景だ。彼は手を握り、そっと口づけをしてくれた。
「星空って、綺麗やなあ……。」
ぬくもりを感じながら言葉にする。神宮寺さんが指差す南東の方角を眺めてゆく。ひとつずつ丁寧な言葉が届いてくる。
「あれ、オリオン座。向こうに見えるのが牡羊座だよ」
オリオン座には、僕たちみたいな一等星がふたつある。五つの二等星が見守る中、ベテルギウスとリゲルを赤いリボンで繋げてくれるという。新しい星が生まれるので「星のゆりかご」とも教えてくれた。
「星にも赤ちゃんがいるのね」
軽はずみな言葉を口にして、恥ずかしくなる。顔まで赤らめていたかも知れない。けれど、神宮寺さんはそっと受け止めてくれたようで、優しく笑顔を返してくれる。
ところが、彼が見せてくれるのは満天の星空ばかりではなかった。
「夜明けまでもう少しだから、静かに見ていて……。寒いかい」
「ううん。大丈夫」
神宮寺さんは自らグレージャケットを脱いで、羽織ってくれる。時刻はまもなく七時となる。白白明けの時を待つことにする。
しだいに空が薄紫色に覆われ、紅葉の山並みが黄金色に染まり、静寂な湖面に七つ星が映り込み光輝いてゆく。朝焼け燃ゆる星空など見たことはなかった。
「これを圭子に見せたかった」
「やっぱり、夢の国に星の王子さまはいたんだね」
幼い頃から大切にしてきたサン・テグジュペリの童話の一節を思い出している。
女の子なら皆が一度は夢見る話だろう。流す涙は……。神宮司さんの優しい言葉が届いてくる。待っていて良かった。運命の人に会えたのだから。
「僕で良かったら、一緒にノアの方舟に乗っていこう」
「ありがとう」
彼が船頭となる舟に乗り、希望の世界へと向かってゆく。お茶漬けちゃんと云われながら、二十九年。けっして、恋のスローライフには後悔などなかった。
《 完 》
最後までお読みいただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。
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割烹着姉ちゃんの奮闘記「お茶漬け娘の星の王子様探してください」 神崎 小太郎 @yoshi1449
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