招かれざる魔女

香久山 ゆみ

招かれざる魔女

「おっ、呼んでない奴が来た」

 私の顔を見るなり言う。

「まあいい、まあいい。折角だからゆっくりしていけ」

 はっはっは。デリカシーに欠ける大声が広間中に響く。集まった人達の視線が一斉に向けられる。

 案の定だ。まんまとこんなことになってしまった。視界の隅に彼女達を捉える。

 部長宅でお子さん誕生のホームパーティーを開くというのは小耳に挟んでいた。けれど、私には関係ない。招待されていないのだから。なのに、部のお喋り雀三人組がご丁寧にも教えてくれたのだ。「土曜日の部長のホームパーティー楽しみですねぇ」「いえ、私は呼ばれていないから」なるべく気まずくならないように淡々と返すと、三人組は顔を見合わせて笑顔で言った。「そんなはずないですよお」「部員全員呼ばれてますし」「たんに声掛け忘れてるだけですよ」「あたしから部長にそれとなく言っておきますしぃ」「一人だけ来ない方が気ぃ遣っちゃいますよぉ」そんな風に畳み掛けられて、のこのこやって来たらこの有様だ。普段ろくに返事もしない彼女達が話掛けてきたので、嫌な予感はしていたのだ。

 溜息を押し殺して広いリビングに進む。「愚妻のまずい手料理だがね」と部長の声が耳に入る。広間のテーブルいっぱいに料理が並ぶ。すべて手作りなら大したものだ。「上司のお宅ですし、一応フォーマルなスーツで行きましょう」なんて言っていた彼女達はひらひらした華やかなワンピースを着ている。真っ黒なスーツの私はまるで場違い、悪目立ちしている。ちらと見回すと、確かに部署の全員がいるようだ。人の顔を覚えるのが苦手な私、必死に部員の顔と名を覚えた。けれど、何の役にも立たなかった。

 半年前、初の女性管理職に抜擢された。昇進に伴い、元いた部署とは全く畑違いの部へ異動になった。なぜ私が選ばれたのかは分からない。確かに前職ではそれなりに仕事の成果は上げていた。けれどそれは、卓越した能力があったからではなく、単純に人一倍パソコンの前に座ってこつこつと仕事をした成果だ。人付き合いが上手くない分、他人が処世に割く時間に黙々と仕事をこなしただけだ。けれど、評価されるのはいつもコミュニケーション能力が高い愛嬌のある人ばかりだった。だから今回昇進の話が出た時に単純に喜んでしまった。きっとただ時流に乗って女性管理職を置くに当たり、主張しすぎぬ独り身の女が都合よかっただけなのだろうに。

 四十歳での異動で、苦労する覚悟はしていた。けれど、想像以上だった。職場の雰囲気も分からない。業務の流れも、仕事の一つ一つも分からない。苦手だけれど、積極的に部員に声を掛けて聞いて回るしかないと覚悟していた。そうすることで私自身成長することができるのだと。しかし、そこに私の呼掛けに応じてくれる人なんていなかった。着任初日に部長が飲みに連れて行ってくれた。その時肩に回された腕を振りほどかなければこんなことにはならなかっただろうか。今更詮無いことだ。そんな一件があったから彼を取巻く部員達をそのような目で見ている私にも問題はあるのだろう。会議でもお飾りで座らされるばかりで意見さえさせてもらえぬ。仕事に慣れるまでは一課の方を仕切ってもらうからという言葉に甘えて手放した仕事は二度と私のもとに戻ってこなかった。ようやく仕事を覚えた頃にはもはや立派な閑職だった。回される仕事は書類の精査点検ばかり。本当に、自分の要領の悪さを呪いたくなる。――うそ。呪いたいのは、もっと……。

 ベビーベッドに眠る赤ん坊は青いロンパースを着ている。お嬢さんと聞かされたのも嘘だったのだろう。真に受けて女児用のプレゼントを用意しなくてよかった。

「あのぅ……」

「奥様、この度はご出産おめでとうございます」

 近付いてきた女性に出産祝いを渡す。図書カードとカフェインレスの紅茶にした。受取った女性は、弱々しく微笑んだ。「私のためにプレゼントをくださったのはあなただけです」と。広間からどっと笑い声が聞こえる。息子か自身を桃太郎にでもなぞらえているのだろう、鬼退治だとかなんだとか。私への悪口だろう。犬猿鳥の追従が耳障りだ。

「あ、あの、先程は主人が失礼致しました」

「いえ。こちらこそ、実際部長から招待を受けていないのにやって来たんですもの。それにいつものことですし」

 つい余計なことまで言ってしまう。

 広間から、またどっと部長を中心にした大きな笑い声が起こる。眠っていた赤ん坊が驚いて泣き出す。部長がちらりと視線を送る。奥様は小さく頷いて赤ん坊を抱きかかえる。私もとっさに赤ん坊が握っていたタオルケットを持って立ち上がる。

