朝の番人
九戸政景
朝の番人
「んぅ……」
寝起きで頭がボーッとする中、枕元ではけたたましい音が鳴っている。今日も俺の朝の番人が起きろと騒いでいるのだ。
「はいはい、起きますよ……と」
少し呆れ気味に、でも安心感を覚えながら言った後に俺は番人に小さくチョップをかます。それで起きたと判断してくれたようで番人は口を閉じ、俺しかいない部屋は静寂に包まれた。
「……今日から、このアパートでの新生活が始まるんだな」
まだ布団やタンスくらいしか置いてないガランとした部屋を見回す。隅っこでは実家から持ってきた荷物で胃袋を膨らませた段ボール箱が我が物顔をしていて、バタバタしていたせいで軽くしかまとめていないコンビニ弁当や小さなゴミが入ったゴミ袋も恨めしそうに居間から視線を向けてきているのを感じる。
だけど、大学への進学を機に実家を出ての新生活が始まるというワクワク感はそれに勝っており、今日一日のやる気も少しずつ沸いてきた。
「それじゃあまずは起きて飯だ飯。番人は……せっかくだし、テーブルの上にいてもらうか」
枕元の番人を手で掴み、居間に入って簡素な木のテーブルの上に置く。真ん中にガラス張りの文字盤を持つ朝の番人は今日もいつも通りで長年一緒だからか昔は瑞々しいリンゴを思わせる程に赤かった体も今では傷やちょっとした汚れも目立ち、頭についた一見犬の耳のようにも見えてくるベルもよく見れば錆が浮いている。
だけど、細く小さな足でいつもしっかりと立っては俺に朝が来た事を大声で報せてくれる。それが俺の朝の番人であり、無二の親友みたいな物なのだ。
番人が机の上から見つめてくる中、俺は昨夜の内にコンビニで買ってきていたカップサラダや冷蔵の焼き鮭などを冷蔵庫から取りだし、レンジで温めた鮭やレトルトパウチのご飯、サラダにお湯で溶かすだけのスティックタイプの味噌汁などが十数分の後にテーブルに並んだ。
「それじゃあいただきます」
静かな居間に俺の声だけが響く。実家では両親も家族もいたから少し賑やかだったけど、今は一人だから俺の咀嚼音や息遣いだけが聞こえる。
そんな少し寂しさを感じる中でも番人は静かに俺を見つめていて、ふと番人に視線を向けると、視線がぶつかった後に俺はクスリと笑った。
「そういえば、お前と出会ったのはあの番組がきっかけだったっけ」
その番組とは朝にやっているニュース番組で、その番組のマスコットが番人と同じ見た目をしているのだが、まだ小さかった俺はそのマスコットを見て自分も欲しいと両親にねだり、買ってきてもらったのが番人だったのだ。
当然、番人は喋らないし自分からは動かないから、当時の俺はそれを知って残念がった。だけど、買ってもらえた喜びや自分だけの物が増えたという小さな優越感はとても心地よく、翌日から俺は番人に起こされる形で一日を始める事になった。
時には二度寝がしたくて番人を一度静かにしてからまた寝たりうっかり寝ぼけて落としたりしたけれど、少し調子が悪くなったり汚れてきたりした時にはメンテナンスをして、今日までずっと俺の起床を支えてもらっている。
「だからなんだろうな。越してくる時に一番始めに持っていきたいと思えたのが番人だったのは」
因みに、番人と呼ぶようになったのは、起こしてくれる事で俺の朝の時間を守ってくれているからで、両親や家族、友人達は俺の番人呼びをまた言ってるみたいに笑っているけれど、俺は結構この呼び方が気に入っている。
片手で持てる程に軽くて、俺の手のひらと同じくらいしかない小ささだけど、それでも大声で俺に朝だと教えてくれているのはとても感謝しているし、番人の声がないと少し朝が物足りないと思える程なのだ。
「ごちそうさまでした」
そんな事を考えている内に俺は食べ終え、番人が見つめてくる中で後片付けをした。また部屋の中にゴミ袋が増えてしまったので、そろそろ片付けないといけない。
「……ゴミの時間、たしかそろそろか。よし、それならこのゴミをさっさと片付けて、また荷解きをするか」
そう言った後、俺はごみ捨てで外に出るために寝室で青地の寝間着からお気に入りの紫のパーカーや青いデニムのジーンズへと着替え、軽く寝癖を整えてから居間に戻った。
番人は相変わらず太陽の光を浴びてキラキラと光っており、俺は番人がいてくれる安心感でホッとしながらその体を軽く撫でる。
「それじゃあちょっと出てくるな、番人。今日もお勤め、ご苦労様でした」
答えないとわかっていても俺は番人に対して労いの言葉をかけるのが日課だったため、今日もそれをした。そしてゴミ袋を持ち、今日一日を始めるために歩きだした。
その様子を番人は静かに見ていたが、その様子は仕事を終えて満足そうにしているようにも見え、俺は心の中でお礼を言った後、番人に見送られながら玄関のドアを開けて、明るい光に溢れた外へと出た。
朝の番人 九戸政景 @2012712
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