第11話

 私の三度目の診察は、ちょうど翔也くんとお母さんが再会を果たした翌日だった。

「何かいいことでもあった?」

 担当医は私を見るなり、そう言った。別に、と返すと首を傾げる。

「そう? なんだか全然表情が違うよ。前の時はこの世の終わりみたいな顔してたのに」

 失礼な医者だな。けれど、心当たりがないわけではない。翔也くんのこともあるけれど、それ以外にも、思い出したことがあったのだ。

 高校一年生の文化祭。うっかり鉄板を触って火傷した私は、ラムネ瓶で手を冷やしながら、懐かしい気持ちに駆られていた。小さな頃に買ったラムネのことが頭をよぎったからだと、当時は思っていた。でも違ったのだ。

 父の事故よりももっと前、小学校の低学年だった頃のことだ。私は母が料理している横に立ち、ああだこうだと話していた。「危ないからテレビでも見てなさい」と言われても、その場を離れたくなくて、母の背後にある炊飯器に目をとめた。よし、これで遊んでやろう。そう思いついた私は、もくもく蒸気を上げる炊飯器のてっぺんに、ポンと手を置いた。

 鮮烈な、痛みと恐怖が来た。

 気がつくと、私はじんじんする手を押え、目からとめどなく涙を流し、声をあげて泣いていた。

「咲!」

 甲高い叫びと共にすっ飛んできた母は、私を流し台に連れていくと蛇口をひねった。流水に手を当てられ、冷たさでいっぺんに痛みが和らいだ。ひどく安心して、私は母を見た。

「お母さん、冷たくて、気持ちいい」

 母は呆れたような、でも慈しむような目で私を見た。気をつけなさい、と頭に置かれた手の温度も心地良かった。

 記憶の底へ埋めていたその出来事が急に心へ浮上してきたのは、翔也くんのお母さんと話した後のことだ。そうしてやっと、私の内でカチリと何かがはまった気がした。

 数日前、偶然、母から連絡が来た。内容は、いつもと変わらない。いい加減、顔くらい見せに来なさい。それだけだ。でもこれまでは私のことを否定する言葉でしかなかったものが、どうしてか全く別の意味を持って心へ来た。そうだ、一度、顔くらい見せに帰ってもいいかもしれない。そう思うようになった。


 なんだか、本当に嬉しそうだよ。担当医は不思議そうにしていた。別に、と返したが、確かに口角が上がってしまって照れくさい。仕方なく、話題を変えることにした。

「そう言えば、私に移植された記憶って、一部がデザインされてるんでしょ? どこなんですか?」

 担当医は困ったように頬を掻いたけれど、まあいいかと言いたげに肩を上下させた。

「聞いた話だけど、作っていた料理が何か、不明瞭だったらしい。それをあの記憶ではトンカツにデザインしたとか」

 そんなことか……。何か重大な嘘が隠されているのではと思っていたので、拍子抜けした。けれど、案外そんな些細な記憶が大事なのかもしれない。私だって、あんな思い出一つで、ものの見え方が全く変わったんだから。それなら、この記憶が翔也くんのお母さんに移植されなくて、良かった。もう一度繋がった二人の心は、そのデザイン一つで、違っていたかもしれないのだから。

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記憶の移植に愛情は苦甘い ぞぞ @Zooey

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