「あ、有難うございます。あの、もしよかったら、あちらで一緒に紅茶でもいかがですか」

 案内されてキッチンの隅に備え付けられた小さな椅子に腰を下す。あの嫌な笑い声もだいぶ遠くなった。赤ん坊もお母さんの腕の中ですやすや眠っている。

 子供が授かったと分かった時、主人は歓迎しませんでした。奥様はぽつりと呟いた。彼女は部長より二回り以上も年下だ。部長は再婚であり、前妻との間にすでに成人した子がいる。だから彼自身はもう子供は不要だと考えていた。新しい家庭を築くつもりでないのなら、どうして私と結婚したんでしょうね。ただ、老後の自分の身の回りの世話をする女が欲しかったんでしょうね。弱々しく笑う。結婚して専業主婦になる以前は、大手の広告会社で営業を担い、若手のホープとされていた。そんな若くて美人で才能溢れる女を自分の手の内に収めることで自己顕示欲でも満たしていたのだろう。まるで大きな子供だ。なぜ寄ってたかってそんな男に取り入ろうとするのか。ずいぶん立派な家に住まわれているが、たんに彼がどこぞの金持ちの次男坊だからというだけで、うちの会社自体は大したことはない。時代に取り残された古いだけの会社。自分を殺してまでそんな会社の部長ごときに諂って一体何になるというのか。それとも皆何かに託けて誰かを傷つけたいだけなのか。

「あら、ごめんなさい。つい主人の愚痴を」

「いえ、こちらこそ。私なんかでよければいくらでも話してください。ご覧の通りのポジションだから外に漏れる心配はないわ」

 ふふふ。気を許した戦友のように笑い合う。

「よかったら、これ召し上がってください。美味しいところばかりよけておいたの」

 奥様がいたずらっぽく笑う。プレートに美しく盛られた料理が出される。遠慮なくいただく。

「美味しい! 本当に全部手作りしたの?」

「ええ。会社の人達が来るから恥をかかせるな、って主人が」

「産後間もない家に大勢で押しかけて手料理まで作らせる方が恥ずかしいと思うけれど。それにしても、昔は仕事ばかりで料理なんてできないって言っていたのに」

「くす、そうでしたね。結婚してからお姑さんにしごかれて料理教室にも通わされて。それしか情熱を向ける先がなかったんで、まあ上達しました」

 今日の料理だって、鬼嵜さんに食べてもらおうという一心で頑張ったんですからっ。ようやく昔のような明るい笑顔が覗く。私と彼女はかつて一緒に仕事をしたことがある。若いのにずいぶんよく仕事ができる子だと感心したし、彼女の方も少なからず私を評価してくれたようだった。案件が終わって以来ずっと会っていなかったんだけれど……。あなたが配偶者のことを主人と呼ぶのが意外だと指摘すると、本当ですねと、彼女はそのことに初めて気づいたようだった。

「鬼嵜さん、今回はお忙しい中おかしなことを頼んで申し訳ありませんでした」

 彼女がきゅっと真面目な顔になる。

「いいのよ。どうせ暇していたし、そもそも書類点検するのが今の仕事だしね」

「で、どうでしたか?」

 私は封筒を差し出した。仕事のついでに調査した部長の改ざん帳簿やらさらについでの女性部員との不倫の証拠やらが入っている。数年ぶりに連絡があった彼女から頼まれたものだ。部長の口から私の名が出たことで同じ部にいることを知ったらしい。一体どんな悪口を言ってたんだか。

「有難うございます」

 彼女は渡した封筒を力強く握りしめた。

「でも、いいんですか? これを使うと鬼嵜さん会社に居辛くなったりしませんか」

「……あなたこそ。乳飲み子連れて女手一つで生活することになっても平気なの?」

 彼女はただにっこりと微笑んだ。彼女の能力がどれ程のものか私が一番よく知っている。働き先はすぐに見つかるだろう。そうして彼女も私に対してそう思ってくれているのが嬉しかった。

 書類を確認し終えた彼女が立ち上がる。

「会社の人が皆集まっている場だなんて、お誂え向きだと思いませんか」

 彼女は効果的なマーケティング方法をプレゼンする時みたいにキラキラした瞳を向ける。

 私は彼女から赤ん坊を預かる。もしかしたら私はこの子にとんでもないプレゼントをしてしまったのではないか。いいえ。この子が優しい子になりますように強い子になりますように真っ直ぐに成長しますように、私達は道を拓くのだ。

 このパーティーの主役から唯一正当に招待された客だという誇りとともに、私は彼女達と広間に向かった。

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